25.歌の代償
頭からサーッと血が下りてくるような感覚。
確かにここ数日ろくなものを食べていない。今日も起きてすぐに硬いパンのような食べ物を少し齧ったきりだ。
でも今はそんなこと言っていられない。気力でなんとかするしかない。
私はもう一度立ち上がろうと足に力を入れた。が、結局すぐにお尻を着いてしまった。
「なんで……?」
私は呆然と自分の力の入らない足を見つめる。
と、それを見ていたラグが眉間を押さえて深い溜息を吐いた。
「ったく、体力も十分じゃねぇのに歌うからだ。言ったろ、セイレーンは自分の力を歌にするって」
「そんな! だって前に空を飛んだときは……」
「あん時はお前気絶してただろうが」
「あ。……で、でも向こうの世界じゃこんなこと無かったし……っ」
言いながらもう一度立ち上がろうと試みるが、やはりダメだった。
(早く、逃げなくちゃいけないのに!)
気持ちばかり焦って泣きそうになってくる。
「しばらく動けないだろ。昔のオレと一緒だ」
「え?」
「術の扱いに慣れないうちは自分の力ばかり消耗しちまう」
言いながらラグは石畳の地面に耳を付けた。
「ちっ、もう近くまで来てやがるな」
「うそっ!」
ラグの顔にも焦りが見えて、私は青ざめる。
「ったく、しょうがねぇな。……背中に乗れ」
ラグがこちらにその小さな背を向けた。
「でもその身体じゃ」
「いいから早くしろ! 見つかったらその場で殺されるぞ!」
その必死な表情と恐ろしい言葉にギクリとして、私は急いでラグの肩に両腕をかけた。
しかし完全に負ぶることなど出来るはずもなく、足は地面に着いたままだ。
「うっ……おも……」
「だ、だからムリだって!」
「うるっせぇっ……お前もなるべく足に力、入れてろ!」
言いながらラグはゆっくりと足を進めた。
「くっそ、なんでオレがこんなこと……」
ぶつくさ文句を言いながらも一歩一歩私を引きずって行くラグ。
真っ赤になったその顔を見て、急に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「……役立たずで、ごめんね」
「わかってるなら、せめて、大人しくしてて、くれよな……っ」
「うん。……ありがとう」
自分のしたことが間違っていたとは思わないけれど、それによってラグにこうして迷惑をかけているのは事実だ。
私は漸くお礼の言葉を口にして、力の入らない足を精一杯に動かした。
ガチャガチャという金属音が両側から近づいてくる。
身体を縮こませて息を潜める。
金属音――兵士たちの足音が目の前で止まった。
「いたか!?」
「いや、こっちにはいなかった。この辺りに降りたってのは確かなんだろうな」
まだ若い男たちの声。
「銀のセイレーンか……。あのバッソさんをあんな腑抜けにしちまうんだ。生け捕りなんて無理があるよな」
不安げに話す兵士たち。
バッソさんというのはおそらくセリーンと剣を交えていたあの兵士のことだろう。
剣を落とし頭を垂れたあの兵士を思い出しながら、私は小さなラグの後ろで口を塞いでいた。でないとこの静かな場所では呼吸さえも響いてしまう気がした。
私たちは今建物と建物の隙間、積み上げられた木箱の影に身を隠している。
その木箱のすぐ向こうで兵士たちの愚痴とも取れる話はまだ続いた。
「しかしよりによってこの区画か。相変わらず薄気味悪い場所だな」
「この間もこの辺りで出たって報告があったんだぜ」
「闇の民の亡霊か……。この雰囲気じゃあ、そういう噂が立ってもおかしくないよな」
(ぼ、亡霊!?)
思わず背後を気にしてしまう。
兵士たちの言うとおりこの辺りは昼間だと言うのに薄暗く、特に今私たちの隠れている場所など建物の影で殆ど真っ暗だ。
「そういやさっきバッソさんが銀のセイレーンと間違えたってのは闇の民のガキだったんだろう?」
「そう聞いたな。子供だけでどうやってこの国に入ったんだか……」
「ひょっとしてそのガキ、亡霊だったりしてな」
「や、やめろよ。……それじゃ、次は向こうを捜すか」
遠ざかっていく金属音を聞きながら、ラグと私の溜息がほぼ同時に漏れた。
「亡霊って、まさか本当に出ないよね?」
「……お前は、亡霊と兵士とどっちが怖いんだ」
「え? あ~……どっちも」
「あっそ」
呆れたように言ってからラグは木箱の横から顔を出し辺りを見渡した。
私もその場で再度立ち上がろうと試みるが、やっぱりふらついてすぐに手をついてしまった。
でもさっきのような酷い眩暈はない。
確実に回復しているのがわかって少しほっとする。
「このままここで日が暮れるのを待つか。一度確認したんだ。しばらくは来ないだろ」
言ってラグは木箱を背に腰を下ろした。
「そうだね。その間にラグも元の姿に戻れるだろうし」
「戻れたとしても、結局この国に居る限り同じことの繰り返しだ。……こうなりゃ船を奪うしかねぇか」
「!?」
穏やかじゃないその言葉にぎょっとする。
「そ、そんなことするの!?」
「他にこの国を出るいい方法があるなら言ってみろよ」
そう問われて口を噤む。
……無論、この世界に飛行機などないだろう。
海を渡るには船しかない。
だが今の私達は港に入ることすら難しい。
ラグが元に戻って術が使えるようになれば、兵士達をどうにか突破して船を奪うことも不可能じゃないだろう。
でも船を奪うという行為は明らかに犯罪で、関係のない人たちまで巻き込むことになってしまう。
もっと何か良い方法がないだろうか……。
必死で頭をめぐらせていたその時、私のお腹からグゥ~という気の抜ける音が響いた。
バっとお腹に手を当てるがもう遅い。完璧にラグに聞かれてしまった。
(最悪だ~~!)
こんな時にお腹が鳴るなんて……。
情けなくて恥ずかしくて私は真っ赤になって顔を膝に埋めた。
ラグの小さな吐息が聞こえて、また呆れられてしまったと更にへこむ。
――と。
「ほれ、これ食っとけ。……まだ長いぞ」
目の前に差し出されたのはコロンとした小さな丸い包みだった。
お礼を言ってその包みを受け取り開けてみると、出てきたのはどう見てもチョコレートだった。
私は目を見開いてすぐさまそれを口に入れる。
とても甘くて、耳の下がジーンと痺れる感覚。
お菓子なんて食べたのは何日ぶりだろうか。
両頬を押さえて思わず幸せを噛み締めていると、
「……お前、本当に伝説の銀のセイレーンなのか?」
またラグに呆れられてしまった。




