第41話 私だけなら、帰りません
リョウから送られたデータの解析には、四時間かかった。
単独帰還手順は、リョウの端末だけでは成立しなかった。
久我は、黒塗りだらけの操作メモを見た。
「これは手順書ではありません」
ナツが顔を上げた。
「じゃあ、何?」
「鷹宮さんを黙らせるための餌です。ただ、餌にも座標は残っています」
リョウは何も言わなかった。
久我の持つ削除前ログ、ナツ保存版、レナのビーコン類似信号、羽村サキの古い事故ログを重ねると、黒塗りの奥に構造が見えた。
白河レナは、あまりにも多く見られている。
追悼配信
事故配信
切り抜き
アーカイブ
AI音声
コメント
久我のログ
検証動画
白河レナという名前は、死者たちの階層の中で強く残っている。
だから、彼女だけなら引き戻せる可能性がある。
ナツが資料を見て言った。
「レナだけ、見つけやすいってこと?」
「はい」
「有名だから?」
「有名で、記録が多いからです」
「じゃあサキさんたちは」
久我は別の画面を開いた。
羽村サキ
公開配信:少数
事故配信:低画質
切り抜き:ほぼなし
アーカイブ:削除済み
コメント:少数
氏名不明の若い男
最終配信:同接十四人
ナツは黙った。
ハルカが資料の黒塗り前後を読んだ。
「レナだけを強く引くと、周囲の薄い座標が崩れる」
「座標が崩れると?」
「戻れなくなる。おそらく、記録上も消える」
ナツが顔を上げた。
「完全に?」
「可能性が高い」
久我は、先に帰還時予測を表示した。
白河レナ帰還時予測
公式死亡確認:破綻
久我蓮冤罪:崩壊
追悼収益契約:停止
AIボイスカード:販売根拠喪失
天城セイジ:再説明要求
ナツが、声を殺した。
「これだけ見たら、今すぐ押したくなる」
「はい」
久我は、次にシミュレーション画面を開いた。
左側に、死者たちの階層の簡易マップ。
中央に、白河レナの座標。
その周囲に、羽村サキ、氏名不明者、同接十四人の若い男、パン屋になりたかった女の薄い点。
白河レナの点だけが、強く光っている。
久我は、単独帰還案を仮実行にかけた。
白河レナ座標:上昇
周辺座標:切断
羽村サキの名前が、薄くなった。
羽村サキ
羽村。
未登録
空欄
赤いマグカップの画像リンクが灰色になった。
同接十四人の若い男は、名前欄すら出なかった。
ただ、点が消えた。
ナツが、椅子から立ち上がった。
「止めて」
久我は仮実行を停止した。
画面は戻った。
だが、一度見たものは戻らなかった。
ナツの声がかすれた。
「今の、使ったら本当にそうなるの?」
「可能性が高い」
「サキさん、名前まで消えるの?」
「はい」
ハルカが言った。
「二度目の死亡処理だね」
久我はレナ単独帰還手順の要約を書き出した。
白河レナ単独帰還案
利点
白河レナ帰還可能性あり
久我蓮冤罪解消可能性大
社会的影響大
死亡処理構造の破壊効果大
欠点
羽村サキほか未帰還者の座標喪失
死者たちの階層内の薄い記録が消失
対象外の帰還可能性が著しく低下
ナツが言った。
「レナが帰ってきたら、全部ひっくり返るよ」
「はい」
「久我さんが殺してないって、一番強く証明できる」
「はい」
「レナファンも救われる」
「はい」
「でも、サキさんたちが消える」
「はい」
ナツは目を伏せた。
「嫌な選択ばっかり」
久我は通信準備を始めた。
レナのログに残っていた細い応答経路。
ノイズが多い。
安定しない。
長くはつながらない。
座標には使えない。
だが、ノイズを削ると、一定間隔で返答に似た揺れがあった。
声を送る通信路ではない。
それでも、短い問いなら届く可能性がある。
だから、問いを送る。
久我はマイクを入れた。
「白河さん」
ノイズ。
反応なし。
「久我です。聞こえていますか」
白い画面が震えた。
黒い街の影。
遠いコメントの声。
誰かの泣き声のようなノイズ。
『……聞こえ、ます』
ナツが息を止めた。
久我は声を一定にした。
「白河レナ単独帰還案があります。あなた一人なら、帰せる可能性があります」
ノイズ。
レナの顔は映らない。
声だけが返る。
『条件は』
久我は、目を閉じなかった。
「他の未帰還者の座標が消える可能性が高い。羽村サキさんたちは、二度と戻れなくなる可能性があります」
長い沈黙。
久我の中で、初めて迷いが形になった。
レナが帰れば、すべてが変わる。
白河レナが画面に出て、生きていると言えば、公式死亡確認は崩れる。
天城の言葉は弱くなる。
久我を人殺しと呼んだ世論も、戻れなくなる。
レナの家も、ファンも、救われる。
ナツは泣くかもしれない。
リョウも、壊れたままでは終わらないかもしれない。
帰すのが俺の仕事です。
あの日、そう言った。
なら、帰せる道を選ぶべきではないのか。
久我は、仮実行画面の隅を見た。
羽村サキの名前が空欄へ変わる映像が、まだ残っていた。
ノイズの奥で、レナの声がした。
『帰りたいです』
短い声だった。
その一言だけで、久我はレナがどれほど帰りたいか分かった。
家に。
仲間のところに。
まだ終わっていない自分の時間に。
それでも、次の声は変わらなかった。
『私だけなら、帰りません』
短かった。
迷いを見せる声ではなかった。
美談にする声でもなかった。
帰還判断を下す探索者の声だった。
久我は、返事をしなかった。
レナは続けない。
必要なことは、もう言っていた。
全員で帰る。
あの日の控室で、彼女はそういう人間だった。
ボスを倒すことより、全員で帰ることの方が偉い。
勝つ役は私がやる。
帰る役は全員でやる。
その価値観は、死者たちの階層でも変わっていない。
久我は、資料画面を見た。
白河レナ単独帰還案
カーソルを動かす。
棄却。
「了解しました」
久我は言った。
「白河レナ単独帰還案を棄却します」
ナツが小さく息を吐いた。
久我は続けた。
「救出対象を再定義します」
画面に、新しい項目を入力する。
白河レナ
羽村サキ
氏名不明未帰還者複数
死亡処理済み探索者群
久我は、新しい名前を入力した。
白河レナ、および死亡処理済み未帰還者
保存
ナツが目元をこすった。
「冷蔵庫が、人類史上いちばん熱い棄却してる」
声は震えていた。
久我は返事をしなかった。
レナの通信が、ノイズに飲まれかけている。
『久我さん』
「はい」
『帰すのが、仕事ですよね』
久我は、少しだけ息を止めた。
「はい」
『お願いします』
「了解しました」
通信は切れた。
画面には、白いノイズだけが残った。




