16 スージー・リクウッド――旧友――時間のかかる手紙
ディラクール家から使いが来た時、私は温室でレモンの鉢を見ていた。
今年は花つきが悪い。庭師は土を替えた方がいいと言うし、母は場所を変えた方がいいと言う。
私は、土も場所も大事だけれど、そもそも去年の剪定が少し強すぎたのではないかと思っていた。
そういう話を庭師としているところへ、屋敷の者が私を呼びに来た。
「ディラクール家から?」
手袋を外しながら訊き返すと、侍女はうなずいた。
「はい。アガサ様のことで、念のためお尋ねしたいことがあるそうです」
――念のため。
その言い方が、もうおかしかった。
アガサが本当に体調を崩しただけなら、私のところへ使いなど来ない。季節の花を送るか、母宛に短い知らせを出すか、その程度で済む。
女学校時代の友人にまで確認を入れるということは、家の中で何かが見つからないのだ。
手袋についた土を布で拭き、籠の縁に掛けた。
「お母様には」
「奥様は居間にいらっしゃいます」
「では、先に母へ話します。その方には、少し待っていただいて」
侍女が出て行くと、私はもう一度レモンの鉢を見る。枝先に小さな蕾が二つだけ残っている。触れれば落ちそうだったので、手は伸ばさなかった。
居間で刺繍をしていた母は、私の話を最後まで聞いてから、針を布に刺した。
「アガサ様は、ご病気なの?」
「違うと思います」
「なぜ」
「本当にご病気なら、私に何を訊くというのでしょう」
母は刺繍枠を膝の上に置いた。
「あなた、ディラクール家へ行くつもりね」
「はい」
「失礼のないように」
「分かっています」
「あなたは分かっていない時にいつもそういう」
そう言われて、私は帽子を取りに行きかけた足を止めた。
「アガサが本当に困っているなら、少しくらい失礼でもいいでしょう」
「少しで済ませなさい」
母の返事は早かった。私は礼を言って、自室へ上がった。
アガサとは、女学校で同じ部屋だった。
最初から特別に親しかったわけではない。アガサは誰にでも丁寧で、誰にでも同じくらい優しくて、だから最初の頃はかえって距離がつかみにくかった。
悪口にも乗らず、噂にも深入りしない。頼めば手伝ってくれる。けれど、甘えようとすると少しだけ困る。
そういう子だった。
ただ、手紙が届く日は違った。
家からの手紙ではなかった。家からの封筒だったら、アガサはすぐ開けた。
礼儀正しく読み、必要なことを小さな帳面に書きつけ、返事の下書きもその日のうちに済ませた。
婚約者からの手紙も、丁寧に扱っていた。けれど、読み終えると、便箋を綺麗に戻して箱にしまう。良い子が良い返事を書くための手順に見えた。
けれど、ワイホト王国から届く封筒は違った。
アガサは、その封をすぐには切らなかった。指で封蝋の縁をなぞってから、机の上に置いた。そして少ししてから、また手に取り、開ける時も、ペーパーナイフを使うくせに、封筒を傷つけないよう妙に時間をかけた。
読み始めると、背筋はきちんと伸びているのに、途中で窓の外を見た。
外に何かあるわけではない。校庭と、並木と、季節によっては洗濯物が見えるだけだ。
そして読み終えた後も、すぐには返事を書かなかったのだ。そこが一番分かりやすかった。
家への返事なら早かった。婚約者への返事も。
けれど、その人への返事だけは、一度便箋を何種類も出した。
白、薄い青、花の透かしが入ったもの……
選んで、しまって、また出す。インクも替える。
結局いつもの青黒いインクに戻すことが多かったが、そのためだけに小瓶を三つ並べたこともあった。
それを恋と呼ばないなら、女学校の寝室棟で何を恋と呼べばいいのか、私には分からない。
もちろん、私は本人に言わなかった。
言えば、アガサは困る。
困って、たぶん微笑む。
それから「そういうことではないわ」と言う。
そういうことではない、という言葉で包めば消えると思っているものが、あの子にはいくつもあった。
でも消えないものは、消えない。
*
ディラクール家の応接室は、聞いていた通り静かな部屋だった。品のよい壁紙、磨かれた卓、季節の花。強い色があっても、必ず他のものに馴染むように置かれている。
アガサに似合う部屋、そして、似合いすぎるとも思った。
伯爵夫人は、少し遅れて入ってきた。
マリーナ・ディラクール様。アガサの母君。夜会で何度かお目にかかったことはあるけれど、こうして向き合うのは初めてだった。
「急にお尋ねする形になってしまって、ごめんなさいね、スージー様」
「こちらこそ、押しかけてしまって申し訳ございません」
礼を交わし、茶が出された。薄いカップに、縁だけ金が回っている。
私は一口だけ飲む。良い茶だった。けれど、今日の話には少し上品すぎる。
「アガサは、どちらにいらっしゃるのですか」
夫人の指が、膝の上のハンカチをつまんだ。
「少し、静養しております」
「どちらで」
「親戚筋のところへ移すことも考えておりますけれど、今はまだ」
「では、今はこのお屋敷に?」
「スージー様」
名を呼ばれた。そこから先は訊かないでほしい、という声だった。
私はカップをソーサーに戻した。
「ここにいないのですね」
「まだ、確かなことは」
「でも、ご病気ではないのですね」
伯爵夫人は押し黙る。
隣に座っていたキャリー嬢が、母君の方を見る。彼女は私より二つ下だと聞いている。何度か夜会で挨拶をしたことがあった。
「姉は、家を出たのだと思います」
キャリー嬢が言った。
「キャリー」
「……お母様、スージー様にわざわざ訊きに行かせたのですから、隠しても無理ですわ」




