第59話 帰る役をしてください
レナは、後ろを見ていた。
まだ残る人がいる。
声だけの人。
名前だけ戻った人。
輪郭が薄いままの人。
サキはもう帰った。
ほかにも何人かは帰った。
それでも、全員ではない。
レナの足元に、白い線が伸びる。
久我の声が聞こえた。
「白河さん。帰還してください」
レナは目を伏せた。
「まだ、残っている人がいます」
「はい」
「全員は、帰れていません」
「はい」
「それでも、私は帰るんですか」
久我は、答えるまでに一秒だけ置いた。
長い一秒だった。
「帰ってください。戻れない人の記録は、こちらで続けます」
レナは、顔を上げた。
「久我さんが?」
「はい」
「また、冷たい報告書で?」
「必要なら」
レナは、疲れた顔で少しだけ笑った。
「じゃあ、お願いします」
その時、リョウの通信が入った。
顔は映っていない。
声だけだった。
『事故の時、俺は見なかった』
誰もすぐには返さなかった。
『天城に言われて、ゲートから離れた。レナを戻せるって信じた。俺は、見なかった』
リョウの声は潰れていた。
『今度は見る。レナが帰るところを見る』
リョウは、一度だけ息を詰まらせた。
『許されるためじゃない。今度は、見る側に立つ』
事故時に抜けていた斜め上のカメラログが送られてくる。
帰還ゲート前。
レナの肩越し。
久我のログにも、ナツ保存版にも、公式アーカイブにも足りなかった角度。
その空白に、現在のリョウの現場映像が重なる。
見なかった場所を、見る。
久我は、そのログを帰還路補強へ入れた。
安定率が上がる。
六十三。
七十一。
七十九。
帰還可能座標安定限界
残り:三分十二秒
レナは、何か言いかけた。
許したわけではない。
責める時間でもない。
彼女は短く言った。
「帰る役を、してください」
『……分かった』
久我は、画面を見た。
白河レナ
未帰還
生体反応:微弱継続
帰還座標:復元
死亡処理:解除済み
帰還対象
最後の確認項目が残っている。
本人意思
レナは、全国の画面を見た。
「帰る役は、全員でやるんですよね」
誰に言ったのかは分からなかった。
久我か。
サキか。
見ている全員か。
あの日の自分か。
久我は答えた。
「はい」
白河レナは、白い線を踏んだ。
死者たちの階層が、大きく揺れる。
コメントの声が押し寄せる。
レナ様
伝説
ありがとう
死なないで
帰って
帰るな
思い出を壊さないで
帰れ
レナは、足を止めなかった。
「私は最後まで探索者だったんじゃありません」
彼女は、前を見た。
「今も探索者です」
白い線が、光になった。
久我の画面で、帰還状態が変わる。
転送中
座標安定率:七十六
八十一
八十九
死亡固定記録:干渉
追悼アーカイブ:遮断
AI音声メモリアル:死亡固定タグ削除
生存観測:維持
ナツが叫ぶ。
「追悼タグ、使うな。帰還対象で統一」
黒峰が言う。
「白河レナは死亡済みではありません。未帰還。帰還対象。今、帰還中です」
ハルカが、淡々と確認する。
「生体反応、維持」
久我は、キーボードに指を置いたまま、画面を見ていた。
座標安定率:九十六
帰還可能座標安定限界
残り:一分四十秒
帰還ゲートが開く。
救助拠点の白い床に、光が落ちた。
白河レナが、倒れるように出てきた。
誰もすぐには触れなかった。
ハルカの声が飛ぶ。
「確認。勝手に動かさないで」
医療班が走る。
レナは床に手をついた。
指先が白い床をつかむ。
爪の間に黒い煤が入り込んでいた。
血が一滴、床に落ちた。
医療班のマイクが、浅い呼吸音を拾う。
顔を上げる。
唇が動いた。
「……帰れましたか」
誰かが答えるより先に、ハルカの声が飛んだ。
「まだ喋らせない。呼吸確認」
呼吸している。
血が出ている。
汚れている。
生きている。
ハルカの声が、配信に乗った。
「白河レナ。生体反応あり」
久我の画面に、最後の表示が出た。
白河レナ:帰還確認
コメント欄が壊れた。
帰った
帰ったぞ
白河レナ帰還確認
久我、帰した
殺した男じゃない
帰した男だ
レナ生きてる
帰還確認
帰還確認
帰還確認
黒峰が、もう一度頭を下げた。
「訂正します」
声が震えていた。
「白河レナを殺した男ではありません。白河レナを帰した男です」
久我は、画面を見ていた。
指が少し震えた。
それでも、記録した。
白河レナ:帰還確認




