第25話 第二の配信事故
馬場ケンジは、帰っていなかった。
久我蓮は、その事実を四回確認した。
通話履歴。
位置情報。
欠陥実験映像の公開時刻。
最後のメッセージ。
馬場の端末は、二十三時十二分を最後に沈黙している。
位置情報は、メイズリンク社の旧研究棟から三百メートル離れた国道沿いで途切れていた。
そこに駅はない。
バス停もない。
防犯カメラの死角だけがある。
家族からの返信は、短かった。
まだ帰っていません。
その下に、もう一つだけメッセージが続いていた。
明日の朝、娘の保育園の送り、どうするか聞いていました。
既読になりません。
久我は、その文面を保存した。
馬場ケンジは、証拠だった。
同時に、人間だった。
欠陥実験映像を出したことで、メイズリンク社は揺れた。
スポンサーは距離を取り始めた。
探索者組合は緊急点検を求めた。
公式発表だけを信じる空気にも、はっきりと穴が開いた。
だが、馬場は消えた。
証拠を出せば、事実は動く。
証拠を出せば、人も動く。
逃げる人間もいる。
潰しに来る人間もいる。
そして、消える人間がいる。
端末には、天城セイジからのメッセージが残っていた。
君は正しい。
だから人が死ぬ。
久我は、それを削除しなかった。
スクリーンショット。
受信時刻。
通信経路。
端末複製。
すべて保存する。
怒るより先に、残す。
泣くより先に、復元できる形にする。
消される前に、別の場所へ置く。
いつもと同じ手順だった。
ただ、手順を終えたあとも、画面から目が離れなかった。
正しい情報でも、出し方を間違えれば誰かを危険にさらす。
白河レナを帰すための証拠が、馬場ケンジを消した可能性がある。
久我は、新しいフォルダを作った。
白河レナ生存関連。
羽村サキ未帰還関連。
メイズリンク欠陥関連。
その下に、もう一つ。
馬場ケンジ失踪関連。
天城のメッセージを入れる。
馬場の最後の位置情報を入れる。
家族からの返信を入れる。
ファイル名をつけた。
正しさの代償。
保存。
その時、猫田ナツから着信が入った。
「久我さん、見てる?」
「何を」
「御岳沢ダンジョンの配信。風穴ランナーズ」
久我はすぐに検索した。
御岳沢ダンジョン。
地方大型ダンジョン。
石灰岩の縦穴と地下水路が複雑につながった地形。
観光層もあるが、下層は高難度。
首都圏ほど注目度は高くないが、地方探索者の登竜門として知られている。
配信者グループ、風穴ランナーズ。
登録者数、八十七万人。
白河レナほど国民的ではない。
だが、探索者界隈では有名だった。
軽い掛け合いと、地形攻略のうまさで人気がある四人組。
リーダー、南雲タクミ。
盾役兼ルート判断。
軽口担当、森尾ハヤテ。
足が速く、口も速い。
新人枠、片瀬ユイ。
今回が初の下層実地配信。
配信担当、青井カズマ。
カメラと装備ログ管理。
久我が配信を開いた時、画面はまだ普通の攻略配信だった。
灰色の岩壁。
濡れた床。
天井から落ちる水滴。
ライトに照らされる白い石柱。
地形に特徴があった。
石灰岩の柱が何本も立ち、壁には縦に裂けた模様がある。
足元には浅い水路。
声が、妙に遅れて返ってくる。
『はい、御岳沢ダンジョン下層、通称“笛穴”まで来ました』
青井カズマの声が、少し弾んでいた。
『名前の通り、風が通ると笛みたいな音が鳴ります。聞こえる?』
ぴゅう、と細い音がした。
コメント欄が流れる。
聞こえる
怖い
いい音
地方ダンジョン感ある
風穴ランナーズの地形解説すき
ユイちゃん初下層がんばれ
『怖くない怖くない。ここまでは観光層の親戚みたいなもんだから』
森尾ハヤテが笑う。
『親戚にしては、床が濡れすぎでは?』
片瀬ユイの声は硬い。
『湿度は高いけど、危険度は管理内。足元だけ見て』
南雲タクミが短く言った。
『ユイ、帰ったら何食べたい?』
ハヤテが聞いた。
『え、今ですか』
『今。初下層記念。生きて帰ったら飯がうまい』
『ラーメンです。駅前の、味玉が乗ってるやつ』
『決まり。今日のゴールは下層踏破じゃなくて、ユイちゃんに味玉を食わせることになりました』
『配信タイトル変えないでください』
コメント欄に笑いが流れた。
味玉回
帰る理由ができた
ユイちゃん生きて味玉食べろ
ハヤテ軽すぎるけど好き
南雲さんちゃんと止めてくれるから安心
久我は画面端の装備表示を見た。
生体値。
通信遅延。
帰還補助装置。
ゲート予約番号。
表示は正常。
ただし、帰還補助装置のメーカー欄に目が止まった。
メイズリンク。
型番は、ML-RAS-48。
問題になっていた四十七系ではない。
ただし、同系列。
ナツが通話越しに言った。
「今のところ普通に見える。でもコメント欄がざわついてる。メイズリンク装備だから」
「全員装着していますか」
「カズマのログ画面だと、四人とも。最新型って言ってた」
配信内で、青井が笑っていた。
『いや、心配してるコメント多いけど、今回のはメーカー点検済みです。公社にも確認済み。メイズリンクだからって全部ダメ扱いはさすがにね』
コメント欄が割れる。
点検済みなら大丈夫か
今メイズリンクは怖い
メーカー点検済みって言葉が一番信用できない
でも地方探索者は装備選べないんだよ
風穴ランナーズなら判断できる
ユイちゃんいるんだから無理するなよ
配信は続いた。
南雲がルートを指示する。
ハヤテが軽口を叩く。
ユイが慎重に足場を確認する。
青井がカメラを振り、石柱と水路と標識を映す。
『この先、旧下層連絡路は封鎖中なので、今日は南坑道のBルートで帰ります』
青井が標識を映した。
南坑道B-17。
白い文字。
右上に、斜めの裂け目が走った岩壁。
その下に、赤い古い塗料の跡。
久我は反射的にスクリーンショットを保存した。
理由はまだない。
ただ、特徴的だった。
十一分後、風穴ランナーズは帰還準備に入った。
南雲が言った。
『予定より三分遅れ。ここで切り上げる』
『えー、ボス手前まで行けそうじゃない?』
ハヤテが軽く言う。
『新人の心拍が上がってる』
『ユイちゃん?』
『すみません。まだ行けます』
『行けると帰れるは別』
南雲の声は短かった。
コメント欄が少し沸いた。
リーダーえらい
帰れる判断できる探索者すき
レナ様思い出す
帰るまでが攻略
今その言葉きつい
久我は、帰還ゲート表示を見た。
帰還ゲート番号。
予約認証。
補助装置同期。
正常。
青井が画面をゲートへ向ける。
白い光が、湿った岩壁を照らす。
『じゃあ帰ります。ユイから』
『はい』
片瀬ユイがゲートへ近づく。
その足が、止まった。
久我の視線も止まった。
画面の白が、わずかに揺れる。
音声に、ざらついたノイズが入った。
『あれ』
ユイの声が震れた。
『番号、違いません?』
コメント欄が一瞬で変わった。
え
今なんて
番号?
白河レナと同じこと言ってない?
やめろ
止めろ
帰るな
ゲート止めろ
南雲が叫んだ。
『全員下がれ!』
その声に、白い光が膨れた。
画面が白く飛ぶ。
音が割れる。
ぴゅう、という風の音が、金属を削る音に変わる。
青井の声が入った。
『ゲート切れない! 補助装置が勝手に――』
映像が乱れる。
ハヤテの叫び。
ユイの短い悲鳴。
南雲の低い怒号。
そして、画面は完全には落ちなかった。
白飛びした映像の奥で、何かが映っている。
暗い縦穴。
濡れた岩。
横倒しになったライト。
誰かの荒い呼吸。
配信ステータスは、切断ではなく、不安定。
コメント欄が流れすぎて読めない。
久我は録画を開始した。
同時に、配信映像をローカル保存。
音声分離。
タイムコード取得。
コメント欄保存。
ナツの声が通話に割り込んだ。
「白河レナ事故と同じ。いや、完全に同じじゃない。配信が生きてる」
「保存してください」
「もうしてる。検証班にも投げた」
画面の奥で、片瀬ユイらしき声がした。
『ここ、どこ……?』
その直後、配信はまた白く乱れた。




