36.守り役
「誰です!?」
夜の闇に凛と響く声。――ライゼちゃんだ。
矢の飛んできた方向を鋭く見据えるその表情は威厳に満ち、先ほどまでの可愛らしい少女の顔ではなくなっていた。
私も屈んだまま恐る恐るそちらへ視線を向ける。
がさりと茂みの向こうで人影が動いた。
そして現れた人物を見てライゼちゃんは驚きの声を上げた。
「ブライト!」
ライゼちゃんの動揺した顔を見て、私はもう一度その人物を見上げる。
(ライゼちゃんの知り合い……?)
ブライトと呼ばれたのはライゼちゃんと同い年くらいのひょろりとした少年だった。
彼もやはり褐色の肌で、長い黒髪を後ろで三つ編みにしていた。
その手に弓を握り締め気まずそうにライゼちゃんを見つめていた彼は思い切ったように口を開いた。
「ライゼ様、一体どこに行ってらっしゃったのですか! この者たちは何者です!?」
私達の方を指差しながらまくし立てる少年を、ライゼちゃんはまっすぐに見返す。
そこにもう動揺の色は見えなかった。
「彼らは私の恩人です」
「恩人……? どういうことですか! 何も言わずに出て行かれて、私がどんなに心配したか!」
「心配を掛けたことは謝ります。ですが、いきなり矢を放つとはどういうことです」
怒りを含んだその声に、少年の方がたじろいだ。
溜息を吐きナイフを仕舞ったラグを見て、私はゆっくりと起き上がる。
多分、もう攻撃されることはないだろう。
セリーンはまだ剣を手にしたまま静かに彼らのやり取りを見つめていた。
「その者たちが、ライゼ様を連れ去ったのだと……思ったのです」
明らかにしどろもどろになって答える少年。
ライゼちゃんは小さく息を吐くと、私達の方を向いた。
「大変失礼いたしました。カノンさん、お怪我はありませんでしたか?」
「うん、大丈夫。……えっと、彼は?」
「彼は私の幼馴染で、ブライトと言います」
「幼馴染……?」
(それにしちゃ、言葉遣いとかやたら他人行儀な気が……)
ライゼちゃんは神導術士として、このフェルクの人たちに大切にされていると言っていた。だからなのだろうか。
「ライゼ様、まだ私の話は終わっていません。今まで一体どこに行ってらっしゃったのですか。それにその格好は……」
「ブライト、この方々は長旅で酷くお疲れです。早く休ませてさしあげたいのです。詳しい話は明日します」
「は!? ま、まさかこの者たちを泊めるおつもりですか!?」
彼、ブライト君の声がひっくり返る。信じられないといった顔だ。
「ブライト、明日また来るんだ」
そう低い声で告げたのはヴィルトさんだった。
つい先ほどまで気分悪そうにしていたのに、今はそんなこと微塵も感じさせないほどの威圧感があった。
流石のブライト君も口を噤み、一礼して背を向けた。でも。
「ブライト!」
「はっ」
ライゼちゃんの呼びかけにブライト君はすぐさまこちらを振り返りその場に跪いた。
「私たちが不在だったことは、皆には……」
「ご安心を。まだ誰にも言っておりません」
「そうですか、ありがとう」
そして今度こそ、ブライト君は闇の中へと走り去っていった。
それを見送りながらほっと溜息が漏れる。
(でも、ちょっと可哀想だったような……)
「本当に申し訳ありませんでした」
「ううん。でも、いいの? 彼、心配してくれてたんでしょ?」
「ブライトは普段はとても温厚なのですが、心配性で。でもまさか矢を放つなんて……」
「本当に黙って出てきちゃったんだね」
「はい。言ったら反対されることはわかっていましたから」
「僕もお父さんもびっくりしたんだよ! いきなり姉ちゃんがランフォルセまで行くっていうからさ」
ラウト君が笑顔で言った。
びっくりした、なんて言っているけれど、本当は嬉しかったのだろう。
ラウト君の表情からそう感じ取って私は「そっか」と微笑んだ。
そして、あの上空から見えたテントの前までやってきた私達。
その円錐状のテントは見上げるほどの高さがあり、こうして近くで見ると結構な迫力があった。
でも床の面積はそこまで広くないように見える。
この人数で果たして寝られるのだろうかと不安になったときだ。
「申し訳ないのですが、ここには女性しか入ることができないのです」
ライゼちゃんのその言葉にラグの眉がぴくりと上がる。
「お兄さんとブゥは僕とお父さんと一緒ね! ほらあそこに見えるでしょ? あそこが僕達の家」
ラウト君が指差した方を目を凝らして見ると確かにもうひとつ家らしきものが確認できた。
そちらはテント型ではなく、丸みのある建物だった。
「別の家に住んでるってこと?」
「はい。遠い昔から神導術士はここに。その家族はあちらにという決まりになっているのです」
家族なのに別の家で過ごすなんて、近くとはいえ少し寂しい気がした。
これもライゼちゃんが特別な存在だからなのだろうか。
幼馴染だと言っていたあのブライト君も彼女のことを「ライゼ様」と呼んでいた。
そんな彼女にこの国を救って欲しいとお願いされて今私はここに居る。
そう思ったら急に不安になってきてしまった。
「ライゼちゃん、明日私は何をすればいいの?」
知らず胸を押さえながら訊く。
(まさか、ステージ上で歌うなんてことはないよね……?)
するとライゼちゃんは優しげに微笑んだ。
「明日は、まずブライトに話をしようと思います。カノンさんが銀のセイレーンであるということも……」
彼女曰く、ブライト君はライゼちゃんと国の人たちとの間を行き来する、所謂パイプ役を担っているのだそうだ。
そしてライゼちゃんの守り役……ボディーガードでもあるらしい。
「その後で、少しずつ皆にカノンさんの歌を聴いてもらおうと思っています」
少しずつ、という言葉にほっとしながらも、やはり肩が少なからず重くなった気がした。
(でも、がんばらなきゃ!)
――そして、そのために一つやらなければならないことがある。
「じゃあ姉ちゃん、また明日ね。おやすみなさい! お父さん行こう!」
ラウト君に手を引かれながらヴィルトさんがそちらに足を向けた、そのとき。
「父さん、ラウト! 本当にありがとう!」
ライゼちゃんが言うと、ラウト君は振り返ってにーっと笑い、ヴィルトさんもふっと表情を和らげた。
次いでこちらに背を向けたラグを私は慌てて呼び止める。
「あ、ラグ!」
彼は相変わらず不機嫌そうにこちらを振り返った。
私は小走りで彼の元へ行き、皆には聞こえないよう声をひそめて言った。
「あのね、お願いがあるの。みんなが寝た後でまたここに出てきてもらってもいい?」
「……あぁ」
「ありがとう! じゃあねブゥ!」
「ぶっ」
怪訝そうに眉根を寄せながらも頷いてくれたラグに満足し、私はセリーンたちの方に戻った。
――ビアンカに乗っている間、ずっと考えていたことがある。
私は気を引き締めて、そのときを待つことにした。




