37.清めの泉
テントの中は厚手の幕によっていくつかの部屋に仕切られているようだった。
勿論エアコンが効いているわけもなく、外と変わらないむっとした熱気に流石に耐えられなくなって訊く。
「ライゼちゃん、その……身体を洗いたいとき、いつもどうしてるの?」
お風呂とは言わないが、せめて水浴びがしたかった。
「そうだな、私も汗を流したいが」
セリーンも汗で額に張り付いた前髪を払いながら言った。
「あぁ、気が利かず申し訳ありません。私はいつも近くの泉で身を清めています。すぐにご案内しますね」
(やった!)
私は心の中で歓声を上げた。
「うわぁ、キレイ!」
その泉は森の中に隠れるようにひっそりと存在していた。
星空を映した水面が時折キラキラと輝きながら風に静かになびいている。
流石に温泉というわけにはいかなかったが、この暑さなら水風呂でも風邪をひく心配は無いだろう。
「モンスターは出ないのか?」
セリーンが注意深く辺りを見回しながら訊いた。
確かに水浴びの最中にモンスターに襲われたら最悪だ。
「その心配はありません。この辺り一帯は、ビアンカが守ってくれているので、他のモンスターが入ってくることはありません」
所謂、縄張りというやつだろうか。
ビアンカがあの長い胴でぐるりとこの周辺を囲っているイメージが頭に浮かんだ。
「じゃあ、皆で一緒に入れるね!」
なんだか急に楽しくなってきて言うと、ライゼちゃんもセリーンも笑顔を返してくれた。
そして汗ばんだ服を脱ぎ捨て、私たちはその泉に足を踏み入れた。
「うひゃ……!」
思わずその冷たさに声が出てしまう。
この暑さで水温も上がっているのではと思ったのだが、大間違いだった。
深さは立っている状態でお腹くらい。
全身浸かるまでは勇気が要ったけれど、入ってしまうとひんやりしてとても気持ちよかった。
深呼吸しながら振り仰ぐと無数の星たちがチカチカと瞬いていた。
視線を戻すとセリーンもライゼちゃんも気持ち良さそうに目を閉じていて。
ふとそんな二人の身体を見て、私は軽くショックを受ける。
セリーンは言うまでもなく抜群のスタイル。
そしてなんと細身なライゼちゃんまで、私よりどう見ても大きかったのだ。……胸が。
(この世界の人って、皆スタイルいいのかなぁ)
お腹周りの余計なお肉を指でつまんで考える。
それでも、この世界に来てから確実に体重は減っているはずだ。
(帰る頃には私もスタイル良くなってたりして! ……帰れる、よね?)
――気付けば、この世界に来てからもう半月が経とうとしている。
お母さんも、お父さんも、友達も、きっと心配しているだろう。
みんなの顔を思い浮かべていたらうっかり視界がぼやけてきてしまった。
私は勢いつけてザバンっと頭まで泉に浸かる。
「どうした?」
顔を出すとセリーンとライゼちゃんが不思議そうにこちらを見ていた。
「ううん、なんでもない! 気持ち良かったからつい!」
慌てて笑顔で言うと、ライゼちゃんが可笑しそうにクスクスと笑った。
「カノンさんは本当に、想像していた“銀のセイレーン”とは違っていました」
「あはは。それ、ラグにも良く言われるんだ。『お前、本当に銀のセイレーンか?』って」
私がラグの真似をしながら言うとライゼちゃんが首を横に振った。
「いいえ。私は心から、カノンさんが銀のセイレーンで良かったと思っているのです。明日からよろしくお願いします」
どきりとする。
「あ、でもホント、全く役に立たなかったらごめんね。精一杯がんばるつもりだけど」
するとライゼちゃんはまたにっこりと笑ってくれた。
その笑顔は何度見ても可愛らしくて。
(きっと男の子なら確実にクラっときちゃうよね)
そしてふと頭に浮かんだのは、あの男の子。
「ねぇ、ライゼちゃん。ブライト君のことなんだけど」
「はい」
「幼馴染って言ってたでしょ? ってことは昔からお互いのことをよく知ってるってことだよね」
「はい、そうですが……?」
きょとんとした顔のライゼちゃんに私は思い切って訊いてみる。
「二人とも、好きとか、そういう気持ちはないの?」
途端、ライゼちゃんが慌てたように首をぶんぶんと横に振るう。
「あ、ありません! そんな、ブライトは私のことをそんなふうには見ていませんし、私も考えたこともありません!」
「え~? そうなの?」
ちょっと悪ノリして言ってみる。
(私が見るに、少なくともブライト君はライゼちゃんのこと好きだと思うんだけどなぁ)
まだ彼の姿を見たのはあの時一度だけだけれど、あの心配のしようは幼馴染とか守り役とか、そういうもの以上の感情があったように思えた。しかし。
「そうです! ……それに、私にはもう婚約者がいますから」
恥ずかしそうに俯いたライゼちゃんを見て、一瞬思考が停止する。
――婚約者?
「え、えぇ!?」
「ほぉ?」
私の大声と、それまで黙っていたセリーンの面白がるような声が被った。
「ら、ライゼちゃんて、今いくつ!?」
「私は今、13です」
「13で婚約者!?」
「はい。私は早くに子を産まなければならないので……」
「あ……」
ライゼちゃんのそのはにかんだ笑顔を見て、サーっと血が引いていく。
(そうだった。ライゼちゃんは……)
瞬間謝罪の言葉を口にしそうになって、寸前で止める。……ここで私が謝るのは、何か違う気がした。
「その婚約者さん、良い人?」
「はい。少し無口ですが、優しい人です」
「そっか。良かった」
そして、少しの沈黙。
今まで気にならなかった虫の声が煩いくらいに耳に響く。
13歳。私よりも4歳年下の女の子。
日本で言うと、まだ中学一年生くらいだ。
私はその頃、何を考えていただろうか。
きっと、友達と遊んで、勉強して、他愛も無いことで喜んだり悩んだりしていたはず。
――ライゼちゃんはその小さな身体に一体どれ程のものを背負っているのだろう。
結局、沈黙に耐えられなくなったのは私だった。
「そういえば、ラグたちはお風呂どうしてるんだろう。こういう泉が他にもあるの?」
何気なく訊いた途端だった。
ライゼちゃんが急に焦ったように立ち上がった。
「そ、そうでしたね。そろそろ出ましょうか。ひょっとするとラグさんもこの泉へ入りに来るかもしれません」
「え、えぇ!?」
私はまたも大きな声を出してしまった。




