第20話 白河レナは、死んだ方が完成される
天城セイジは、ホテルのラウンジにいた。
逃げていなかった。
隠れてもいなかった。
窓際の席。
黒いジャケット。
水だけが置かれたテーブル。
周囲には人がいる。
だが、誰も天城に気づいていないように振る舞っていた。
久我は向かいに座った。
ナツは少し離れた席にいる。
スマホをいじるふりをして、録音している。
天城はそれを見ても、何も言わなかった。
「猫田ナツさんは優秀だね」
第一声がそれだった。
「レナの映像を、よく残していた。ファンの愛は、時に企業の保管体制より強い」
「本題を」
「相変わらず短い」
天城は笑った。
柔らかい笑みだった。
怒りも焦りもない。
「君はログを読む」
天城は言った。
「私は人間を読む」
久我は黙っていた。
「君は、時刻、座標、番号、欠損、改ざん履歴を見る。正しい。実に正しい。だから君は安全管理に向いていた」
「白河レナは未帰還です」
「そうだね」
天城はあっさり認めた。
久我の指が止まった。
認めると思っていなかった。
「ただ、世間が求めている白河レナは、もう未帰還の探索者ではない。伝説だ」
「本人が帰っていません」
「人は、本人より物語を先に見る」
天城は窓の外を見た。
「白河レナは、最後に仲間を帰し、自分は深層に消えた。全員生還率一〇〇パーセントの探索者が、最後まで帰還を願って消えた。美しいだろう」
「美しくありません」
「君にはそうだろう」
天城は、久我に視線を戻した。
「でも、多くの人間には美しい。泣ける。語れる。買える。支えられる。共有できる」
「商品ですか」
「物語だよ」
「同じです」
「近いが、同じではない」
天城は水を一口飲んだ。
「生きている探索者は壊れる。失敗する。炎上する。老いる。人気が落ちる。発言を間違える。誰かを傷つける。白河レナも、いつかそうなった」
「だから死んだ方がいいと」
「違う」
天城は即答した。
怒ってはいない。
むしろ、丁寧に訂正する教師のようだった。
「私は、彼女に死んでほしかったわけではない。白河レナを、もっとも美しい形で残したかった」
ナツの席で、スマホを持つ指が止まった。
天城は続けた。
「彼女が一度でも新人を見捨てたら、君たちは失望する。一度でもスポンサーを怒らせたら、切り抜きが回る。一度でも笑えなくなれば、白河レナは白河レナでいられなくなる」
「人間だからです」
「そう。人間だから不完全になる」
天城は、少しだけ目を細めた。
「だが、最高の瞬間に止まった物語は、不完全にならない」
「それは保存ではありません」
「では何だい」
「帰還不能です」
天城は楽しそうに笑った。
「君なら分かるはずだ。白河レナは、生きているより、死んだ方が完成される」
久我は、すぐには反論しなかった。
録音中。
時刻。
音声状態。
周囲雑音。
先に記録する。
怒りは、あとでいい。
「彼女は完成品ではありません」
「もちろん。人間だからね」
「なら、帰す対象です」
天城は、少しだけ嬉しそうにした。
「そこが君のいいところだ」
「あなたのいいところは、まだ見つかりません」
「冷蔵庫が冗談を言うと、部屋の温度が一度下がるな」
天城は笑った。
久我は笑わなかった。
「メイズリンクの外部モジュールに欠陥があります」
「証明できるかい」
「します」
「なら、次に考えるべきは、誰が潰れるかだ」
久我は天城を見た。
天城は静かに言った。
「真実は人を救うとは限らない。真実で燃える人間もいる」
「脅しですか」
「忠告だよ。私は君を評価している」
天城は立ち上がった。
「君は正しい。だが、正しさには通路が必要だ。出口のない正しさは、人を閉じ込める」
天城が去ったあと、ナツが近づいてきた。
「録れた」
「保存してください」
「してる。三重にしてる。あと、今の天城、最悪だった」
「はい」
「でも、言葉だけは強い」
ナツは悔しそうに言った。
「そこがまた最悪」
久我は、録音ファイルを保存した。
証拠九。
天城セイジ発言。




