2.美しい人
「取調べまでここでおとなしくしていろ」
そう言われ、私は暗く狭い部屋に放り込まれた。
重い金属音がして向こう側から鍵を掛けられたのがわかる。
――鼻につく、酷いカビのにおい。
石壁で四方を囲まれたその部屋はどう見ても“牢屋”としか思えなかった。
出口は今入ってきた頑丈そうな鉄の扉と、天井近くにある小窓。
当然のようにその小窓は手を伸ばしても絶対に届かない位置にあって、そこから少しだけ淡いオレンジの光が漏れていた。
壁に取り付けられた小さな燭台以外、ベッドも椅子も何も置かれていない牢屋の中で私は少しの間呆然と立ち尽くす。
「トイレに行きたくなったら出してくれるんでしょうね……」
呟いた声が壁に冷たく反響して消えた。
ここはお城の中……厳密に言えばその離れにある、お城に比べたらとても簡素な造りの建物の地下だ。
お城はやはり西洋風のもので、その周囲はこの建物も含めぐるりと高く厚い塀で囲まれていた。
大きく立派な城門を抜け、間近でお城を見上げたときはその荘厳な佇まいに思わず口がだらしなく開いたままになってしまった。
「どうせなら観光で来たかったよ~」
長い溜息をつきながらとりあえずその場に座ることにする。
……とにかく、今の状況を整理しなくては。
私は薄暗い地下牢の中で一人、頭をフル回転させる。
数十分前、確かに私は日本の高校にいた。
そこで楽譜を見つけて……その楽譜は先ほどの兵士に没収されてしまったけれど、気づいたらこの西洋風な街にいた、と。
見慣れない服を着た人々。そして日本もアメリカも知らないと言った兵士達。
先ほどから頭を過ぎる、まさかの嫌な予感。
「もしかして此処って、“異世界”とかって、やつ……?」
自分で言いながら軽く眩暈がした。
主人公がいきなり別の世界へ迷い込んでしまうという小説や漫画で良くあるストーリー。
でもこれは紛れも無い、今自分の身に起こっている確かな現実だ。
(あ、でも過去の世界ってことも考えられるかも?)
どちらにしてもこんなこと俄かには信じられないが、というより信じたくは無かったが、今はとりあえずこれからどうするかを考える方が先決だ。
別の世界にしろ過去の世界にしろ、独り知らない世界に来てしまって今牢屋にいるという状況。どう考えてもこの先良いことが待っているとは思えない。
でも不思議と言葉は通じた。それだけが唯一の救いだった。
これで言葉も分からなかったら、もう泣くしかなかっただろう。
いや、すでに十分に泣きたくはあったけれど、それよりもわからないことが多すぎて泣くに泣けなかった。
先ほど私を見て明らかに動揺していた街の人たち。銀に変わった自分の髪の毛。そして、
「銀のセイレーンって、何なの~?」
我ながら情けない声で叫ぶ。
元いた世界に今すぐ帰りたい。
でも此処に来た方法もわからないのに、帰る方法なんてわかるはずが……。
「あっ、あの曲!」
そうだ。私はあの楽譜の曲を口ずさんだ。そして気付いたら此処にいた。
(あれがきっかけとしか思えない!)
でも、今手許にあの楽譜はない。
私は一度口ずさんだメロディーを思い出そうと頭を押さえ目を瞑った。――その時だ。
「歌っても無駄だよ」
突然声がした。
ぱっと目を開け私はそのままその瞳を大きく見開く。
今さっきまで誰もいなかった空間に、人が浮いていた。
でも驚いた理由はそれだけじゃなくて――。
(うっわぁ~!)
見事な金髪、見事な碧眼。
そして体格から男の人だとわかるが一瞬女の人と見間違いそうな、見事な美貌。
そんな人がこちらを見下ろし優しく微笑んでいた。
完全に場違いなその美しい人に私は一時目を奪われてしまった。
しかしすぐに不自然さに気づく。
その人の身体は宙に浮いている上に、透けていたのだ。
「ゆ、幽霊!?」
思わず出てしまったその声は掠れたものになってしまった。
幽霊とか、お化けとか、そういう類のものがすごく苦手な私がそれでも恐怖に感じなかったのは、この人の柔和な雰囲気のせいだろう。
彼がくすりと笑って口を開いた。
「幽霊とは少し違うな。でも……少し正解」
声も素敵だった。“セクシーボイス”という言い方がしっくりくるかもしれない。
「僕の本体は別の場所にいるんだ。今は心だけ飛ばして君と喋っている」
言われたことの不自然さそっちのけで、私はその声と笑顔にまたしても見とれてしまっていた。
そのとき、彼の額に刺青のような紋様があることに気付く。
(って、見とれてる場合じゃないってば!)
ハタと我に返り私は慌てて訊く。
「あの、さっき歌っても無駄だって……」
「うん。無駄だよ。この世界に来るときに使った曲を歌おうとしたんだろう?」
「この世界って、じゃあ貴方は知っているんですか!? 私が別の世界から来たってこと!」
私は思わず歓声を上げていた。
この人は私を助けてくれるかもしれない!
この知らない世界で、初めて光を見た気がした。……でも。
「全てを知っているわけじゃない」
彼が微笑を浮かべながら続ける。
「今君が歌おうとした曲は、こちら側に来るためのもの。帰ることは出来ないよ」
「なら、どうすれば帰れるんですか!?」
「簡単だよ。帰るための曲を歌えばいい」
「帰るための、曲……?」
私が呆けたように繰り返すとその人は満足げに頷いた。
しかし「簡単」と言われてもそんな曲は勿論知るわけがない。
そんな私の表情を見てか、彼は小さく笑った。
「その曲の楽譜は僕が持っている」
「え!?」
思ってもみなかった、確かに「簡単」な答えに私は一気に拍子抜けする。
でも、それがあれば帰れる!
このわけのわからない世界から……状況から脱出できる!
「お願いします! それ教えてください!」
「うん。……でもね、条件があるんだ」
笑顔で言われ思わずガクリと肩が落ちる。
……やはり、そう簡単にはいかないらしい。
この綺麗な人の笑顔が、急に意地の悪いものに見えてきた。
恐る恐る訊く。
「条件?」
「僕の本体を助けてもらいたいんだ。今ある場所に幽閉されていてね。助けてくれたらこの楽譜をあげよう」
「そ、そんなの無理です! 私だって今こんな牢屋みたいなトコにいるのに、どうやって……」
思わず大きな声が出てしまって慌てて抑える。外に聞こえたらマズイ。
「もうすぐ助けが来る」
「助けって!?」
(貴方が助けてくれるんじゃないの!?)
心の中で叫ぶ。
だが、その人はまたニコリと意味深に微笑むと、
「僕の名前はエルネスト。これからよろしく。君が来てくれるのを待っているよ……」
そう言い残し、スーっと消えてしまったのだった。




