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失踪令嬢の恋愛~どうして誰も気付かなかったのか?  作者: さんけい


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13 エルク・ディラクール――弟――黒い鳥が檻の中で暴れ出す

 アガサ姉上の部屋は、白かった。


 正確には白だけではない。壁紙は淡いクリーム色で、カーテンは銀を混ぜた薄青、寝台の掛け布には同じ色の刺繍が入っている。化粧台は磨かれた梨の木で、窓枠には細い金の縁取りがあった。

 でも僕には、白く見えた。

 雪の白ではない。新しいレースの白でもない。骨を洗って日に干した時の白に近い。触れたら乾いた音がしそうな、何かが抜けてしまった後の白だ。

 部屋の主がいない部屋は、こんなにも白い。

 それを知っただけでも、僕は少し大人になった気がした。

 ……たぶん、誰にも言わない方がいい感想だ。

 言ったら母上は顔をしかめるし、ラリー兄上は「今はそういう話をしている場合ではない」と言う。

 父上なら、僕の顔を一秒だけ見て、すぐ執事へ次の指示を出すだろう。


 ――エルクはまた妙なことを言っている。


 この家では、それで大抵のことが片付く。

 僕は十六歳で、ディラクール家の三男で、絵ばかり描いている。

 父上は僕の絵を「趣味としては悪くない」と言う。

 母上は「感性があるのはよいことです」と言う。

 ラリー兄上は、商会の商品の図案でも描けるなら役に立つかもしれない、と言ったことがある。

 皆、僕の絵を見ている。でも、僕が《《何を見て描いているかは》》見ていない。

 まあ、それでもいい。

 画家とは、見えないものに勝手に輪郭をつける生き物だ。部屋の隅にいる影にも、午後のカップに残った紅茶の渋みにも、人の嘘の端にも、勝手に色を塗る。そうしないと息がつまりそうだ。少なくとも僕はそうだ。

 アガサ姉上だけは、時々僕の絵を長く見てくれた。褒めるのではなく、長く。

 それがよかった。

 褒め言葉はたいてい、布で包んだ砂糖菓子みたいなものだ。見た目はきれいでも、噛むと歯にまとわりつく。

 大人達はすぐに「上手ね」「きれいね」「よく描けているわ」と言う。

 そう言われると、僕の絵は急に額縁の中で死ぬ。

 姉上は違った。


「ここだけ、風が吹いているみたい」


 昔、僕が庭の絵を見せた時、姉上はそう言った。

 そこには本当に風を描いたつもりだった。木の葉ではなく、葉と葉の隙間にある、目に見えない薄い獣の背中を描いたつもりだった。

 姉上には、それが見えた。

 だから僕は、姉上のことを少し信用していた。

 かなり、ではない。

 かなり信用すると、その人がいなくなった時に胸の奥が面倒なことになる。

 胸の奥に棲んでいる黒い鳥が、檻の中で暴れ出す。羽根が散る。散った羽根はインクになって、何日も僕の中を汚す。

 だから、人は少しだけ信用するのがいい。

 ――そのはずだった。

 でも今、アガサ姉上はいない。

 黒い鳥は、僕の肋骨の内側でばさばさ暴れている。

 僕はその鳥を黙らせるために、アガサ姉上の部屋へ来た。

 表向きの理由は、姉上の部屋に残っている絵具箱を取りに来た、だ。姉上は僕に、異国の青い顔料をくれると言っていた。

 フライト様が前に持ってきてくれたものだ。海の向こうの鉱石から作る青だと聞いて、僕はそれを見たいと言った。

 姉上は笑って、今度持っていらっしゃる時に分けてもらいましょう、と言った。

 その「今度」は、ついこの間だった。

 フライト様は来た。絵具も来た。……姉上はいなくなった。

 物事は、時々ひどい順番で並ぶ。神様がいるなら、机の上のカードを雑に切りすぎだ。少しは角を揃えろと言いたい。

 部屋には誰もいなかった。

 もちろん、本当は入ってはいけない。父上は部屋の出入りを制限している。執事が鍵を持ち、必要な時だけ女中頭を入れることになっている。

 けれど、僕は三男だ。

 三男というのは便利だ。長男ほど見張られず、次男ほど期待もされず、末の弟として油断される。

 キャリー姉上なら侍女がついている。ビリー兄上なら大学から戻れば父上に呼ばれる。僕は廊下の絵を直しているふりをして、すっと入り込める。

 鍵は開いていた。不用心だと思う。

 あるいは、皆、姉上がいなくなった部屋などもう逃げないと思ったのかもしれない。

 部屋はきれいに整頓されていた。……いや、整いすぎていた。

 化粧台の上の香油。銀の櫛。小さな手鏡。カップの置かれていないティーテーブル。窓辺の机。伏せられた本。誰かが慌てて置いたのか、置いたように見せたのか分からない本。

 僕は本を見る。海の向こうの島々を巡った商人の旅行記。姉上らしい。

 父上達は、姉上は穏やかで、聞き分けがよくて、家に向いている娘だと思っている。たぶん今でも半分くらいは思っている。

 でも僕には、姉上は時々、窓の内側に置かれた船みたいに見えた。

 帆はある。舵もある。行きたい海も知っている。

 なのに誰かが「これは飾りです」と決めて、窓辺に置いてしまった船だ。

 磨かれて、褒められて、白い布で埃を払われて、それでも一度も水に触れない。

 僕は旅行記を開く。

 するとページの間から薄い紙片が滑り落ちた。小さな絵葉書だった。

 港の絵だ。こちらの港ではない。屋根の色が違う。空気の色も違う。建物の壁が白く、影が濃い。海は青というより、緑と銀を混ぜた色で描かれている。印刷ではあるが、安物ではない。余白に短い字があった。


 ――いつか、この色を君にも見せたい。


 署名はない。

 でも、誰の字かは分かった。フライト様だ。

 僕は何度か見ている。商会の書類に、父上宛の手紙に、そして僕の絵の端に。

 そう、僕の絵の端に。



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