第32話 羽村サキは、ここにいる
人影を見つけたのは、古い駅前広場のような場所だった。
広場といっても、駅はない。
錆びた案内板に似たものが立っている。
時刻表のような板には、配信タイトルが並んでいた。
中層下部・帰還前確認。
白河レナ追悼配信。
新人探索者未帰還事故。
神回まとめ。
最後の三秒。
帰れなかった人たち。
その下に、一人の女性が座っていた。
レナより少し年上に見える。
探索スーツは古い。
袖口がほつれている。
膝にナイフを置き、壁に背中を預けていた。
女性は、レナを見ると顔をしかめた。
「うわ」
第一声が、それだった。
レナは短剣を構えた。
「敵ですか」
「敵なら、最初に“うわ”とは言わないと思う」
「油断させる敵は言います」
「じゃあ、もうちょっと気の利いたこと言うよ。有名人だ」
女性は立ち上がらなかった。
疲れたように、レナを見ている。
怒りもある。
興味もある。
ただ、それより強いのは、距離だった。
近づきすぎない。
離れすぎもしない。
「白河レナさんでしょ」
「はい」
「本人?」
「それを聞かれる状況が初めてです」
「ここだと、けっこう大事。映像だけ歩いてることもあるから」
女性は、顎で壁を示した。
壁際を、白河レナの形をした映像が歩いていた。
足は床に触れていない。
三歩進むたびに、同じ笑顔のフレームへ戻る。
横から見ると、紙のように薄かった。
本人のレナは、それを見て少しだけ黙った。
「本人です」
「S級って、もっと光ってるかと思った」
「今は血と泥で節電中です」
女性は、わずかに眉を上げた。
「それ、言える余裕あるんだ」
「余裕ではありません。探索者の見栄です」
「面倒な職業」
「そちらも同業では」
「廃業手続きされた側だけどね」
女性は、レナの背後を見た。
白い文字が、また近づいている。
帰ってきて。
レナ様。
生きて。
見つけた。
今の表情切り抜きたい。
女性は小さく舌打ちした。
「やっぱり無理。今は名前なし。こっち」
女性は歩き出した。
レナは一歩だけ遅れてついていく。
「名乗れない理由があるんですか」
「ある」
「名前を奪われた?」
「違う」
女性は振り返らずに言った。
「名前を呼ぶと、ここでは寄ってくる」
「何が」
「見ていたものと、見ていなかったもの」
細い路地へ入る。
ビルの隙間のような道だった。
壁の画面は少ない。
声も少し薄くなる。
女性は、壊れた自動販売機の横で足を止めた。
自動販売機には、飲み物ではなく、配信サムネイルが並んでいる。
どれも古い。
再生数が二桁のものもある。
「ここなら少し持つ」
レナは壁に背を預け、息を整えた。
「助けてくれてありがとうございます」
「助けたわけじゃない」
「では?」
「放っておくと、ここがうるさくなる」
「理由が正直ですね」
「三年もいると、だいたい正直になる」
女性は、そこで黙った。
言ってしまった、という顔だった。
レナは彼女を見る。
「三年?」
女性は、目をそらした。
それから、諦めたように息を吐く。
「羽村サキ」
レナは顔を上げた。
女性は、レナの反応を見ていた。
「知ってる顔だ」
「……三年前の未帰還者」
「うん」
「あなたの遺体データが、私の遺体として使われた」
「それも知ってるんだ」
「あなたは、ここにいる」
「いるね」
「なのに、外にはあなたの遺体データがある」
サキは笑わなかった。
壊れた自動販売機の光が、彼女の横顔を白く照らしている。
「それ、私にも分からない」
サキは自分の左腕を見た。
袖口の下で、古いスキャン線のような光が一瞬だけ走る。
腕の輪郭が、皮膚から数センチだけ外れて、すぐに重なった。
「何度か、身体の輪郭だけ外に持っていかれる感じがあった。そのあと、外では“死亡確認”が進む」
「身体情報だけが、遺体として処理された?」
「分からない。そう見えるだけ」
サキは袖口のほつれを撫でた。
「少なくとも、私は自分の死体を見てない。だから、私が生きてるって言うのも、少し違う。死んでるって言われるのは、もっと違う」
レナは何も言わなかった。
サキの言葉は、説明ではなかった。
自分の状態を、自分でも持て余している人間の声だった。
「すみません」
レナは言った。
サキは目を細めた。
「何に?」
「あなたの名前が、私の死亡確認に使われたことに」
「あなたがやったの?」
「違います」
「じゃあ、謝られても困る」
サキは、そう言った。
でも、声は冷たくなかった。
冷たくする体力が、もうあまり残っていないように聞こえた。
「怒ってますか」
「怒ってるよ」
即答だった。
「でも、あなたに怒ればいいのかは、三年考えても分からない」
「三年」
「そう。三年」
サキは壊れた自動販売機に背を預けた。
「三年前、帰還ゲートに入った。家に帰るつもりだった。コンビニでプリン買うつもりだった。そしたら、ここに落ちた」
レナは何も言わなかった。
「しばらくは、救助が来ると思ってた。端末も何度か光ったし、外の声も聞こえた。お母さんの声も、少しだけ」
サキの指が、自分の袖口をいじる。
ほつれた糸を、何度も撫でている。
「でも、そのうち聞こえなくなった。代わりに、手続きの言葉だけが流れてきた」
遺体回収不能。
死亡推定。
調査終了。
壁のどこかから、無機質な声が流れた。
サキは、それを聞いても顔を動かさなかった。
聞き飽きているのだと分かった。
「私たちは死んだんじゃない」
サキは淡々と言った。
「帰されなかっただけ」
その言葉は、叫びではなかった。
だから刺さった。
レナは、自分の端末を見た。
死亡確認済み。
表示はまだ消えていない。
「ここには、他にも?」
サキは、すぐには答えなかった。
代わりに、路地の奥を見た。
そこに、一人の男が座っていた。
膝を抱え、壁にもたれている。
レナは最初、彼も映像だと思った。
肩から先が、壁の画面と同じ色になっていたからだ。
画面の中では、同じ男が何度も笑っていた。
『今日は初配信です。えっと、誰か見えてますか』
コメントは流れていない。
現在の男の肩が、少しずつ壁に沈んでいく。
壁に沈んだ肩は、画面の中の男の肩と同じ動きをしていた。
現在の男がまばたきすると、画面の中の男も一拍遅れてまばたきする。
どちらが本体なのか、分からなくなる。
男は抵抗していなかった。
眠いだけのような顔をしている。
サキが、男の名前を呼んだ。
男の肩が、一瞬だけ壁から戻る。
画面の中の男も、少しだけこちらを向いた。
サキは、もう一度呼んだ。
男はまばたきした。
それだけだった。
レナは息をのんだ。
「呼ばれない人から、こうなる」
サキはそれ以上説明しなかった。
レナも、聞かなかった。




