23 ハリヤー・ディラクール――父――読み方を変えた手紙
メリアが到着したのは、リルが屋敷を出た翌日の昼過ぎだった。
ロイズ家の馬車は、表の車寄せではなく、少し横へ寄せて止まった。荷を運ぶ者の出入りを邪魔しない位置である。
嫁ぎ先の癖が出ているのだろう。メリアは降りる時、御者に短く礼を言い、続いて侍女へ手荷物を渡した。
帽子のリボンはディラクール家で覚えた結び方とは少し違ってきっちりしている。
私は玄関広間で迎えた。
「父上!」
メリアは礼をした。
「急に来てもらってすまない」
「いいえ。母上のお手紙だけでは、かえって心配になりました」
その返事で、まず一つ、こちらの用意した説明は使えなくなった。
マリーナは、娘の姿を見るとほっとしたようで、言葉にする前に近づき、その手を取る。
「よく来てくれました、メリア……」
「お母様」
メリアは母の手を握り返す。だがすぐに問いかけてきた。
「アガサは、こちらにいないのですね」
マリーナの指が止まる。
私は、二人を応接室へ通した。
ラリーは港への確認で出ている。ビリーは大学関係の用で昼過ぎまで戻らない。キャリーはすでに呼ばせてある。エルクは、呼ぶかどうか迷ったが、まずは話を整理してからにすることにした。
そういう順番で考えている時点で、私はまだ整理できると思っていた。
応接室に入ると既に茶の用意が出来ていた。
メリアは掛けると、カップを受け取り、一口飲み、ソーサーへ戻す。
「お母様の手紙には、体調を崩して静養とありましたが?」
「外向きには、そう伝えている」
「では、家の中には」
「アガサは部屋にいない。外出着と靴、鞄が消えていた。リルは責任を感じて暇を取った。港町へ向かったという」
「リルも」
「ああ」
「《《なら》》、アガサは一人ではありませんね」
微妙にそこを強調した問いかけに、私は返事ができない。メリアは手元の小さな革鞄を開け、布紐で括った手紙を出す。
「無論、父上の説明は伺います。ですが、その前にこちらを読んでください」
「何だ」
「アガサから私へ来た手紙です」
マリーナがわずかに身を乗り出した。キャリーは扉の近くで立ったまま、じっとその束を見ている。
「全部ではありません。最近のものだけ持ってきました」
メリアは一通を選び、私へ渡した。
便箋はアガサのものだった。見慣れているはずなのに、なぜか少し遠く感じる。
屋敷で見る娘の字と、姉へ向けて書かれた字は、同じ線でありながら、紙の上で少し動き方が違う。
――ロイズのお屋敷からは、本当に海が見えるのですね。
――以前伺った時、夜の灯りがとても綺麗でした。
――姉様はもう、潮の匂いに慣れましたか。
私は読み進めた。メリアの息子のこと、ロイズ家の魚市のこと、庭の土が違うかという問い。……それから、フライトの名が出た。
――フライト兄様が、先日、マインカの港は海の匂いより先に荷の匂いがする、とおっしゃっていました。
――ワイホトには海がないから、かえって港の匂いをよく覚えているのだそうです。
――そういう覚え方もあるのですね。
私はそこで紙を少し下げた。
「フライトの名は、以前から手紙にあった」
「はい」
「これは、港への興味ではないのか」
「港への興味《《も》》あります」
「なら」
「それだけではありません」
メリアの返事は静かだった。だが引かない。
「父上、アガサは海を見たかったのだと思います。でも、海だけではありません」
「……お前は、何が言いたい?」
「アガサは、《《フライト様の見ているもの》》を見たがっていました」
マリーナは膝の上のハンカチを握る。
「父上は、アガサが何を好きかはご存じだったと思います」
「本、旅行記、庭の白い花」
「はい。でも、その先に誰がいたかは、ご覧にならなかった」
スージー・リクウッド嬢も似たことを言ったと、マリーナから聞いている。
――その先にいる人。
私は手紙へ目を戻す。
娘の字は、父である私を責めては来ない。もちろん、どこにもそんなことは書かれていない。海の灯り、潮の匂い、フライトの言葉が並んでいるだけだ。
だが、並んでいるだけなのに、読み方を変えると、まるで違うものになる。
「メリア」
マリーナが言った。
「貴女は、知っていたの」
「はっきり聞いたわけではありません」
「では」
「けれど、父のご友人への敬愛というには、少し距離が近いと思っていました」
母娘の間に、短い間ができた。マリーナは次の言葉を探していた。私はその間にもう一通を手に取る。
――お姉様は、ロイズ家へ移られてから、ご自分の部屋の窓から見えるものが変わりましたか。
――私は時々、自分の部屋から見える庭が、とても綺麗なのに、どこへも続いていないように思うことがあります。
――変なことを書いてごめんなさい。
――ただ、海は続いているのでしょうね。
私はその紙を読んだまま、しばらく動けなかった。
――庭が綺麗なのに、どこへも続いていない。
アガサの部屋から見える庭は、よく手入れされている。マリーナが季節ごとに花を選び、庭師が丹念に枝を整えてきた。アガサが白い花を好むと聞いてからは、あの窓の下には白い花を切らさないようにした。
私はそれを、よいことだと思っていた。
「……この手紙を受け取った時」
メリアが言った。
「私は、しばらくこちらへ呼びたいと思いました」
「なぜ呼ばなかった」
「あの子を呼ぶには理由が要ります。アガサはディラクール家の娘で、私はロイズ家の嫁です。姉妹だから、だけでは済みません」
「私に言えばよかったではないか」
「言えば、父上は理由を作ってくださいましたか? なぜ必要なのかをお訊きになったのではないでしょうか?」
私は答えようとして、言葉を止める。おそらく、訊いた。
なぜ必要か。どれほどの期間か。婚約の話に支障はないか。ロイズ家へ迷惑はかからないか。アガサの体調か、気分か、学びか。理由を求めたはずだ。
理由がなければ、娘は姉の家へ海を見に行けない。
そのことを、私は今まで不自然だと思っていなかった。
「父上!」
キャリーが扉の近くから言った。
「エルクを呼んだ方がいいと思います」
「なぜ」
「たぶん、手紙の話と同じことを、エルクは絵の話で言います」
「それは分かりにくくなるだけではないのか」
「でも、今は分かりにくいものが要ると思います!」
キャリーにそう言われるとは思わなかった。
私はベルを鳴らした。使用人にエルクを呼ばせる。
しばらくして、エルクはスケッチ帳を抱えて入ってきた。襟元に青い絵の具が少しついていた。




