第4話 依頼
仄かに照らすランプの明かりが薄暗いバーをゆったりと照らす。
そんな憩いのひと時に似つかわしくない依頼の話。
スピークイージー。
バーとは時にそういう場でもあったことを思い知る酒屑。
だが、どうしてこのお貴族様がどうしよもない酒屑剣士にわざわざ面と向かって依頼をするのかが解せない。
「どうしてそれを……俺に?」
まず冒険者がいるならそいつらに頼むのが筋だし普通だ。
名もないただの観光客に頼むのは少しどころかすごい世間知らずにも程がある。
加えて他の人からは様付けされている。
護衛ぐらいいてもおかしくないはずだ。
そういえばアロルトも言っていた。
このコートを着るのは、あの方のような僧侶に選ばれた騎士が着るものだと。
俺、本当にこんなの着てて大丈夫なのだろうか。
状況はこんな酒屑に頼まないといけないレベルにまでひっ迫しているのだろうか。
そうは言ってもこの平穏な酒屑ライフを崩したくない。
「あの時、私を救ってくださいました。ですが、あなたはわざと転げるようにあの巨体を転ばせ一突きにし倒しました。そんなことなかなかできることではありません」
「あれは……残念ですがたまた────」
「それに城塞で5000体近い魔物が死体で発見されてました。ほぼ全て同じ武器でやられたらしいです」
「5000?! そりゃすごいな」
200いったところで数えるのをやめた気がするが、いくらなんでも盛られているのではないだろうか。
「はい。とてつもない偉業です。加えて四大従魔の一体が戦闘不能にまで追い詰められていたと情報が入っております」
ありゃ逃げただけだ。
俺が追い詰められはしたものの追い詰めはしてないように思う。
心の中での反論を終え彼女はまっすぐこちらを見つめて続けた。
「あなたは、あの日に一体何をしていたのですか? 場合によっては国家反逆の罪でとりたてることもできるのですよ?」
「お、おお、おおお、おどしか? しかし俺はナニモシラナイ。オイハガレテタだけだ」
予想以上にブルついてしまった。
「どうやってこの国に冒険者登録。商業登録もなく入ってこれたのですか? 入国許可証や入国履歴にもカタナシ ソラという名前はありませんでした。本当に観光目的ですか?」
想定10代後半の少女に脅され、そっぽを向いて沈黙する20代後半の男。
しかしどうだろうか。
ここで私がやったんだと思いますなんて言おうものなら。
この世界で護衛の経験なんて無いに等しいただの酒屑を雇ってしまうことになるんだ。
そんでもってこの護衛に失敗したら────
きっと貴族の何某から難癖をつけられ大変な目に合うかもしれない。
娘様を無事にお届することができませんでしたーごめんなさいーとアメリアの故郷について事のあらましをご家族に伝えたら高貴な家柄の娘の両親は言うだろう。
「かわいい娘をよくも!! きさま……死刑」
「いやぁぁぁぁあああああああ」
────なんてことになりかねない。
だめだ。
そんなことあってはならない。
廃材撤去と建材届けだけでいいじゃないか。
人には分相応というものがある。
どうしてこんな危険をおかせるものか。
ふと矛盾に気づく。
そういえば殺されそうになって敵に囲まれてたがあれは。
いや気づくな俺。
意を決してはっきりと断るんだ。
俺には荷が重すぎる。他をあたってください。
そう口を開こうとしたが遮られる。
「あの場所にいた魔物達の傷……あなたの剣での傷と同じような跡なんですよね……切れない刃物で無理やり倒したような」
「え、ええ? そうなんですか? 同じようなものを使った人がいるんですねー世の中狭いなー」
「どうして知らないふりをするのですか?!」
すると彼女は涙を浮かべてしまった。
無理もないまだ10代の子だ。
「おい兄ちゃん……」
マスターは少し困った顔をしていた。
「先ほどの脅しのような発言は謝罪します。黒と呼べるような人はここの酒場だけでも何人もいるはずです」
ぎくりと周りの一部がざわめく感じが伝わる。
「冒険者の登録もされてない方に頼むのは筋違いだと私も存じております。ですが……こんな状況で戦える人。信頼できる人……頼める人は皆死んでしまいました」
そりゃそうだ。
こんな小汚い酒場まで貴族様が来て頼みごとをするんだ。
よっぽどのことだ。
保身に走ってしまった自分が恥ずかしい。
するとアメリアは俯きながら続けた。
「私には妹がいます。石化の病です。呪いにかかってる妹が……」
「そうか……それは気の毒に……」
マスターが暗い表情でつぶやく。
石化の病とはなんだろうか。
メデューサの顔を見てしまって石化するようなそんな感じなのだろうか。
「つい先日です。両親から妹の容態が悪化したと知らせがありました。王都の復興のお手伝いはルクサーラ神に使える聖女として全うしなくてはなりません。ですが大切な妹の命には変えられないのです。お願いします……私だけでは道中の魔物でも対処が難しいのです。どうか……」
俯きながら動揺のこもった声色。
表情はよく見えない。
カウンターに座ったからにはただまっすくバーに体を預けるのみ。
それが酒屑の掟だ。
しかし横目に見えるアメリアの姿は震えていた。
「すみません。本当は報酬も十分にお支払いできるだけ多くはありません……私の持っているお金はそう多くないのです。うちのアメリア領の特産品のヴァティス酒と家畜のカーベスのお肉でのおもてなしくらいしかできないかもしれません。足りないというのであれば────」
「今なんて?」
「ごめんなさい。こんな状況で足りない分は後日、必ずお支払いいたします。なので────」
「違うその前」
「お支払いできる報酬は少ない……ですか?」
「その後!」
「うちのアメリア領の特産品のヴァティス酒────」
「無事故郷へお届けいたしましょう!!!」
「「え?」」
「涙なんて似合いませんぜ? ご主人様!」
「はぁ……」
マスターのあきれたため息が聞こえた。
「あ……ありがとうございます!」
保身。身分。面倒ごとなど知ったことではない。
そもそも勝手に召喚されて勇者だのなんだの言われて野放しにされた身だ。
目の前に困ってる人がいる。
助ける。
うまい酒が飲める。
理由なんてそれだけで十分だろう。
未知の酒。
ああ、こりゃ飲みに行くしかない。
異世界の酒なんて味合わずにはいられない。
考えただけでもわくわくする。
今まで味わったウィスキーやブランデー、ジン、ラム、ウォッカ、焼酎なんかの夢のスピリッツが味わえればよし。
日本酒、ワイン、ビール、はたまたハーブ系のリキュールも捨てがたい。
あげるだけできりのない数々のお酒が日々擦り切れる俺の魂を救った。
理由なんてどうでもいい。
ヴァティスという聞きなれない酒。
ハーブ系だろうがなんだろうが好きだ。
口かみだけは勘弁だが。
発酵があいまいな酒でもいい。
この地。知らない土地。知らない文化。異世界の果てに飲む一滴に意味がある。
そうか俺はこのために異世界に召喚されたんだ。
この数日よくわからない酒に明け暮れていたのはきっと。
乾いてしまった心が、疲れ切った探求心がどうしよもなかったからなんだ。
たぶん。
その後、依頼を快諾した俺は夜も更けてきていたため未成年を連れまわす訳にもいかず教会へと彼女を送り届けるべく席を立った。
しかし、マスターより提示された勘定を見るやいなやお財布の悲痛な叫び。
体力は0だよと物語っていた。
その日暮らしの財布の首が断頭台に乗っけられている。
いや切られている。
明細をよく見ると俺が飲んでいたのは一杯50ルクスなのに対してご主人様のお酒が高い。
一杯1470ルクス。
「マスタ~…」
震える声で助けを求める。
「はぁ……」
こいつはどうしよもないなとため息つくマスター。
「あ、あの! 大丈夫ですよ。店主さんこれでお願いします!」
それを見かねたご主人様、いや女神様がそこにいた。
静かな町の景観。
ところどころ壊れている箇所はあるものの普通の生活が営まれているのを感じる。
街灯と言っていいのかはわからないが光源が薄っすらとあたりを照らす。
夜空から零れ落ちる月の光。
対になる様に赤黒く輝く恒星が不気味に光っている。
この世界にも月がある。
しかし月の形は半月や三日月のようになることもあればカットされたケーキのあのような形になったり赤くなったりすることがある。
その下でひらひら、ゆらゆらと煌めくのは金色の髪。
実際にこういう光景を見て美しいと思うものなのだと実感する。
「それでは明日。早朝に準備を整えて出発します! よろしくおねがいしますね?」
「旅支度はまだ何も進んでないが明日……か?」
「いえ、朝にいろいろ済ませてから出発しますよ」
「だがな……」
誇るようなことはない。
日頃の行いが悪い。
だがしかし開き直るしかない。
「さっきの通り俺はまとまった金はないぞ」
「あはは……安心してください。依頼したのは私です。最低限の装備は選びましょ! あまり贅沢はできませんが……」
「ありがとうございます女神様!」
至れり尽くせりだ。
本来であれば、依頼を受ける云々以前にその最低限の装備をそろえて旅に出てみるなりなんなりして基盤を整えなくちゃいけないのだろう。
虚しきかな。
目的がなければ行動もできない。
酒を飲むことしかできなかった。
「め、女神様だなんて……ですが、その代わりちゃんと働いてもらいますからね!」
「ははー!」
「そうでした。ちゃんと名乗ってませんでしたね。私はリィナ・ルナレ・アメリア。ルクサーラ神の聖女です。よろしくお願いしますね! ソラさん」
教会を背に月光で照らされた姿はまさに聖女と言うに相応しい。
お酒をお恵みくださる女神様。
まるで異世界に来たような幻想的な光景がそこにはあった。