第6話 遭遇戦
爆発にも似た衝撃が目の前で起きる。
揺れる地面、飛び散る土埃。
それが起きたのは馬車から降りながら馬を休ませつつゆっくりと歩いている最中だった。
甲高い鳥のような鳴き声が響く。
鋭い三本の爪が地面を抉るのが見える。
鷹のような眼光が俺たちを覗いている。
白銀の頭部と落ち葉色の体。
首から下は鳥のそれであるがお腹から先は獅子の後ろ姿。
これは────
「グリフォンです!!」
リィナは焦り馬を反転させる。
馬へとのびる前足に自然と体が動いていた。
昔からそうだった。
思考するより先に体が動いている。
敵のパターン。
攻撃行動。
こんな緊急事態であるのなら知ったことではない。
今見えるのは敵の繰り出す攻撃とその軌道。
それが見えていたからいつでも真っ先に戦えていたのかもしれない。
踏み出した先で刀を上段へと運び前足を弾く。
間一髪、馬への攻撃は避けることができた。
その隙に馬は反転し遠ざかる。
しかしグリフォンは去ることはない。
獲物を馬から俺に変えるようにその鋭い眼光はこちらを見つめていた。
「退きます! お願いします……すみません!!」
その言葉を残して馬車を反転させ去っていくリィナ。
「行ってくれ!! そのための護衛だ!」
刀を再度構える。
目と目が合う。
これだ。
ゲームじゃない。
息遣い。
筋肉の動き。
生々しい匂い。
そんなリアルが目の前にあった。
まずは敵の出方の探り合い。
思考の読み合いが始まる。
すべてがAIの気まぐれだった世界で味わうことのない生々しさ。
しかし、そのすべては忠実にシミュレートされていたかのように思う。
グリフォンは崩れるように横へと駆けだす。
ふと視線から外れたと思った瞬間に前足を巧みに使い攻撃を仕掛けてくる。
それらを刀で受け流し右に左にと避けていく。
何故か今は初日に味わったような体にしみ込んだような何かの感じはない。
戦うのがまるで初心者のような感覚だ。
目の前の敵が次に何をしてくるのかわからない。
だが動き出した瞬間にどう出るのかだけはわかるような気がした。
グリフォンの鼻からこぼれる息遣い。
背より伸びる羽は折りたたまれているが羽毛の一枚一枚が逆立っている。
瞬間、勢いよく飛び出た前足がほほをかすめる。
すかさず前傾を取り腹部へ、次に後ろ足に一撃、二撃と斬る。
グリフォンの悲鳴が聞こえる。
決定的な一撃とはならずさらに激高したグリフォンは苛烈な攻撃を仕掛けてきた。
後ろへ後退しながら前足の爪の斬撃を交わし。
ここぞとばかりに仕掛けると横に一回転するような大振りの蹴りを放ってきた。
すれ違いざまに後ろ足の爪はネコ科特有の鋭い爪が伸びているのが見える。
時折見せる俊敏な動きはこのせいなのだろうか。
そんな鋭い爪のついた足で地面をつかんで勢いよく動き出す。
けれど大振りなその動きはある意味隙だらけだった。
けれど刃を忍ばせ斬りつけようとした途端に羽ばたく。
風を起こし飛びながら後ろへと後ずさり距離をとられてしまった。
にらみ合う目と目。
向き合う刀と爪。
互いに態勢を立て直し向かい合う。
再度密着するような間合いで攻防が再開するのだった。
爪と刀が交わる。
とてつもない威力だった。
前足の一撃を避けるも後ろ足の蹴りが岩を砕き飛ばす。
不覚にもその破片を喰らってしまった。
「うぐ!!」
とても痛い。
その隙を逃さんと前足の爪は勢いよく何度も振り下ろされる。
痛いと言っている場合ではない。
その隙に迫るくちばしが頭を貫かんとするが刀で受け流し致命傷を避ける。
その間にも前足による切り裂きは続く。
受け続ける。
受けて弾いて避けて受け流す。
まるでマシンガンのように繰り出される攻撃。
精いっぱいの防御を試みるが前足を刀で弾いた時。
俺の防御の姿勢は崩れ奴の鋭い爪が目の前に迫った。
「しまっ────」
走馬灯という奴だろうか。
小さい頃の記憶がよみがえる。
ろくな人生ではなかったがろくでもない人生ではなかった。
ああ、遠い記憶だ。
「母さん死んじゃいやだ。俺が……俺が絶対になんとかできるようになるから! それまで生きてほしい」
世の中にはろくでもない親がいるようだ。
そんな親の元で育った人に親孝行は大事なんて言えたものではないのかもしれない。
けれど俺の親はとてもやさしかった。
一緒に買い物に出かけた帰り。
夕焼けを見ながら手をつなぎアイスを買ってくれたりした思い出。
いっぱいいっぱいだろうに一生懸命育ててくれた。
それにこたえようと努力した。
だが、母は病に倒れてしまった。
自身の無能。
無力感を呪った。
大切な家族ですら一人では守れない。
なにもできない。
守るという選択肢がない。
努力しようとも抗えない死に立ち向かう母に向ける言葉はなかった。
しかし否が応でも時は過ぎていく。
その日が来た時に俺は泣き崩れた。
母は朦朧としていてきっと自分が何を言っていることもわからない。
俺も支離滅裂な会話と思い出話をする母を見てもう駄目なのかと覚悟を決めた中、最期に交わした言葉は「ありがとう」だった。
この世界に召喚された理由なんかわからない。
努力した結果。
社会に打ちのめされた。
何もできずに酒屑に落ちる。
無限に続く労働。
無限に蓄積される疲労。
おかしくなる心。
そんな仕事の中で唯一の救いはたくさんの「ありがとう」をもらったことだった。
「ここで終わるわけにはいかない!!」
最期かもしれない。
だが最後の最期まで足掻いてみよう。
どうしてここにいるかよくわからない。
気が付いたらよく見た刀を握っている。
自分がどうかしたのかもしれない。
だがここへ来た初日に見た地獄はまぎれもないリアルだ。
刀は叫ぶ。
そんな現実など一刀両断に斬り伏せるのだと。
そのために今までも足掻き藻掻き苦しみながらも全てを覆す力を蓄え続けた軌跡があるのだと。
その礎の上で紡がれる人の道。
迫りくる太く鋭い爪が俺を捉えたと思われる瞬間に光の壁が両者の攻防を隔てた。
俺の胴体を引き裂かんとする攻撃は弾かれたのだ。
「今です!!」
リィナの声。
内心見捨てて逃げたのではないかと思っていた。
こんな怪物が出てくる道中で得体のしれない人間を雇う。
そいつを餌にすれば安全に通れる確率は上がるかもしれない。
切羽詰まっている事情があったからそれも已む無しかと考えていたが彼女は来た。
刀に集中する。
動けるはずのない体が動いた。
刀と力を奮えるはずのない手が動く。
ふるっているこの刀、剣技が実際に自分の実力ではないのは確かだというのはわかっている。
過信してるわけではなかったと思う。
だが生き残らなければ次はない。
今一度その記憶を使わせてもらいたい。
自然に脳裏にめぐる言葉。
それをなぞる様に身を任せた。
「紫電華撃」
勝手にそう呟いた。
下段より振り上げた刀は上段より急降下する。
その速度は通常のふるう速度の比ではなかった。
すっと入った刃。
ばたりと倒れる音がした。
目の前にいたグリフォンはどこにもいない。
いたのは地面にころがっている二つになったグリフォンだった。
よく見ると頭から胸、足にかけて胴体は二つに分かたれていた。
静かな風が通り過ぎるのを感じる。
息を切らしたリィナがこちらへときた。
「だ、大丈夫ですか?! 怪我は?!」
「なんとか……なぁ。大丈夫だ」
「大丈夫じゃない!! 怪我してるじゃないですか!」
「脇と頬か……」
「動かないでください」
そういうとリィナは周囲を一瞥し右手を傷口にかざしながら金色の錫杖を地面に突き立て傷口を触る。
「遍く光の主神よ。奇跡を私の手にもたらし、かの者に治癒の恩恵を与え給え。サンテイル」
そう唱えた瞬間、緑色の魔法陣が浮かび上がりリィナの右手より光が零れあたたかな感触が伝わってきた。
「ここまで魔物と出くわさなかったのは不自然でした……まさか北方を縄張りにしてるグリフォンがいるだなんて思いもよりませんでした」
「普段出没する魔物じゃないのか?」
「……あんな怪物が頻繁に出てましたら相当な危険地帯です。ですが私の目に狂いはありませんでしたね。ありがとうございます」
「想定の働きができたならよかったよ」
「無茶をしすぎです! 予想以上ですよ……無事でよかったです」
「じゃあおいしい酒を頼むよ」
「任せてください!」
二つになったグリフォンを背に治療を終え二人で馬車へと戻った。
馬車はゆっくりと走り出す。
俺は馬車の中で休んでいた。
夕暮れを背に金色の髪のなびかせながらリィナ。
「すみません」
「どうして謝るんだ?」
「冒険者登録もなしで得体のしれない人。それに素行も……」
「悪いからなぁ……」
「ふふ。自覚はあるんですね」
「そりゃな。酒飲んでばっかだし」
「飲みすぎですよ?」
「見てたのか?」
「いえ、噂で……これから依頼をするんですからそれなりに情報は集めました。ですが町の人たちのために働いててみんな感謝してましたよ?」
「なんだか罪悪感が……」
「どうしてですか?」
「まあ……だいたいは酒を飲むためだったからなぁ」
少し笑いながらリィナ。
「そうなんですね。本当にお酒がお好きなんですね」
「酒は魂を潤してくれるからな。ただ……皆困ってたからな。俺は不器用だし……酒が目的だけじゃなかったのは確かだよ」
「ならいいじゃないですか。依頼すると決めたのは城塞での証拠でしたけどね!」
「なんでわかったんだ?」
「兵士さん方が城塞の掃除を兼ねて調査をしたんです。そこでアロルトさんが敵を全部あなたがやったかもしれないって言ってましたよ? 刀を調べたこともあって魔物達の死因と照合して調べたみたいです」
「そんなことまで調べられるのか?!」
「これが事実だとしたらあなたはこの戦の英雄ですよ」
「英雄ってそこまでの出来事なのか?」
「あのままレラデランが落とされていたら結界は機能せずにそのままメールヴァレイの本隊に落とされていたからです。すぐそこまで本体が来ていたみたいですからね」
「切羽詰まっていたんだな」
「はい。意図せず四大従魔は退くし魔物は片っ端から片付いてるし、アーグレンではその四大従魔の一人も討ちとれるしで中央は歓喜で大混乱だったみたいですね」
「そりゃよかった」
横目に通り過ぎる景色を見ながら馬車に揺られる。
「やっぱり綺麗だ」
夕日がまぶしい。
魔物の遭遇も少なく馬車が軽いこともありルロダンへは想定より早く着きそうだとのこと。
この先の道中に何もないことを祈りながら馬車を止め焚火を起こす。
馬の餌をやり終えたリィナが戻る。
疲れた面持ちで焚火前の丸太に腰掛けた。
「ふぅ……」
「おつかれさん」
「いえいえ、ソラさんこそお疲れさまです」
「また交代で見張りだな。ゆっくり休んでくれ」
「ありがとうございます」
焚火がパチパチと鳴る。
互いに揺れる炎をゆっくり見つめ物思いにふける様に静かな時間が過ぎていく。
触れていいのかわからない。
しかし今回の依頼の元だ。
「これはいまいち聞いていいのかはわからないんだけどさ」
「どうしました?」
「石化病ってなんだ?」
「知らないのですか?」
軽くうなずくと少し驚いた表情でリィナ。
「やっぱり変わってますね。まるでおとぎ話の召喚者……勇者様みたいです」
実際のところ召喚されたので何とも言えないところではある。
「た、ただ世間知らずなだけさぁ……何かこう、体が石になるのか?」
「はい。原因はわかりませんが一説では体内の有り余る魔力が自身を結晶化してしまうと……」
「治らないのか?」
「……はい」
「そりゃつらいな」
仄かに周囲を照らす焚火の音が虚しい。
けれどいつまでもこうしてみていられる不思議な魔力がそこにはあった。
静かな空間に風の音。
その焚火の音が混ざり合って疲労を癒すが心まではどうにもできないだろう。
「見るに堪えないです。日に日にあんなに元気だった妹が石になってく様は……とてもつらいです。それに石化病って残酷なんです」
「残酷?」
「石になったら死ぬんじゃないんです。石になった人の魂はそこにあるみたいなんです。ですから……家族や友達が最期には殺さなくてはならないんです」
「ひどいな……」
想像以上の病気だ。
仮に俺がその立場であったとしたら殺すなんて選択肢は取れないだろう。
「なので私は近いうちに旅に出ると決めているんです!」
「旅にか?」
「はい! 桃源郷の果実を探す旅です!」
「桃源郷の果実?」
「これはここから遠い東のライエンという国の童話なんですけれど」
先ほどの暗い表情と変わり希望を宿した眼差しでリィナは続ける。
「昔々、その昔。
災厄の毒をまき散らす竜が世界を食い荒らしていました。
混沌としており人々も争いの絶えない世界でした。
人々が祭る神ゴウキは嘆き、その竜を討伐すべく部隊を率います。
ですがゴウキには一人の愛する弟が降りました。
名はキンキ。
キンキは災厄の竜に果敢に立ち向かいました。
しかし災厄の竜は兄ゴウキを欺き災厄の呪いを込めた呪詛を込めた噛みつきをしようとしていました。
キンキはとっさに兄をかばいその毒に侵され石となってしまう。
ゴウキは嘆き悲しみました。
しかし最果ての地、深き深淵に宿るとされる果実が弟を癒すだろうと仙人より予言を受けます。
ゴウキは幾多の苦難を払いのけついには桃源郷の果実を見つけ最果ての地より持ち帰りました。
そして弟キンキにそれを与えることで蘇生し力を合わせて災厄の竜を打ち倒しましたとさ。
そんな神話があります」
「だが、それは神話の……」
「そうです。神話の話です。ですが実際にあるんです!」
まるで禁断の果実を探すような宛てのない旅のように思う。
「確証はあるのか?」
残酷な問だ。
希望があるだけいいはずなのにそれを無意識に言ってしまう自分の無神経さに呆れる。
しかしリィナは続けた。
「小さい頃にお父様が学術国家セルエンティアにある大図書館へと連れて行ってもらったことがあります。そこで石化病治療の研究もしているのとライエンの大元の国があるということを知りました」
「そこに桃源郷の果実があるかもしれないってわけか」
「そうです。可能性があるなら少しでも……」
「見つかるといいな」
「はい!」
初日はあまり話さなかったが一難去って俺とリィナは少し仲良くなったような気がした。
その後はゆっくりと夕飯を仕込み。
グリフォンの焼き鳥など初めて作る料理に戸惑いながらも話し合った夜を過ごしたのだった。
なぜかリィナは食べたがらなかった。
結構おいしいのにと思っていたが俺もなぜこんな魔物を食べれているのか不思議でならなかった。