39.ラグの授業
(わぁ……)
泉には先ほどは見えなかった月が映っていて、一瞬、別の場所のような感覚に囚われた。
その美しさに思わず感嘆のため息が漏れる。
でも、ラグがくるりとこちらを振り向き、私は気を引き締めた。
「んじゃまず、簡単に術の基礎を教えるぞ」
「はい、先生!」
私は姿勢を正して手を上げた。でも。
「や、先生はやめろ……」
脱力するように言われ慌てて謝った。
咳払いひとつして、ラグは授業を開始した。
「術ってのは基本万物の力を借りて使うわけなんだが、そのためにはその何かに気に入られなきゃならない。風だったら風に。木だったら……木にな」
言いながらすぐ横にあった木に優しく手を触れるラグ。
そういえば、彼は術を使うときいつも別人のような優しい目をする。
「まぁ、これはそいつの生まれもった才能の差も大きいんだが……」
「じゃあ、ラグは生まれてからずっと色んなものに気に入られてるってこと? やっぱりすごいね!」
「ま、まぁな」
ラグはふいと私から視線を逸らした。
(お?)
どうやら照れてしまったようだ。
そんな彼を見て、前にも術をすごいと褒めたときに急に機嫌が良くなったことを思い出した。
ひょっとすると彼は術のことを褒められるのが単純に嬉しいのかもしれない。
誰だって自分が得意なものを褒められたら嬉しい。
でも彼の場合それがとても意外で、そしてちょっと微笑ましく思えた。
(こんなこと、絶対口に出しては言えないけど)
心の中でこっそり笑いつつ、もうひとつ思い出したことがあった。
「そういえば、ライゼちゃんも同じこと言ってたね。術士は万物に好かれる存在だって」
「そう……だな」
途端、ラグの顔色が変わった気がした。
私はそれを見て、ずっと気になっていたことを訊くことにした。
今なら、答えてくれる気がしたから。
「ねぇ。ライゼちゃんは、魔導術士のことが……嫌いなの?」
そのとき一枚の葉が舞い降りて、水面に映った月が砕けた。
ラグが唇の端を上げる。
「……だろうな。ま、オレ達魔導術士を好きって奴の方が稀だけどな」
「え? そうなの!?」
つい、大きな声が出てしまった。
「特にあいつは、オレのことが相当気に入らないと思うぜ。神導術士なんてオレたちとは真逆の存在だろうからな」
「真逆?」
私と目を合わさずに、ラグは続ける。
「術士は元々皆同じもんだった。万物に好かれ、その力を扱える特別な存在。オレ達はこの特別な力を、戦争で使った」
(あ……)
ドクンっと胸の奥でひとつ大きな音がした。
「“魔導術士”なんてのは、戦争後に出来た呼称だ。悪魔のような術士ってな」
「私は好きだよ! 魔導術士!」
知らずのうちに口から飛び出ていた。
だって、ラグが……その嘲笑ったような顔が、なんだかとても辛そうに見えたから。
彼は驚いたようにその青い双眸を見開いた。
「せ、戦争はどうしようもないと思うの! 誰が悪いとか、誰が偉いとか、私はそんなもの無いと思ってるの! ……おばあちゃんがいつも言ってた。戦争は、誰もが被害者になるんだって」
それは、私のおばあちゃんの口癖だった。
おばあちゃんは戦時中に、家族や旦那さん……私のおじいちゃんを亡くしている。
でもだからと言って誰を責めるわけでもなく、テレビなどで戦争のニュースが流れるたびに悲しそうに繰り返していた。
『華音。戦争はね、誰をも被害者にして、誰も幸せにはしないんだ』
私はその時代を知らない。
そしてこの世界の、ラグの言う戦争なんてもっと知らない。
……魔導術士が、何をしたのかも……。
そんな私がこういうことを言うのは間違っているのかもしれないけれど。でも――。
「だから! 私はラグも、ライゼちゃんも、両方好き!」
一気に喋ったせいで少し息の上がった私を、ラグはしばらくポカンと見ていたけれど、次第にその顔が赤くなっていくのがわかった。
(あ、あれ?)
彼は耳まで真っ赤になったその顔を腕で隠し、怒鳴った。
「お、お前は、そういうセリフを恥ずかしげも無く言うな! こっちが恥ずかしくなるんだよ!」
……恥ずかしい?
今度は私がポカンとする番だった。
私は今、自分的には結構真剣なつもりで、別に恥ずかしいことを言ったつもりは全く無かったのだけど。
ラグはわざとらしい咳払いをひとつして、赤い顔のまま言った。
「基礎は大体わかったな! 次に術のコツを教えるぞ!」
「は、はい!」
――可笑しかった。
いつもみたいに怒鳴られているのに、そのいつもの彼を見て、酷くホっとしている自分がいた。




