02 癒しの魔法
「おはようございます、ケビンさん。殿下に付き添ってよろしいでしょうか」
翌日、殿下のお部屋を訪ねて、護衛騎士のケビンさんにそっと声をかけた。
「おはようございます、エリシア様。大丈夫ですよ、お入り下さい」
優しい笑みを浮かべたケビンさんが、お部屋の中に入れてくれる。
「エリシア様、お体身はもう大丈夫ですか?」
「一昨日はごめいわくをおかけしました。魔法を使いすぎただけなので、元気いっぱいです!」
肩の辺りでぎゅっと両手を握り、元気いっぱい、気合いいっぱいのアピールをする。
ケインさんは微笑ましいものを見るような笑みを浮かべた。
窓際のベッドの横の椅子に座る。
今日の殿下もはふはふと息が苦しそうで、頬は赤く、額は濡れタオルで冷やされている。
その肩まであるサラサラの金髪が枕元に広がっていた。
金色の髪は、王族の色。そう、お母さまから教えてもらった。
「おはようございます、殿下。エリシアです。一昨日はごめいわくをおかけして申し訳ありませんでした。もう大丈夫なので、今日はまず癒しの魔法をかけていいですか?」
少し間があって、殿下が小さく首を振った。
「……いやだ」
小さい、小さい声で、言葉がこぼれる。
ゆっくりと、薄く瞼が開かれる。
その瞳は、澄んだ碧の色。
熱で潤んで揺れる瞳に、窓から入る陽の光がキラキラと反射した。
初めて薄く開かれた瞳に言葉も出ずに見惚れていると、殿下がポツリと言葉を続けた。
「きみが、くるしいのは、いやだ」
その言葉に、泣きそうになった。
殿下は、自分自身が目を開けるのも身動きするのも辛い状態なのに、魔法を使って倒れた私の心配をしてくれたのだ。
私は力いっぱい、ブンブンと首を振った。
「私、昨日お母さまと、いっぱい魔法のれんしゅうをしました! 魔力のちょうせいを覚えたので、もう大丈夫です! たおれません!」
殿下の優しさに半泣きになりながら、滅多に見ることのできない彼の瞳に目を合わせて、全力で力説した。
殿下は、このやりとりだけで体力を使ったのか、ゆっくりと息を吐きながら瞼を下ろす。
そして、こくりと小さく頷いた。
私は、嬉しさで飛び跳ねそうになる心を抑えつつ、布団の上から殿下の胸にそっと両手を置いた。
深呼吸して目を瞑り、身体の魔力を両手に集める。今はまだ朝なので、今日を過ごす体力を残すため少しの力に留めておく。
ふわっと両手が光り、殿下の身体を柔らかく包み込んだ。
「今のは、おはようございますの癒しの魔法です。今日帰る時に、さようならまた明日の癒しをしますね」
昨日、お母さまと考えた作戦だ。
具合の悪い長い夜を越えて、疲れた朝に一回。一日を過ごして体調の悪化しやすい夕方から夜に備えて、さようならをする前に一回。
お母さまも私も、特に魔力が強いわけでもない5歳の癒しなんて気休めのようなものだと思ってはいるが、要は私の気持ちの問題、じこまんぞくだ。
少しだけ、殿下の呼吸が落ち着いたような気がした。
朝は殿下に癒しの魔法をかけて、時々額の濡れタオルを取り替える。
手を繋ぎながら、私は横で静かに本を読む。いつからか、私が長い時間座る用のふかふかの椅子が用意された。
天気のいい日は少し窓を開けていて、暖かな風がカーテンを揺らしながら、優しく頬をなでる。
そして夕方、さようならをして部屋に戻る前に、また癒しの魔法をかける。悲しいことに、魔法の効果はいつも自己満足程度だ。
しばらく、この静かで穏やかな日々を過ごしていたが、二週間が過ぎた頃、その日はやってきた。
「おはようございます、ケビンさん。お部屋に入ってもいいですか?」
いつものように殿下のお部屋にやってきて、ケビンさんにご挨拶した。いつも優しく笑っているケビンさんだが、いつにも増してニコニコしている。
「もちろんです。いつもありがとうございます、どうぞお入り下さい」
ケビンさんに付いて、殿下のお部屋に静かに入る。
「おはよう、エリシア」
部屋の奥から、声が聞こえた。
この部屋には、ケビンさんと私と、殿下しかいない。
誰の声か、驚きと信じられない気持ちでドキドキしながら、ケビンさんの背中からそっと顔を覗かせる。
殿下が、ベッドから身体を起こしてこちらを見ていた。
「おはよう。エリシア」
もう一度。殿下は微笑みながら、朝の挨拶をしてくれる。
私は、驚きや嬉しさや、色々な感情が溢れて言葉にならず、おたおたと両手を動かした。
殿下がはにかみなから言葉を続ける。
「今日は熱が高くなくて。微熱はあるけど、いつもより少し調子が良いんだ」
ベッドに駆け寄って、嬉しさのあまり動揺したまま、殿下の手を両手で握った。
「殿下のお声がきけたぁ」
嬉しくて、もはや半泣きだ。
「いつもありがとう、エリシア。エリシアが側にいてくれて手を握っていてくれるから、とても心強かったんだ」
恥ずかしそうに、優しい声で殿下が話す。
「でんかぁ。ぐす。私のことはエリーでいいです。お母さまや近いひとは、みんなエリーとよぶので」
「じゃあ、僕のことも『殿下』じゃなくて、ミハイル、ミーシャって呼んでほしい。母上は、ミーシャって呼ぶんだ」
「ぐす。ミーシャさまぁ」
「『様』はいらない。ミーシャ」
「ミーシャぁ」
嬉し過ぎて泣けてくるけど、お話できる今のうちに聞いておきたいことがある。
「ミーシャに聞いておきたかったんだけど、いつも私が隣にいて邪魔じゃない?」
「邪魔じゃないよ。むしろ隣にいて手を握ってくれていて、心強くてとても嬉しい」
優しく笑って、ミーシャが答える。
よし! 心置きなく、毎日通おう。
「静かにした方がいい? お話してもいい?」
「エリーの声は鈴か鳴るようにきれいで、ずっと聞いていたいと思ってる。でも、いつもはほとんど答えられないのと、ぼんやりしていて話してくれた内容を覚えられないかもしれない。途中で力尽きて眠ってしまうかもしれない。エリーの話を聞きたいけど、折角話してくれるのに反応もなくて、覚えるどころか寝てしまうのは、エリーもつまらないだろう?」
シュンとするミーシャに、私は全力でブンブンと首を振った。
「私ね、静かに本をよむのも好きだけど、お話することも好きなの。ミーシャがいいのなら、たくさんお話しするし、本も声に出してよむよ!」
「それは、とても嬉しいな」
少し頬を染めてはにかむミーシャは、天使みたいにキレイで可愛い。同じほっぺが赤いなら、お熱で赤いより嬉しくて赤い方がよほど良い。
「癒しの魔法、少しは楽になる? えんりょしないで正直に教えてほしいな」
「いつも魔法をありがとう。魔法をかけてもらえると、エリーの優しい気持ちがふんわり温かく包んでくれる感じがして、とても気持ちがいいんだ。初めての時の魔法はとても身体が楽になったけど、エリーがつらいのは嫌だから、本当に無理はしないでほしい」
心配そうに私を見つめるミーシャ。今日は目を合わせてお話できるから、そのキラキラと碧い瞳がとてもキレイ。
「お母さまと魔力のちょうせいをれんしゅうしたから大丈夫だよ。あと、魔法ををいっぱい使うと魔力が強くなるみたいだから、お母さんがいっぱい使って良いよって」
「それでも。無理はしないでね」
ずっと握っていたミーシャの手が、ぎゅっと握り返される。
「ミーシャのお食事は、パンのおかゆ?」
「うん、パンと野菜のスープ。でも、気分が悪くてあまり食べられないことも多いんだ。」
「味の好みはある? 甘い方が良いとか、しょっぱい方がいいとか」
「朝の体調によるかな。熱が高いと味が薄い方が食べやすいし、少しだけ体調がマシな時は、甘かったりいつもより濃いめのスープが食べたい時もあるよ」
「朝、食事の前に私が聞きに来たら、ひとことだけ教えてもらうことはできる?」
「それくらいなら頑張れると思うけど、それじゃあエリーが大変だよ」
「まかせて! お仕事を任せてもらえると、嬉しいおとしごろなの!」
これは本音だ。ミーシャのお食事係という大事なお役目を全うしたい。
ミーシャは嬉しさと遠慮がないまぜになったような顔をしている。
「ミーシャ。ものは試しだよ! それで少しでもたくさん食べられるようになったら、どんどん元気になるよ!」
「それは、そうだけど……」
まだ、遠慮がちなことをもにょもにょ言ってる。
「僕からも。エリー、毎日来てくれるのはとても嬉しいんだけど、無理をしなくていいからね。エリーも忙しいだろう?」
まだ、まだそんなことを言っている。
私は半眼になってズイっと身体を乗り出し、ミーシャに顔を近づけた。
「私は! お友だちがいないの! そもそも、このお屋敷に、子供は私とミーシャしかいないの! 退屈だし、ひまを持て余してる、ひまじんなの! ミーシャと一緒にいられるのが嬉しいし楽しいんだけど、ミーシャはちがうの!? 私は、ミーシャとお友だちだと思ってるけど、ミーシャはちがうの!?」
ミーシャの顔は、嬉しいような、泣き出しそうな顔に歪む。
「……僕も、エリーと一緒にいられるのは嬉しいし……大事な、友だちだと、思ってる……」
私は、大大大満足の笑みで、細くて小さいミーシャの身体をぎゅうっと抱きしめる。その身体はいつもより熱くなくて、嬉しさを噛みしめつつそのまま癒しの魔法をかけた。




