71話 死に誘う風
辺りを冷たい風が滑るように流れる。しかし、それは風というより全身の血が抜けたような冷たさ。あと僅かに訪れる死を感じさせる寒さと、またもう一つ別の寒さがある。
それはどこか心を和やかしに、大丈夫、絶対に死なないとそう思える寒さだ。
そして私は目を開けた先の光景を見て息を呑む。
辺りは真っ赤な空間にいつの間にか包まれ、近くにはハルメだった肉塊の残骸。
最後に全身腰が抜けるしかない亡霊となってもなお私を守ろうと禍の神の剣を盾で両手を使って抑える兄の姿だ。
マガヒコノミコトはその巨体の力を兄に向けて落とし、兄は徐々に地面にめり込んでいきながらも力一杯上に押し上げようと太ももを膨らませていた。
兄、源ゼロは顔を上げるとマガヒコノミコトを見る。
『復活してやろことがそれか! お前はあの時俺に言っただろ? 世を滅ぼすことは望まぬとな!』
兄の言葉にマガヒコノミコトは力を込めながら大笑いすると、再び剣を振り上げて力一杯あに目掛けて落とす一瞬で辺り一面が土煙に覆われたかと思えばと木が割れる音が響き渡った。そして、土煙の中から人影が見えたかと思えば間一髪で避けた兄だった。
兄は私の目の前にくると鞘から剣を取り出し、私の手を掴むと無理やり立たせると私の方に手をおいた。
『マカ。よくハルメ相手に優勢になれた。が、これは俺の見通しが甘かった』
「甘かったって?」
やがて土煙が晴れると中からマガヒコノミコトが化け物のように目を赤くしてこちらを睨め付ける。
「ゼロよ。いや、ここではサガノオか。死んでもなお現れるとは執念深い。俺と同じではないか?」
マガヒコノミコトの言葉に兄は眉間にほんの僅かに皺を寄せるも気にしてない素振りでじっとマガヒコノミコトを見ながら口角を上げる。
『お前と同じか。そうかもな。己の願いのために一つのことに執着して周りに迷惑をかける。それも人の受け取り方次第だがな』
「サガノオよ。だがな。お前の妹はそんなお前とは違い、無垢だな。穢れを微塵も知らない白鳥のようだいや、違うな。血潮を浴びておきながら無垢だと言い張っているだけか。己を兄と思い浮かべるために血潮を何度も被りそれを生きる意味にした可哀想なやつだ」
私はその言葉に剣を強く握る。これは言い返さないといけない。私だって血潮を浴びたくて十歳から十四歳までの死生臭い四年間なんて過ごさなかった。
あれは、あれは兄がみんなの記憶から消えたから私が兄の代わりをすることになった反抗心と、変わりにならないといけないという従属芯が共に心中にあったんだ。
だからあの時の気持ちを無碍にされたくない。あの時の私を否定したら、今の私は全て否定したことになる。
私は震える唇と、震える足を前に進ませようとすると兄が私を後ろに押してその欲をどこかに捨てさせた。
兄は小さな声で私に『逃げろ』の一言だけをいうと剣を片手にマガヒコノミコトに歩いて近づく。
『マガヒコノミコトよ。これだけは言っておく。ユダンダベアの政の鼓は今でも調和を成している。が、お前の鼓を披露する場はない。まつろわぬということはそういうことだ。調和に従わぬなら征伐。それが世の慣わしだ』
初めて聞く兄の冷徹な言葉にマガヒコノミコトは感情を剥き出しにせず冷静を装った素振りもなくまるで全身に染み渡らせるように静かに聞くとゆっくり頷いた。
「そのことは、百も承知」
マガヒコノミコトが野太い声を言ったのと同時に兄は私を後ろに突き飛ばし、私は反応できずに尻餅をつくとマガヒコノミコトの周りに落ち葉が燃え始め木々からは赤い血が流れる。
私は咄嗟に立ち上がり後ろを見ると肉塊となって死んだはずのハルメが立っていた。
ハルメは細く笑うと微笑む。
「マカ様? 言いましたよね。私はすでに身も心も神に捧げている。それは即ち傀儡であると」
「ハルメ!? 傀儡ってことは——っ!」
私が気づいたのに合わせて後ろで兄が舌打ちをすると怒りがこもった声を発する。
『なるほど。飛騨の民を皆殺しにして二人に禍の力を貯めさして復活——ではないのか。なぜならその必要がないぐらい十分だった。力も復活していたとは驚きだ」
兄の言葉に、マガヒコノミコトは軽く笑う。
兄の言葉には正直驚きを隠すことはできない。だけど今はその時じゃない!
私は剣を構える、太平の剣をぎっしりと握ると振り返って兄を初めて突き飛ばす。
「マガヒコノミコト!」
私がそう叫んだのと同時に胸につけていたタカヤマビコがくれた勾玉が白く輝く。確かこれは禍の力を封じる勾玉。なぜ急に光を放ったの? いや、そんな事はいい。だけど不思議とマガヒコノミコトの威圧に体がすくむ事がない!
私は剣を振りかぶる。そして息を吸って力一杯振り下ろし禍の神に切り掛かるも間一髪のところで躱された。しかし、次の瞬間気づけば背後にまわっていた兄がマガヒコノミコトの背中を剣で斬り下ろすとあたりにドス黒い血が飛び散る。
『マカ! 攻撃は一撃だけにするな! 第二、第三の攻撃をいい加減考えろ!』
こんな逼迫した時に兄から叱責を受けるも不思議と嫌な気がしない。
マガヒコノミコトは「ちっ!」と声を出すと助けに入ろうと動いたハルメに「この戦場には踏み入れるな!」と叱責しながら私に剣を右手で受け流した。
「——まだ!」と流された剣を持ち替え、逆手で持つとマガヒコノミコトの腹に根元まで突き刺す。
マガヒコノミコトは声にならない苦しい顔をすると私はそのまま腹を切り裂きながら抜き取る。
そしてはらわたがでないよう腹に力を込めては兄の鋭い刃を左腕に食い込ませて止めながらあいたもう片方の手で私の剣を掴むと大きな声を出す。
「邪魔立て無用だハルメ!」
その声に振り返ると後ろにはハルメが両手に剣を持って今にして飛びかかろうとしているところだった。
すると近くから怒りがこもった声が聞こえる。
『マカ! よそ見をするな!』
兄の声でようやくハルメから視線をマガヒコノミコトに戻そうとした時、彼はいつの間にか右腕を自らもぎ取って後ろに下がる。
その時を見逃さず前屈みになって走り出そうとした時兄が左手を私の前に出して静止させてた。
『マカ』
その時の兄の顔を見ると、どこか悲しく、寂しい目をしていた。どこかまた胸の何かが抜け落ちるような感覚がする。やがて胸は徐々に強く、苦しくなってくると兄は優しく私の胸に手を添えた。
『その勾玉があってよかった。今は引くんだ。一月。俺が一月この御魂を犠牲に奴を止める。だからそれまでに大王に糸麻に兵を集めるよう進言しろ。俺が奴に剣を突き刺したその瞬間に逃げろ』
——あぁ、ここで兄と別れが来るんだ。
一瞬私はそう思った。けど、私が思う兄はとうの昔に死んでいる。今目の前にいる兄はサガノオとしてこの時代に妹を助けるために来ただけ。
私は不思議と悲しみより湧き出した込み上げる感謝の気持ちを飲み込み無理やり口角を上げる。
「うん、ありがとうお兄ちゃん。絶対、絶対に!」
私がそう口にした後、兄は振り返ると禍の神マガヒコノミコトと対峙し、剣を握りしめる。そして地面を勢いよく蹴って一気に詰め寄ると咄嗟にマガヒコノミコトは空高く飛んで避けた次の瞬間兄は剣を力一杯空に投げると剣は腕ごと剣で貫いてマガヒコノミコトの心臓に突き刺した。
「——っ!」
禍の神が何か叫ぼうとし、血を流しながら地面に堕ちようとした時兄は『マガヒコノミコト!』と叫ぶと落ちた瞬間にマガヒコノミコトの心臓に腕を突き刺した。
マガヒコノミコトは口から血を吐き出すと兄を睨む。
『ミナモトノゼロ!!』
マガヒコノミコトは兄の腕を掴み、もぎちろうとするも兄はさらに空いた手でマガヒコノミコトの首を力一杯掴み逃げれなくする。
次の瞬間兄は全身が白く輝き始めた。
その光は瞬く間に大きくなり、中からマガヒコノミコトの断末魔が響きわかったかと思えば赤く染まった空は元通りの明朝の橙色の空色に戻る。
やがて光は大きくなり弾けたかと思えば空高く打ち上がり砕け散って粒となって消えた。
けど、不思議と禍の神の気配だけは近くに感じる。
おそらく一時的に力を奪われただけで魂だけはまだここにある。
「——っ」
それを確認した後後ろを見るとハルメが両手を広げて道を塞いでいた。
ハルメは笑みを浮かべておらず静かに、真剣な眼差しで私を見ていた。だけどその足はどこか弱そうだった。
「——ハルメ。道を開けて。どうせ私と戦っても勝てないのわかっているでしょ?」
「分かっています。それにマガヒコノミコト様が先程の光でそのほとんどが封じられ私は今は人に戻っています」
「人に?」
ハルメはそういうと着物を脱ぐ。その時身体中空いた穴から血が一気に溢れ出すとハルメは口から血を吐き出すしその場に膝をつく。
肩から息をし、今にでもしにようなハルメはそれでもまだ死にたくないのか落ち葉を握りしめながら顔を上げて私を見る。
長い神のせいで目元は見えない。だけど口元だけで悔しそうなことだけはわかる。
「禍の呪い……人の体を食い破りながら、神にする。けど、中途半端にやめるとその人は死ぬ。そんな技です——」
ハルメは全身を震わせながら声で話す。
私はそれを涙が溢れる目で見ながらハルメの近くまで来ると剣を超手で握り空に向かって持ち上げる。
「おかしいですか?——」
ハルメが何かを言い終える前に、私はハルメの首を切り落とした。
そして完全に生きだエタハルメをしばらく見つめると剣を鞘に戻す。
「おかしくないですよ。ただ、せめての情けで恨みだけは晴らしてあげる」
そう私は口にしてその場を後にした。
————。
ハルメの血を着物で拭い、祠の境内から出るとそぐ近くにチトセだけがいた。
チトセは私を見ると申し訳なさそうな目で見る。
「僕がマガヒコノミコトの間に入って助けたほうが良かった?」
「ううん。兄は最初から死んでいたけど、私と、この世界のために黄泉から来てくれていただけ。今更別れを惜しむなんてそっちの方が難しいですよ」
私の言葉にチトセは少し目を逸らす。
チトセ自身私の兄を過去に送り死なせてしまったことに悔いがある。だからそういう顔をするんだ。
だけどチトセには後悔はしないで欲しい。確かに私から兄を奪い心の底では2度と許すことはない。だけど、私を一歩また一歩と前に進むきっかけを教えてくれた子でもある。
私は首を横に振り、少し間を開けてチトセを見る。
「そんなことは今いいんです。あの、アマさんたちは?」
「あの人ならここ一帯の敵を殲滅したよ。今は飛騨の都を確認しに行ってる」
チトセの言葉に私は安堵する。
「そうですか。なら、私たちも飛騨の都に行きましょう」
「——あの話を聞いていたけどもう飛騨は捨てよう——」
「お願いです」
私はチトセの言葉を遮る。
チトセはしばらく考えた後少し諦めたように笑う。
「もう、分かった。行こうか」
私たちは急足で飛騨の都へと走った。
裏話:
・禍の力を封じる勾玉
この正体はある人が言えば万が一のためにとタカヤマビコに渡したという。もし、禍の呪いを扱い物が現れた時その禍の力を防ぐのに役に立つと。
だが、その封じる力の源泉は誰にも分からない。だが、チトセだけはどこか不思議と知っているようなそぶりをしたらしい。




