第2話 これ、帰り道じゃない
白河レナは、強かった。
強い、という言葉では足りない。
戦闘に無駄がなかった。
深層の魔物が床を割って出てくる。
同行の新人探索者が半歩遅れる。
レナは振り返らない。
それでも、彼の退路だけは先に空けている。
刃を振る。
跳ぶ。
着地する。
指示を出す。
「左、下がって」
「そこ踏まないでください。床、薄いです」
「三秒後に右から来ます」
「大丈夫。いまのは想定内です」
配信画面では、彼女が一人で全部を倒しているように見える。
だが久我のモニターでは違う。
彼女は倒しているだけではない。
全員の帰還率を上げている。
新人の心拍数が上がれば速度を落とす。
魔力濃度が乱れれば経路を変える。
カメラ映えする中央突破を選ばず、安全な外周を使う。
派手な勝利より、帰還可能な勝利。
コメント欄は、それでも派手だった。
――コメント欄――
《レナ様最強》
《判断速すぎる》
《今の新人カバーえぐい》
《全員生還率100%の理由これか》
《かっけえ》
《もうボスがかわいそう》
《深層ボス、今からでも謝れ》
《謝って帰してもらえ》
同接は八十二万人を超えた。
天城の読みは当たっていた。
久我は帰還ゲートのログを見続けた。
現在値は正常。
認証番号も一致。
生体同期も正常。
ただ、胸の奥に小さな針が残っている。
予備認証回線。
〇・八秒の切替。
承認者、空欄。
配信開始から二十三分後、久我は別の異常を見つけた。
床圧センサー。
復帰遅延。
映像では、ただの黒い石床に見える。
だがログ上では、その一枚だけ圧力の戻りが遅い。
深層では、床が戻らない時がある。
次に重みが乗った瞬間、割れる。
「白河さん」
「はい」
「三歩右ではなく、二歩で止まってください」
「理由は?」
「三歩目の床圧が戻っていません」
「了解」
レナは迷わなかった。
二歩で止まる。
その横を、新人探索者が走り抜けようとした。
「止まって!」
レナが彼の腕をつかんだ。
直後、三歩目の床が沈んだ。
黒い石が抜け落ちる。
下から白い霧が吹き上がる。
落ちていたら、回収に最低でも十七分はかかった。
新人探索者の顔色が消えた。
「すみません」
「謝るより、帰ってから靴を洗ってください。今、たぶん変な汗かいてます」
「はい」
コメント欄がざわついた。
――コメント欄――
《今の何?》
《床落ちた?》
《久我ストッパー仕事した?》
《仕事したわ》
《冷蔵庫、床も見てるのか》
《冷蔵庫に失礼》
《新人くん生きろ》
《帰るまでが仕事》
久我は返事をしなかった。
自分の仕事が映像になったことに、興味はない。
ただ、数字が正しかったことだけを確認した。
白河レナ隊、全員帰還可能。
それでよかった。
*
配信開始から四十八分後、白河レナは深層ボスの前に立った。
巨大な影だった。
人型ではない。
獣でもない。
黒い岩の塊に、無理やり手足と角を生やしたようなもの。
画面越しでも、質量があった。
新人探索者の一人が、短く息をのむ。
レナが言った。
「ここで終わらせます。でも、無理に前へ出ないでください。勝つ役は私がやります。帰る役は全員でやります」
コメント欄が爆発した。
――コメント欄――
《名言きた》
《帰る役は全員でやる》
《これだからレナ様》
《強い人の言葉だ》
《全員生還率100%の女》
《神回》
《これは歴史に残る》
久我はボスの攻撃予測を補助画面に出した。
右前脚。
衝撃波。
床割れ。
魔力濃度上昇。
帰還ゲートへの影響、軽微。
問題ない。
問題ないはずだった。
戦闘は七分で終わった。
白河レナは最後の一撃を、真正面から入れなかった。
ボスの突進を横へ逃がし、壁面へぶつけ、動きが止まった瞬間に核を砕いた。
派手さより確実性。
それでも映像は十分に派手だった。
黒い巨体が崩れ落ちる。
光の粒が吹き上がる。
レナの白い探索スーツに、青白い光が降る。
同接は、九十一万人。
コメント欄は読めなかった。
速すぎて、文字ではなく流体になっていた。
――コメント欄――
《レナ様最強》
《神回確定》
《歴史に残る》
《やばいやばいやばい》
《帰るまでが神回》
《帰還まで見届ける》
《久我ストッパー、最後頼むぞ》
久我は帰還シーケンスを開始した。
「帰還ゲート、起動準備」
オペレーターが復唱する。
「起動準備。白河レナ隊、全員認証中」
「同行者二名、先に帰還」
「了解。同行者二名、帰還誘導」
レナはいつもそうする。
自分が最後に帰る。
必ず、他の探索者を先に帰す。
一人目がゲートに入る。
帰還成功。
二人目がゲートに入る。
帰還成功。
久我はレナの生体値を確認した。
心拍数、やや高い。
負傷、軽微。
魔力消耗、中程度。
帰還可能。
「白河さん、帰還してください」
通信の向こうで、レナが短く息を吐いた。
「はい。帰ります」
白いゲートが開いた。
配信画面の中央で、レナが一歩近づく。
その時だった。
レナの足が止まった。
「久我さん」
声が変わった。
久我は即座にログを拡大した。
「どうしました」
「このゲート」
レナが画面の向こうで、白い光を見上げている。
「私の登録番号じゃない」
久我の指が、キーボードの上で止まった。
帰還ゲート番号。
表示は正規。
だが、詳細ログの下層に、別の番号が一瞬だけ浮いた。
未登録。
未分類。
転送先、未定義。
レナの左手が、ゲートの光に触れかけたまま止まった。
いつもなら迷わず進む人が、初めて後ろへ重心を引いた。
「久我さん、これ、帰り道じゃない」




