17 スージー・リクウッド――旧友――私達には見えていたもの
伯爵夫人はハンカチを一度開き、また畳む。
「分かりました。ですが、外にはまだ」
「無論、言いません」
私はすぐに返す。
「アガサのために、言いません」
「ありがとう」
「ただ、私が知っていることをお話しするなら、こちらも少しだけ正直に伺いたいのです」
「何をでしょう」
「アガサは、自分の意思で出たのですか。それとも、誰かに連れ出されたとお考えですか」
キャリー嬢がこちらを見る。伯爵夫人は、ハンカチの角を合わせるのに少し手間取った。
「そこを、確かめているところです」
「では、フライト・バンスワン卿のことは」
カップの縁に、夫人の指が当たった。音は小さかったが、部屋ではよく聞こえた。
「なぜ、そのお名前を」
「アガサから伺っていました」
「どのように」
「父君のご友人で、ワイホト王国の方だと。幼い頃から手紙のやり取りをしていると」
「ええ。それは存じています」
――存じています。
私は、その返答に少し戸惑った。
「では、アガサがその方をお好きだったことも?」
夫人は、今度こそ固まってしまった。キャリー嬢も息を吸い、途中で止める。
その反応で、私は分かった。
「ご存じなかったのですか」
責めるつもりはない。本当に、驚いたのだ。
夫人はハンカチを膝の上に置いたまま、私を見ていた。キャリー嬢は唇を開いたが、すぐ閉じた。部屋の外で、誰かの足音が通り過ぎる。
「スージー様」
夫人は静かに切り出した。
「アガサは、貴女にそのように言ったのですか?」
「いいえ」
「では」
「《《見ていれば分かります》》」
言ってから、少し強すぎたと思った。けれど、言い直せなかった。
「アガサは、その方から手紙が届くと、封筒を丁寧にとっておきました。封蝋を傷つけないように開けて、便箋を選ぶのにずいぶん時間をかけました。返事を書いた後も、すぐ封をしません。一晩置いて、朝に読み返して、それから封をします」
私は、膝の上で手を重ねる。
「婚約者様へのお返事は、もっと早かったです。失礼なほどではありません。きちんとしていました。でも、きちんとしていただけです」
「スージー様」
キャリー嬢が小さく言った。
「姉は、その方と逃げたと思いますか」
「分かりません」
そこは、正直に答えた。
「ただ、アガサが誰かに無理に連れて行かれたとは思いません。あの子は、嫌なことを嫌だと言うのは苦手です。でも、大事なものを鞄に入れる時、他の人に任せる子ではありません」
「大事なもの」
「ですから、手紙です」
伯爵夫人の目が、私から外れ、暖炉の上に置かれた小さな時計の方を見た。時刻を確かめたのではないと思う。
「アガサの部屋に、ワイホトからの手紙は残っていますか?」
「それは」
「もし残っていないなら、アガサは自分で選んで持って出ています」
キャリー嬢が立ち上がりかける。けれど、伯爵夫人が片手を少し上げたので、椅子に戻る。
「私達は」
夫人はそう言って、そこで一度言葉を切った。
「私達は、アガサがその方を慕っていることを、長く親しい方への敬愛だと思っていました」
「そう思いたかったのではなくて?」
口にしてから、母に言われた「少しで済ませなさい」が頭をよぎった。これは少しではない。分かっていたが、もう遅い。
伯爵夫人は怒らなかった。怒ってくれた方が、こちらも引けたかもしれない。
「そうかもしれません」
返事は、それだけだった。私は背筋を伸ばす。
アガサなら、こういう時に相手を傷つけない言い方を探す。けれど私はアガサではない。あの子がここにいない以上、誰かが少し言葉で傷をつけて置かなければならない。
「アガサは、女学校でその方のことを多く話したわけではありません。けれど、話す時はいつも、家族のご友人としてではありませんでした。《《世界の向こうを知っている人》》として話していました。海の向こうの匂い、港の色、商船の名前、見たことのない布の話。アガサは、それを聞く時だけ、自分の家の中ではなく、どこか広い場所に立っているようでした」
私はカップを見た。茶はもう冷めかけている。
「ディラクール家の皆様は、アガサが何を好きか、ご存じでしたか」
「本は好きでした」
「はい」
「旅行記も」
「はい」
「庭の白い花も」
「それも好きだったと思います」
伯爵夫人は、そこで口を閉じる。私は、少しだけ声を落とした。
「でも、《《その先にいる人》》のことは?」
キャリー嬢は膝の上で両手を握る。伯爵夫人が顔を上げた。
「私は、アガサがどこへ行ったのか知りません。手紙にも、そういうことは書かれていませんでした。ですが、もしフライト・バンスワン卿の名が出ているなら、どうか最初から攫われたと決めないでください。アガサは、たぶん、その扱いを一番嫌がります」
夫人はゆっくりうなずく。
「ありがとう、スージー様」
「いいえ」
立ち上がると、キャリー嬢も立った。
彼女は何か言いたげだったが、母君の前では言葉を選んでいるようだった。
応接室を出る時、廊下の先に若い男性が立っていた。たぶん次男か三男のどちらかだろう。私を見ると、軽く礼をした。こちらも返す。
その人の後ろで、扉が少しだけ開いていた。中は白い部屋だった。アガサの部屋かもしれない。
そこにアガサはいない。
けれど、机の前に座って封筒を指でなぞる姿を、私はまだはっきり思い出せた。
あの子は何も言わなかった。けれど、何も言わないまま、ずっと同じ方を向いていた。
それは、級友達の間ではよく知れたことだった。
家族に見えなかったものが、私達には見えている。
……それが少し、悲しかった。




