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第7話


 数秒の沈黙は緊張感を感じさせ、「あぁ」と思い出すようなイトラの声に腹の奥が重くなる。


「あれは僕じゃない。最初に首を切った者と同じ。気を利かせてくれたんだ」

 

 イトラの言葉が嘘か実か。

 見抜くことはできないけれど、体に入っていた力が抜ける。


 僕はイリセンスを盗むために人を脅す覚悟はあったけれど、殺す覚悟はなかった。あくまで盗むことが目的であり、人を傷つけたい意思はなかった。

 だが、結果的に美術館のスタッフが重傷を負ったのは事実だ。

 外から来たイリセンスの行為を全部自分のせいだと責めはしないけど、美術館でイトラが人を傷つけたとして、それは僕の力不足だったと思うから。

 イトラ自身が誰も傷つけていないことに、どこか安心している自分がいた。


「でも、僕にもああいったことはできる」


 ……イトラは僕が聞きたかったことを分かっていたらしい。

 ワインを含む慎ましい口元。ちらりと見える赤い舌に、イリセンスも血は赤いのだと知る。

 僕は「そっか」と言ったっきり、返す言葉が思いつかず口を噤んだ。


「怖い?」


 表情のないまま、イトラが問う。


「ううん、怖くはないんだ」


 そう、何も怖くはない。

 もし次の瞬間、自分の視界が地面に転がっていたとしても、驚きはするだろうけど怖くはない。


「ただ、どうなってるんだろうって」


 そうだね、と頷くイトラは簡単な説明をしてくれた。


「簡単に言うと、イリセンスは空間にある物質を操れる。空気とかそういったもの。地球なら電子の二重スリット実験が分かりやすい」


 イトラの言う実験は、電子が波なのか粒なのかを確かめる実験だ。

 電子を打てる銃を用意して、左右2か所の穴が開いたボードに打ち込む。すると、銃から発射されて穴を通った電子が、ボードの奥に用意されたスクリーンに干渉縞として現れる、というもの。


「実験のとき、人間がボードの近くに座って「右の穴を通れ」と思うと、スクリーンの右に映し出される電子が多くなる。人間は触れていないのに、電子の粒はまるで人間の言ったことを聞いたような動きを見せる。

 なぜその現象が起こるのか、人間は答えを知らないようだけど、僕たちはそういったものを感じて操ることができる。人間でも、感じられる者もいるようだけど…」


 イトラはカウンターに置いてある果物ナイフを指さして、美術館で人の首が切れたのは物質をナイフのように鋭くしたからだ、と付け加えた。


「琥珀色の瞳をしたイリセンスはイトラたちの中でも強いの? 人間を切ったときは、殺さないようにしていたみたいだけど」

「強い方かな。でも、人間ぐらいならイリセンスで一番弱い者でも数秒で殺せる」


 うーん、と悩むイトラは片手の親指と人差し指をすり合わせた。


「人間でいうと花を手折るくらいの力かな」

 

 指でポキッと花の茎を折るような動作に、イリセンスにとっては簡単にできてしまうことだと分かる。


「イトラも琥珀色のイリセンスと同じくらい力があるの?」

「同じではない。僕はあいつらより強いから」


 なら、ならどうして。


「…どうして、鳥籠から出なかったの」


 小さな声が零れる。

 怒ったような、悲しいような、消えそうな自分の声。

 でも僕は怒ってなど、悲しんでなどいない。

 ただ、知りたかっただけ、……だと思う。

 うん、そうだね、と目を伏せるイトラは、僕と違って感情に変化はなさそうだ。


「特にしたいこともなかったから、暇つぶしだよ。退屈なのは何百年も変わらないし、あそこにいれば不自由しないし」


 イトラは、鳥籠に捕らわれてなどいなかった。

 分かってる、自分がイトラを助けたとは思っていない。

 自分自身の欲でイトラを連れ出したんだと。


「……でも、あの部屋で不自由しないなら、どうして一緒に来てくれたの?」

「真と一緒にいると面白そうだから。それに、…」


 そう言いかけて、イトラは口を閉じた。

 続きを促すけれど「なんでもないよ」とそれ以上答えてくれそうにない。

 仕方がないので聞き出すのは諦めたが面白そう、と言ったことには首を振った。


「これから連れていく場所は、何でもないところなんだ。人に見つかりにくいだけで、特別なものは何もない。…君にとっては、鳥籠と大した差はないかもしれない」


 分かってる、イトラの答えに僕の気持ちなんて関係ないと。

 でも、イトラの期待を裏切ってしまうような胸の締め付けが怖かった。

 だから、黙って僕を見つめるイトラから逃げるように視線を逸らす。


「…それに、僕は面白みのある人間じゃない」


 弱々しい声。

 ……自身のこんな声を聞くなんて始めてで。

 自分のことを口に出して守ろうだなんて、したくなかったのに。

 握りしめる掌。爪が刺さる皮膚が痛いけれど、力の緩め方も分からない。

 とにかく、これ以上は話すだけ嫌になると唇を固く結んだとき。

 吹くはずのない風が手に触れた気がした。

 

「僕が勝手に楽しむんだ。真が勝手に僕に何かを思ったように、僕も勝手にする。人間はそういう感情を自由に持てるでしょ?」


  どこか優しく聞こえるイトラの声。

 全く、その通りだった。

 たった一度見ただけ。勝手に特別にして、勝手に計画して、連れ出して。

 そもそも、僕が用意した場所を面白いところだとか、自分に対して面白さを求めたこともないのに。


「……イトラが勝手に楽しんでくれるなら、僕は僕のままでいる」

「それがいい」


 頷いて、コップに用意した水で喉を潤した。

 イトラが僕に特別なことを求めていない安心と、自分が自分のままでいても良いんだという安心に。

 少し気持ちがすっきりした、そう思ったのに。


「ところで、真は僕に人間を殺して欲しくないの?」

 

 差し込む太陽が強くなったのか、イトラの瞳はギラギラと一層強い輝きを放った。

 ずっと変わらず美しいのに、今はなぜだか冷たく映る。

 僕はイトラの問いにすぐに答えられなかった。だって、なんだか自分の回答次第で何かが決まってしまう気がして。

 水を飲んだのに喉の奥が張り付くように渇く。

 またイトラと目を合わせていられなくて思わず下を向いたけれど、それでも突き刺さる重い視線。

 なんと答えたら正解なのか、と考え始める頭。けれど、そんな思考を止めるようにを首を振った。

 たった今、僕は僕のままでと言ったばかりじゃないか。


「……僕は君と平穏に過ごしたい。…君がどう感じるかは分からないけれど、君が幸せだといいなって勝手に思ってる」


 直接の答えにはなっていないけど、そもそも人を殺すとか殺さないという選択肢がある場所に僕はいたくない。


「ただ誰にも、何にも邪魔されないで話をしたり、君のことを見たり、していたい」


 恐れすら感じるほど呑み込まれそうな瞳の中、ただ真っ直ぐ僕の気持ちがイトラへ届くように見つめ返した。

 わかった、と言うイトラは太陽が眩しかったのか目を細める。


「これからが楽しみだ」


 言いながら雲の上を眺めるイトラは、表情の変化がないものの本当に楽しみにしている、と思う。


『残り時間は5時間です。探知機能に問題はありません』


 目的地までのアナウンス。

 長いと思っていた数時間、たまにイトラからの質問も受けながら、疲れも知らず話し続けた。


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