26.亡霊
「さっきの兵士、私のこと生け捕りにするって言ってたね。……見つかっても、すぐに殺されることはないってことかな?」
私は眠ったように目を閉じているラグに小さく声を掛けた。――彼はすでに元の青年の姿に戻っている。
寝ていない証拠に、その眉根にはいつもよりも深い皺が刻まれていた。
おそらくこの後のことを考えているのだろう。邪魔してしまっただろうか。
この辺りは本当に静かで、耳を澄ますと低い潮騒の音が聞こえてくる。
夕暮れが近いのか、頭上にある狭い空がさっきより大分色濃くなった気がする。
予想通り、あれから兵士達は現れていなかった。
と、ラグの空と同じ青い瞳がゆっくりと開いた。
「どうだろうな……。銀のセイレーンは一応伝説上の人物だ。捕まえて調べたいのかもな」
「調べる!?」
手術台に縛り付けられ兵士達に囲まれている自分の姿が脳裏に浮かんで慌てて打ち消す。
「それか、その力を利用したくなったか……」
「利用?」
「なんにしろ、他の国に渡って欲しくはないだろうな」
「……私って、そんなに凄いのかな」
「全くそうは見えねぇけどな」
全く、を強調されて少しむっとする。
「そりゃそうだよ。向こうじゃ普通の女子高生だったんだから……」
小さくぼやいていると、彼は急に人を哀れむような目で私を見た。
「な、何?」
「……そういや言ってなかったけどな。伝説では『銀のセイレーン』は絶世の美女だとされてる」
「美女!?」
「その美貌と美しい歌声で世界を破滅へと導く、ってな」
私が目をまん丸にしていると、ラグは視線を外し盛大に溜息を吐いた。
「ちょっ、ちょっと! 今のすっごく失礼! そりゃお世辞にも美女なんて言えないけど」
私が憤慨していると、ラグの目つきがまた変わった。
今度は真剣な、危険を察知した目だ。
私はすぐに口を閉じて身を硬くする。
耳を澄まして聞こえてきたのは、足音だった。
それが私の背後から響いてくるものとわかり、急いで振り返る。
だがそこにあるのは先ほどよりも濃くなった闇だけ。
(まさか、亡霊……!?)
兵士達の話を思い出してぞっとする。
走るわけでなく、一歩一歩ゆっくりとこちらに近づいてくる足音。兵士達のものではない。
「ちっ、ここの住人か?」
ラグは立ち上がり私を見下ろした。
「もう立てるな」
「う、うん。……多分」
私は言いながらゆっくりと立ち上がった。
眩暈はない。足もふらつかない。
本当に平気なようで私はほっと胸を撫で下ろした。
ラグもそれを見て少しだけ安堵したような表情を見せた。
「よし、行くぞ」
私は頷き、ラグに続いて路地に出た。
相変わらず人気は無い。路地だけでなく、建物のどの窓も向こうは真っ暗で人の気配がまるで感じられなかった。
あの賑やかな大通りに比べるとここだけがゴーストタウンのようだ。
「どうするの?」
「もうすぐ日が沈む。それまでまたどこかに――」
と、その時だ。
「いたぞー! あの娘だ!」
その大声に驚き振り向くと、路地の向こうで数人の男達がこちらを指差していた。
兵士ではない。しかし皆手には何かしら武器になるものを持っている。
「何で! 兵士じゃないよ!?」
「ちっ、自警団も加わりやがったのか! 走るぞ!」
私は震えそうになる足を叱咤して地面を蹴った。
(自警団? 敵は兵士だけじゃないってこと……!?)
背後から追って来るバタバタという足音。あの金属音ほどではないがその数の多さは十分に恐怖だ。
必死に走りながら思い出す。
初めてこの世界に来た日も兵士達にこうして追い掛けられた。
あの時のラグは子供の姿だったけれど、今のラグなら……!
「ラグ! 魔導術は!?」
「術は最終手段だ! 今使っちまうと兵士達に出くわしたときに使えなくなっちまう! なんとか撒くんだ!」
ラグの酷くイラついた声が返ってくる。
そうだ。最悪な敵はやはり兵士達。
この迷路のように狭く入り組んだ路地ならどこかにまた隠れられる場所があるかもしれない。
私は走りながらきょろきょろと視線を巡らせた。――それがいけなかった。
ラグの背中だけを追っていれば良かったのだ。
気付いたときには、彼の姿はなかった。
「うそ!?」
思わず足を止めて辺りを見回す。
やはりラグはどこにもいない。
いつの間にはぐれてしまったのだろう。
でも戻ってラグを探している時間はない。
まだ姿は見えないが確実にこちらに近づいてくる複数の足音。
私は荒い息をどうにか整えまた走り出した。
(どうしようどうしようどうしよう……!)
急に一人になってしまった私は、完全にパニック状態に陥っていた。
この世界に来てからいつも助けてくれる誰かが近くにいた。
それが、こんな最悪な状況でひとりぼっちになってしまった……!
(ラグ! セリーン! ――エルネストさん!)
私は心の中で泣き叫びながら白い建物の間を縦横無尽に走った。
ただ闇雲に、背後から迫る足音から逃げることだけを考えて。
でも土地勘の無い私はすぐに行き詰ることになる。
目の前の高い白壁にドンと手をついた。
「行き止まり!?」
戻ろうと壁を背にするが、そこで私は最悪な音を耳にする。
ガチャガチャという金属音。――兵士たちだ!
(そうだ、歌!)
私はお城を脱出したときのことを思い出す。
あの時も目の前には高い壁があった。
乗り越えるなら、あのとき歌ったあの歌しかない。
息を吸い込んで、でもすぐにまたその息を吐き出す。
――歌い終わったあと、さっきみたいにまた動けなくなったら……?
今は一人。動けなくなっても誰も助けてはくれない。
でも足音はもう間近に迫っていた。
私は頭を振って自分を落ち着かせる。
(飛べれば、上からラグを見つけることだってできる!)
意を決して再度口を開いた――そのとき、ガンっという大きな音が響き心臓が飛び上がった。
「ぐあっ!」
「な、なん……ぎゃああぁ!!」
「うわぁあ!」
すぐそこの角の向こうからそんな恐ろしい叫び声と、けたたましい金属音が続けざまに聞こえてきた。
(な、何!?)
一際大きな金属音が響き渡った後、急に辺りはシンと静まり返った。
ごくりと唾を飲み込む。
足音が消えたことから、おそらく追っ手が何者かに倒されたのだ。
(もしかして、ラグ……?)
私は覚束ない足取りでその角を曲がった。
「!?」
だが、その都合の良い予想は外れた。
地べたに倒れ込む兵士たちの中心に立つ人物。
それはラグには似ても似つかない、褐色の肌をした大男だった。
彼の真っ黒な瞳が私を捕らえる。
(闇の民……亡霊!?)
一気にそこまで連想されて、私はヘナヘナとその場に尻餅をついた。
迫力に気圧されてしまったのだ。
筋肉隆々、背は190は優にあるのではないか。
その大きな手には太い棍棒のようなものが握られていた。
あんなもので殴られたらひとたまりもないだろう。
見ると、倒れた兵士の甲冑にぼっこりとへこみができていた。
男が、のっそりと私に近づいてくる。
(もう、ダメ……!)
思わず目を瞑ったそのとき。
「やったね、お父さん!」
(へ?)
この場には似つかわしくない無邪気な声に私はぱちりと目を開けた。
大男の向こうに、数時間前に助けたあの男の子がいた。
そしてその後ろで、あの時の白髪の少女がにっこりと微笑んでいた。




