76話 天地の会合
「貴女、いや——」
ナビィさんはハッと何かに気づくとホアジの顔をじっと見ると体を徐々に震わしポツリ声を出す。
「——ホアジではなく。本当の名前は九百年前。あの時私とゼロを助けてくれたあの波速の元は天人だった海賊、飯伊吹比賣ではありませんか?」
ナビィさんの震える声にホアジは表情を変えずに「はい」とだけ口にすると一度袖で自分の顔を覆い隠し、袖をゆっくりと下ろすと先程の置いた顔とはうって変わり美しい若々しさのある顔へと変わった——。
————。
ナビィさんの言葉にホアジ——フキヒメは上座から立ち上がるとナビィに近づくと懐から脇差を鞘に入れたまま取り出すとナビィさんの胸に押し付けると少し眉間に皺を寄せる。
この大広間はフキヒメの言葉で私とナビィさん、フキヒメを合わせて三人しかいない。
近くには何人か控えがいるとは思うけどこの物静な場所にどこか薄気味悪さを感じる。
フキヒメが天人であっても一人でここまでこんな気配を感じる?
私がそうこう思っているとナビィさんは手を強く握ると体を少し前のめりにするとフキヒメの目をじっと見る。
「どうなんですか?」
ナビィさんの言葉にフキヒメは少し笑うと足を崩し膝を立てる。
「あの時のこと、忘れてなければここに来るとは思いませんよね? ナビィ?」
フキヒメはその反応に喉を震わせながらも飲み込んで上座に戻ると力強く座る。
そしてゆっくりと手に顎を乗せると私を一目見る。
「ナビィ。ところでこのお方は?」
「——天人と禍の神とも戦いし源マカ。ゼロの妹といえばお分かりでしょう。貴女はゼロがこの時代から来たことあの時理解していたはずです」
「————」
フキヒメはナビィさんの言葉に耳を貸した後、私の顔をしばらくじっと見ると、目を稲穂色のように明るく一度だけ光らせる。
あたりの空気が一瞬ひんやりと冷たくなるとフキヒメはふんと鼻で笑う。
「マカとやら。確かにゼロの妹のようだな。髪、目つき、匂いが同じだ。そして仕草はあやつより遥かに上品とは目の汚れにもならず気分が良い。のう、ナビィ?」
フキヒメはナビィさんに視線を移しながら笑う。
ナビィさんは不貞腐れた顔をしているけど好きな人を冒涜されたら誰だってそうはなるだろう。
だけど兄の仕草がそこそこ下品なことは私が一番知っているからなんも言わないでおこう。
ナビィさんは兄をちょくちょく過大に見ているけど私から見た兄はかなりだらしない。
フキヒメは背筋を整えると頷く。
「うむ。満足した」
「なら良かったです。では、本題に入っても——」
するとフキヒメは手を前に出して広げると私に静かに静止するように言う。
それも真剣な眼差しをして。
そしてゆっくり立ち上がり上座から降りて私の口に手をくっつけると声を出す。
「月神様が私に使者を送った。その使者とは今日会見して禍の神に関することを話し合う。私の予感だがチトセという卑猥な妖怪がお前に知らせたんだろう? 月のカラクリで禍の神を封じることを。ナビィ。お前もついて来てくれ」
フキヒメの言葉に私は声を発さず頷く。
横目でナビィさんを見るとナビィさんは不安げな顔をしながらも下手に横入りはしたらダメだと察しているのか腰布を手でぎゅっと握り締めているものの嫌々頷く。
そしてフキヒメに視線を戻すとゆっくり続けて話し始める。
「で、そこでだ。その月のカラクリだがとても重いのとあまり知られたらマズイ。だから銅鐸と偽って運ぶのだがその間天人が我々を襲いに来る。その後大王と話をつけて欲しい。国造様を通じてご本家がある糸麻のダヨイ様とはすでに話はついている」
「——」
これは本当だろうか。
糸麻にいる伊予の国造の一族というのは確か月神の子孫というダヨイ。
確か体を悪くして去年会った際はいかにも死にそうなはず。
バタバタしていたとはいえ糸麻に足を運んだのなら顔を合わせ直近で確認しておけばよかった。
フキヒメは後悔している私とは裏腹に私の口から手を離すとその場で私を見る。
「それではお二人。その天人のもとに案内する。ついて来てくれ。——お前達はそのついでに月神にも会いたいだろうしな」
フキヒメの言葉にナビィさんは少し笑う。
「フキヒメはああいう人ですマカさん。元天人なだけあるのか人の心を読めるのです」
そうナビィさんは口にするとその場から立ち上がり私もそれに続いてフキヒメについて行った。
——————。
フキヒメに付いて行く途中、許しを得てシシヒトに報告しに行き、心配されるもとりあえず簡潔に話してまた待ってもらうことになった。
彼は少し拗ねたような顔をしながら辺りを見て回って遊んで待とうと老体でありながら中々活発なことを言って私を安心させてくれた。
これは本当にシシヒトさんには申し訳ない。せっかく案内してくれたのに。だからとりあえずここでの役目が遂行できたら何か土産に渡そう。
やがて館から出て裏山に登り頂につくと木々が切り開かれた広い場所に出た。
広場の中央には円状に石の柱が並べられておりその中央を見ると大きな影がポツンと不自然に浮いていた。
フキヒメはあれに指を指すと大きく息を吸いゆっくりと声を出した。
「テレルイ。約束通り連れてきたぞ」
テレイル。その名前を聞いた瞬間寒気と共に影が中心から徐々に光の霰がこちらに向かって広がるように飛んできた。
光は青みが掛かった翡翠色で色の奥からは徐々に何かがしゃべっている声が聞こえてくる。
どこか心が無く人とは思えない声。
「テレルイ!」
私がそう叫ぶと影が消し飛んで真っ白く輝くと影は光の粒となって消えた。
その時私の頭の中に声が響く——。
『愚かな』
テレルイ——そいつの声が消えた時あたりの草藪から十人もの月を模した仮面をかぶるムカデた私たちを囲んだ。
フキヒメを見ると予想していなかったのか顔を青さめて体を震わせる。
「お、愚か? テレイル。どういうこと? テレイル!」
フキヒメがそう叫んだその時ムカデが一斉に飛び掛かってくる。
「ナビィさんフキヒメをお願いします!」
私はそう口にしながらムカデたちの攻撃を盾や剣で塞ぎながら急所を狙って確実に仕留めていく。
そして横目でナビィさんがフキヒメを抱き締めてしゃがんだのを見て息を大きく吸い込んで剣を全身を素早く回し、力一杯声を出して大斬りを披露しあたりにムカデの紫色の鮮血を飛び散らせながら残りの敵を全て片付けた。
残りの敵がいないかを周囲に耳を聴かせながらナビィさんの元に近づく。
「ナビィさん。これを見るに完全にほとんどの天人は禍の神の手に落ちたみたいですね。むしろ今私たちの味方の天人の方が少ないと見た方が良いかも知れません」
「えぇ、ではフキヒメ。——フキヒメ?」
ナビィさんはそう口にするのでフキヒメに視線を向けるとフキヒメは腰が抜けたのか全身を震わせ、両手で己を抱いて立ち上がれなくなっていた。
少しナビィさんと視線を合わせた後再びフキヒメに視線を移し肩に手を乗せるとフキヒメは大きな声を出した。
「騙された。騙された!」
フキヒメはそう口にしながら地面に伏すとナビィさんは私の手を掴むとフキヒメから離させた。
私が理由を聞く前にナビィさんはそっと横目で私を見るとすぐにフキヒメに視線を戻すと腰を下ろしてフキヒメに視線を合わせる。
「フキヒメ。顔を上げなさい。あの時と変わりませんね。九百年前も誰かに騙されるとすぐこうなる。天人を追放されて人になら無いといけないのに純情のあまり全ての行動に過敏すぎます」
「——ナビィに何が分かる。人はなんでこの気持ちに耐えれるの? テレルイは幼馴染。天人の中でも賢くて天人に追放された私にも優しくしくれたのになんで?」
「——」
フキヒメの言葉を聞くと天人と私は一生を賭けても相容れない存在だと改めて認識した。
フキヒメの優しさと私の感じる優しさはどこか違うのだ。人が寄り添って生きる存在なら天人は己の為に生きるを煮え固めた物。例えるなら森の中に孤独に生きる獣もしくは木のように。
ナビィさんはそのまま何も言わず重い腰を上げと私を見た。
「マカさん。フキヒメが天人を追放された理由。言わなくてもなんでかわかりました?」
「あまりにも人すぎるからですか?」
「そうです。だけどマカさんこれだけは覚えてください。天人でも稀にフキヒメのような方々がいて彼らはこの伊予島に月が嫌で移り住んだりしているみたいです。なので月神様とそれを護衛する天人達がここにきた理由もそうかも知れません」
「では、早く月神様のもとにいかないとですね」
——だけど。
今私とナビィさんの足元でフキヒメは目に涙を浮かべて大声で泣いている。
この状態だとこの場所から動くこともできない。
「ナビィさん。どうします?」
「いや、どうしますって言われても……月神の所在を知っているのはフキヒメしか」
ナビィさんはそう口にしながらも深く考える。
フキヒメがこうだともうお手上げでしかない。もしこの間にテレイルが月神を殺してしまいカラクリも破壊されたら全ておしまいだ。
だけど、チトセはテレイルはこちら側だって話していたけどそれが本当だったらあの愚かなとは何を指しているのか。
いや、もしかしたら禍の神に魅了された仲間に言っているのか。
私はナビィさんを見る。
「ナビィさん。確かテレルイは愚かとは言いましたけどあれ……そもそも騙していた感じじゃ無かったですよね。私の推測ですがあれここに禍の神の手先がおりテレイルはこちら側に来る前にすぐに対処しないといけなくなったかも知れません」
私の言葉にナビィさんは何も言わずゆっくり頷いた。
「そうですね。マカさんと同じ考えでした。では、フキヒメ——」
ナビィさんはフキヒメに手を伸ばす。
その時、脳裏にテレルイと初めて会った際の言葉を思い出す。
あの時は戯言として片隅にすら置いても無かった言葉。
————。
『姫巫女は穢してはならぬ。純粋な無欲の身にするには我が大神がおわす都でないといけない――』
『欲、すなわち穢れは恐ろしきもの。穢れを求めた先には邪がある。人は皆邪に向かっている。姫巫女が邪を知ってしまえば世界が邪となる。我らはそれを防がねばならぬ』
——————。
次の瞬間、私の後ろに何かが現れた気配がする。振り向かずじっとしていると肩に手を乗せられた。
冷たく、けどそこか落ち着く感触。
『お久しぶりです。ツキマロと申します』
その声は鈴のようなか細いながら耳に通りやすいおかしな感じ振り返ると少し中に浮いたようにも見える月を模した仮面をかぶる天女——いや、天人ツキマロだ。
いつぶりだろうかどんな会話をしていたかも危ういほど曖昧になっているけど名前と風格は覚えている。
ナビィさんはが私の隣に立つとフキヒメの「ツキマロ様!?」という声が後ろから大きく聞こえた。
ツキマロは優しく微笑むと私たちを見下ろす。
『チトセ様が安雲にカグヤ姫を封じるとは予想外でした。本当は強引に行きたかったが。だが今はそれどころではなくなった』
ツキマロは少しどすの利いた声を出す。
この感じだと本当に一歩手前だったのだろう。
ツキマロはそのまま続けて話し始める。
『たった今禍の神に従う天人達との戦争の火蓋が開いた』
ツキマロの冷徹な声は、その言葉が発する意味よりとても悍ましく聞こえた。




