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S級探索者を死なせた男と呼ばれた俺だけが、彼女の生存ログを見つけてしまった  作者:


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第16話 羽村サキの名前

 羽村家は、郊外の古い住宅地にあった。


 駅から二十分歩く。

 途中に小さな川がある。

 住宅の壁には、夕方の光が斜めに当たっていた。


 久我は一人で行った。


 ナツは来なかった。

 ハルカも来なかった。


 軽口の入る場面ではなかった。


 インターホンを押すと、年配の女性が出た。


 羽村サキの母親だった。


 久我は名乗った。


 白河レナ事故の関係者であること。

 羽村サキの記録について確認したいこと。

 失礼な話になること。


 女性は、すぐには返事をしなかった。


 玄関の向こうで、時計の音がした。


 それから、扉が開いた。


 居間には、羽村サキの写真が飾られていた。


 探索者登録時の硬い写真ではない。

 笑っている写真だった。


 少し古いスマホ写真。

 食卓の前。

 小さなケーキ。

 サキはピースをしている。


 写真立ての横には、赤いマグカップがあった。


 縁が少し欠けている。

 中には何も入っていない。


 久我は、そのマグカップを見てから、正座した。


 母親は向かいに座った。


 父親は少し離れた椅子に座っていた。

 背中が丸い。

 手は膝の上で組まれている。


 テーブルの端に、茶色い封筒が置かれていた。


 角が擦り切れている。

 何度も開け閉めされた跡があった。


 表には、公社の事故報告番号が印字されている。


 羽村サキ未帰還事故。

 遺体回収不能。

 死亡推定。


 久我は、その封筒を一度だけ見た。


 それから、順番に説明した。


 白河レナの死亡確認書に偽造の疑いがあること。

 添付された遺体データが、白河レナのものではないこと。

 そのデータが、羽村サキの記録と高い確率で一致したこと。


 母親は、途中で泣かなかった。


 父親も怒鳴らなかった。


 ただ、二人とも、聞いている顔ではなかった。


 言葉が届くまでに、時間がかかっていた。


「サキは」


 母親が言った。


「戻らなかったんです」


「はい」


「遺体は、戻せないって」


「記録では、そうなっています」


「だから、お葬式も、写真だけで」


 母親の視線が、棚の写真へ向いた。


「でも、あったんですか」


 久我は、すぐに答えられなかった。


 ある、という言葉は乱暴だった。

 ない、と言えば嘘になる。


「少なくとも、サキさんの身体情報を含む遺体データが、どこかで保管されていました」


 父親の手が、膝の上で強く握られた。


「誰が」


「まだ分かりません」


「何のために」


「まだ分かりません」


 父親は顔を上げた。


 怒りより先に、疲れがあった。


「分からないことばかりですね」


「はい」


 久我は頭を下げた。


「申し訳ありません」


「あなたが謝ることなんですか」


 母親が言った。


 声は静かだった。


 責める声ではない。

 本当に分からない、という声だった。


 久我は頭を上げなかった。


「俺がやったことではありません」


「なら」


「でも、これから俺は、白河レナさんを帰すために、サキさんの名前を使います」


 部屋が静かになった。


 時計の音だけがした。


 久我は、言葉を選んだ。


 きれいに言えば、嘘になる。

 強く言えば、押しつけになる。

 泣かせに行けば、利用になる。


「白河レナを帰すために、あなたの娘さんの名前を使います」


 久我は言った。


「でも、利用して終わりにはしません。羽村サキさんの記録も、必ず戻します」


 母親は、久我を見ていた。


 父親も、何も言わなかった。


 長い沈黙があった。


 やがて、母親が聞いた。


「サキは、悪いことをしたんですか」


「いいえ」


 久我は即答した。


「低ランクだったから、雑に扱われたんですか」


 久我は、答えられなかった。


 分からない。


 だが、可能性はあった。


 羽村サキはDランク探索者だった。

 白河レナのように同接九十万人を集める人間ではない。

 追悼配信も、メモリアル企画も、限定グッズもない。


 未帰還後死亡推定。


 その一行で処理された。


 母親は、赤いマグカップを見た。


「それ、サキのです」


 久我は、マグカップを見た。


「帰ってきたら、また使うだろうって、片づけられなくて」


 母親は、そこで初めて声を少し詰まらせた。


 泣き崩れはしなかった。


 ただ、言葉の端が折れた。


「三年も経つと、怒り方も忘れるんです」


 久我は何も言わなかった。


「でも、今、少し思い出しました」


 父親が、封筒を指で押さえた。


「これを、何度も読みました」


 擦り切れた封筒だった。


「何度読んでも、同じことしか書いていない。遺体回収不能。死亡推定。調査終了」


 父親は、写真を見た。


「それしか、信じるものがなかった」


 久我は、封筒を見た。


 説明を信じたのではない。


 それしか渡されなかったのだ。


 父親は言った。


「名前を、出してください」


 久我は顔を上げた。


「ただし、サキを白河レナさんのための道具にしないでください」


「しません」


「約束できますか」


「記録に残します」


 父親は、少しだけ眉を動かした。


「変な人ですね」


「よく言われます」


 母親が、小さく息を吐いた。


 笑ったのではない。

 泣いたのでもない。

 ただ、こわばっていたものが少しだけ動いた。


 久我は、改めて頭を下げた。


 羽村サキの写真は、食卓の横で笑っていた。


 その横に、赤いマグカップが残っていた。


 死んだことにされた人間は、まだ家の中に場所を持っていた。


 羽村家を出たあと、久我は駅まで歩いた。


 小さな川の水面に、夕方の光が残っていた。


 久我は、何度か赤いマグカップの色を思い出した。


 記録に残っていないものほど、家の中には残る。


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