第33話 あなたは見てもらえた
サキに案内され、レナはさらに奥へ進んだ。
道は街に似ている。
けれど、街ではない。
交差点には信号の代わりに配信終了画面がぶら下がっている。
路地の奥には、再生ボタンの形をした扉がある。
マンホールの蓋には、コメント欄のアイコンが刻まれている。
たまに、遠くで誰かの最期が再生される。
『戻れ!』
『ゲートが開かない!』
『誰か見てるか!』
『お母さん、ごめ――』
そこで音が切れる。
また、最初から。
レナはそのたびに足を止めそうになった。
サキは止まらない。
「全部に反応してたら、歩けないよ」
「でも」
「分かる。私も最初は全部見た」
サキは前を向いたまま言う。
「助けられると思った。声をかければ、映像の中の人が振り返るかもしれないと思った。でも、あれはもう終わった配信。何度見ても、同じところで切れる」
「なら、今ここにいる人は」
「終わったことにされた人」
その時、レナの足首に白い文字が絡んだ。
帰ってきて。
まただった。
レナは短剣を抜こうとしたが、腕まで白い声に取られる。
ありがとう。
あなたに救われました。
レナ様なら大丈夫。
生きて。
サキは前を歩いていた。
気づいている。
振り返りかけて、止まった。
レナはそれを見た。
サキの背中が、一瞬だけ遠くなる。
助けないつもりだ。
責める気にはならなかった。
サキには、助ける義務がない。
レナは歯を食いしばり、床に膝をついた。
白い声が、優しく首に絡む。
帰ってきて。
帰ってきて。
帰ってきて。
息が浅くなる。
その時、サキが戻ってきた。
「くそ」
小さく吐き捨てるような声だった。
サキはレナの腕に絡んだ文字をナイフの背で押さえつけた。
「こいつら、斬ると増える。押さえて、ずらす」
「助けたわけじゃないのでは」
「今のは、ここがうるさくなるから」
「二回目です」
「うるさい」
サキは白い文字を床へ押しつけた。
レナは腕を引き抜く。
息を吸う。
「ありがとうございます」
「礼は要らない」
「でも、助かりました」
「だから、要らないって言ってる」
サキは立ち上がった。
その顔は、怒っていた。
レナにではない。
自分に怒っているように見えた。
「さっさと行くよ。有名人を連れてると、こっちまで目立つ」
レナは何も言わず、頷いた。
狭い通路を抜けると、広い空間に出た。
地下街の広場に似ていた。
柱が何本も立っている。
天井は低い。
壁には画面が埋め込まれているが、大通りほど明るくない。
そこに、人がいた。
十人ほど。
座っている者。
立っている者。
壁に寄りかかっている者。
顔を上げない者。
ナイフを持っている者。
何も持っていない者。
全員、探索者だった。
ただし、装備はばらばらだった。
低ランク用の安いスーツ。
古いヘルメット。
事務所ロゴが消えかけたジャケット。
個人配信者らしい派手な肩パッド。
公社貸与の簡易装備。
白河レナのようなS級探索者は、いない。
彼らの視線が、レナに集まった。
声より重いものが来た。
「白河レナ」
誰かが言った。
名前を呼ばれた。
その瞬間、周囲の画面が反応する。
白河レナ。
白河レナ。
レナ様。
レナ様生きてる?
白河レナを返せ。
伝説の探索者。
全員生還率一〇〇パーセントの女。
広場の空気が揺れた。
未帰還者たちの顔が険しくなる。
サキが小さく舌打ちした。
「だから名前呼ぶなって言ったじゃん」
「だって本物だろ」
若い男が立ち上がった。
左目の上に古い傷がある。
胸の登録タグは割れていた。
「本物の白河レナだろ」
レナは彼を見る。
「あなたは」
「名前を聞くな」
男は言った。
「どうせ覚えられない」
「覚えます」
「そういうところだよ」
別の女性が、笑った。
笑いではなく、息が漏れたような音だった。
「言えるんだよね。有名な人は」
レナは黙った。
広場の奥から、年配の探索者が言った。
「あなたは見てもらえた」
その声に、ほかの視線が重なる。
「あなたは名前を呼んでもらえた」
「死んだって発表されても、違うって言ってくれる人がいた」
「追悼配信もあった」
「切り抜きもあった」
「検証班がログを掘ってくれた」
「久我蓮が探してる」
久我の名前が出た瞬間、レナの胸が小さく動いた。
外で、久我が探している。
分かっていた。
分かっていたはずなのに、その名前をここで聞くと、呼吸が変わる。
若い男が、割れた登録タグを握った。
「俺の最後の配信、同接十四人だった」
彼の背後の画面が、ぼんやり明るくなる。
画質の粗い映像だった。
若い男が、カメラに向かって笑っている。
『帰ったら、妹の誕生日プレゼント買う。配信収益、今日の分で足りるかな』
コメント欄は、ほとんど流れていない。
がんばれ。
無理すんな。
画質悪いぞ。
妹さんおめ。
四つ。
それだけだった。
画面の中の若い男は、少し照れたように笑っている。
次の瞬間、映像が乱れる。
ゲートの白い光。
警告音。
男の声。
『え、これ帰れ――』
切れる。
また最初から。
『帰ったら、妹の誕生日プレゼント買う』
現在の男は、その画面を見なかった。
「俺は、誕生日プレゼントも買えなかった。妹のコメントが最後に一個だけ来たけど、こっちには届かなかった」
別の女性が、膝を抱えたまま言った。
「私は、最後の配信で事務所を辞めるって言った」
壁に、別の古い映像が浮かぶ。
女の探索者が、カメラに向かって笑っていた。
疲れた笑顔だった。
『今日で最後。帰ったら退所届出す。もう危ない案件は受けない』
コメントは少なかった。
おつ。
やめるの?
まあD級なら無理すんな。
次なにするの?
女は、画面の中で少し迷ってから言った。
『パン屋。朝早いやつ。あれ、ちょっと憧れてる』
そこで映像が飛ぶ。
帰還ゲートの白い光。
通信障害。
誰かの悲鳴。
現在の女は、膝を抱えたまま笑った。
「退所届、出せなかった。パンも焼いてない」
レナは、言葉を失った。
若い男。
妹の誕生日プレゼント。
女。
退所届。
パン屋。
羽村サキ。
プリン。
どれも、攻略の記録ではない。
生きて帰った後の予定だった。
「家族は覚えてる。でも、社会は処理した」
「未帰還後死亡推定」
「調査終了」
「それで終わり」
声が重なる。
罵倒ではなかった。
だから反論できなかった。
「あなたは、見てもらえた」
サキが静かに言った。
レナは彼女を見た。
サキの顔には、怒りがあった。
でも、それだけではなかった。
疲れ。
嫉妬。
諦め。
そして、少しだけ申し訳なさ。
レナを責めることが完全には正しくないと、サキ自身も分かっている顔だった。
「私たちは、誰にも覚えられなかった」
広場のどこかで、画面が明るくなる。
羽村サキの古い探索ログだった。
『帰ったら、コンビニでプリン買います』
若いサキが笑っている。
再生数、二百三十一。
コメント、六件。
そのうち二件は、スパム。
現在のサキは、その画面を見なかった。
レナは見た。
画面の中のサキは、明日も続くと思っている顔だった。
それが、きつかった。
「私は」
レナは口を開いた。
謝るべきか。
違う。
謝って終わる話ではない。
反論すべきか。
違う。
彼らの怒りは、間違っていない。
説明すべきか。
違う。
説明で軽くしてはいけない。
レナは、自分の右手を見た。
白い探索スーツ。
汚れた手袋。
画面に映れば、きっと「痛々しい」「でも美しい」と言われる。
自分の生還率一〇〇パーセント。
それは、ずっと誇りだった。
全員で帰る。
誰かの帰還率が落ちたら戻る。
ボスを倒すことより、帰ること。
間違っていない。
でも、自分が帰れていたのは、自分が強かったからだけではない。
見ていた人がいた。
記録が残っていた。
名前を呼ぶ人がいた。
だから、今も自分はここで「白河レナ」として形を保っている。
では、羽村サキは。
同接二桁。
コメント六件。
追悼配信なし。
事故報告書だけ。
遺体回収不能。
死亡推定。
調査終了。
若い男は、妹の誕生日プレゼントを買えなかった。
女は、退所届を出せなかった。
パン屋にもなれなかった。
その配信は、少しのコメントだけを残して切れている。
レナは、ようやく言った。
「あなたたちの怒りは、正しいです」
広場の空気が、少しだけ止まった。
「私が悪意で何かをしたわけではない。それでも、私だけが見つけてもらえる構造は、あります」
若い男が歯を食いしばった。
「きれいに言うなよ」
「きれいに言ってません」
レナは彼を見る。
「今、かなり嫌なことを認めています」
サキが少しだけ目を細めた。
誰かが、小さく笑った。
本当に小さい。
でも、広場の緊張が一瞬だけ薄くなった。
「私は帰りたいです」
レナは続けた。
その言葉に、何人かが顔を上げた。
「久我さんに、生きていると伝えたい。私が帰れば、あの人が私を殺していないことを証明できます。家族にも、ファンにも、仲間にも、帰りたい」
声は震えなかった。
震えないようにしているだけだった。
「帰れば、外で言えます。白河レナは死んでいない。久我蓮は殺していない。羽村サキさんも、処理済みではない。ここに人がいるって」
若い男が言った。
「なら帰れよ」
その声は、怒りではなかった。
苦しさだった。
「戻って、外で言えよ。俺たちがいるって」
レナは、すぐには答えなかった。
その言葉が、正しいからだった。




