022 ブラスタル紋章店
今日の授業も無事に終わり、帰り支度をしている最中。
誰かの視線を感じ振り返る。
「……フィメル先生?」
そこには物陰に隠れながらこちらの様子を窺っているフィメルがいた。
上目遣いでこちらを睨んでいる。
(そういえばあれ以降に会うのは今日が初めてだったな……)
「……クレル先生……」
「はい。どうかされましたか?」
一向に物陰から出てこようとしないフィメル。
しかし俺が返事をすると徐々に顔に赤みがさしてくる。
「……あの……先日の、件なのですけれど……」
モジモジしだすフィメル。
そういえば彼女は男性恐怖症は克服できたのだろうか。
氷魔法で記憶を凍結させたままだったが、特に彼女に副作用らしきものは見られない。
(レグザの場合は『命令』により副作用が生じたが……)
『記憶凍結』ならば副作用が起こらないという訳か。
そこに新たな命令を加えなければ、対象を殺してしまうことは無い。
これは大きな収穫だ。
万が一俺の能力が暴かれたとしても、相手の額に指を当て『氷の魔法』を発動することが出来れば――。
「……その……まだ、その……返事を聞かせて……頂いていないというか……」
どんどん顔が赤くなるフィメル。
最後の方は声が小さくて聞き取れなかったが、おおよその想像は出来る。
(しかし変わった女だなこいつも……。俺が『魔法』の力を得たことに気付いていないのか……?)
普通はあれほど奇怪な力を見せつけられれば気付く筈だ。
それともフィメルはあの童話を読んだ事が無いのか?
「あの……クレル先生?」
彼女の期待の込められた眼差しが俺に向けられる。
その瞳の奥には一切の曇りが無い。
純粋無垢な少女の瞳そのものだ。
「返事、とはどのようなものでしょうか」
「え? あ、えと、その、あの…………うぅ…………」
「ちゃんと答えてください。そしたら俺も答えますよ」
彼女に一歩近づく。
たったそれだけで飛び上がらんばかりに身を揺らすフィメル。
彼女の緊張が痛いほどに伝わってくる。
「あ……その……。出来れば、その……私、と……」
「私と?」
更に一歩、彼女に近づく。
大きく生唾を飲み込む音が聞こえてくる。
「……私、と……。つ……つ……付き合ってっ……! ……頂けないかと……」
もう半分泣きべそを掻いているフィメル。
いい歳をした教師だというのに。
(初恋、か)
確か彼女はそう言っていた。
そして勇気を持って俺に告白した。
俺は何も答えずに彼女に顔を寄せる。
「……クレル先生……」
トロンとした目で俺を見つめるフィメル。
恋に恋する乙女のように。
彼女の人生は今、輝きを放っている。
俺の本性を知ったら、彼女はどう思うのだろう。
絶望するだろうか。
それでも尚、俺に付いてくるのだろうか。
俺は見極めたい。
彼女が選んだ未来がどうなるのかを――。
俺はゆっくりと返事をする。
それを聞いたフィメルは大粒の涙を流す。
歓喜の涙。
彼女は俺の胸に飛び込んでくる。
俺は優しく彼女の頭を撫でてやる。
(……レイノのやつが知ったらどう思うのだろうな)
俺はフィリアに見えないように嘲笑した。
◇
校舎を出てその足で東門へと向かう。
門の手前の緩やかな坂を北へと上る。
「あら、クレル君じゃない。もしかして私の店に向かう途中かな?」
坂の途中で声を掛けられ顔を上げる。
そこには額に汗を流しながら笑顔を振りまくアーシェの姿があった。
ブラスタル紋章店の店主であり、レグザの実の妹。
奴とは似ても似つかない端正な顔立ちの女。
「こんにちは、アーシェさん。そうなんですよ。今度ギルド本部に応援に行くことになったので、これの手入れをしてもらおうと思って」
腰に差した曲刀を指差し答える。
「聞いたわよ。巨龍種の討伐ですってね。いいなぁ……。私も巨龍種見てみたいなぁ」
アーシャは筋金入りのモンスターマニアだ。
紋章師という生産職に就きながら、自ら戦闘もこなす万能型タイプ。
その細い身体に似つかわしくない巨大な剣を振り回す様は、見る者を驚かせる。
「そんなこと言っていたら、またレグザに怒られますよ」
「う……。ごめん。今のは聞かなかったことにして」
苦笑いをしながらそう答えるアーシェ。
レグザは妹のアーシェが街を出ることを嫌う。
元々重剣士だった彼女を無理矢理紋章師として転職させ、家業を継がせたのだ。
『女は家を守れ』とは奴の口癖だ。
「大変ですね、アーシェさんも」
「まあね。でも兄貴に逆らうと怖いからさ。ちょっと待ってね。すぐにこっちを済ませちゃうから」
手に持った大鎌を見せ笑顔で答えるアーシェ。
見事に磨かれた漆黒の刃には至るところに紋章が刻まれている。
彼女はそれを丹念に手入れし、仕上げに大きく掲げてみせた。
「随分と大きな大鎌ですね。特注品か何かですか?」
「あら、よく分かったわね。ちょっとお偉いさんから注文を受けちゃってね」
ブラスタル紋章店はこの国でも有数の優良店として名が知れている。
わざわざ遠方より使者を連れて彼女に特注品を頼む金持ちも多い。
「……よし、まあまあかな。お待たせ。じゃ、行こうか」
彼女に連れられ、俺は紋章店の門を潜る。
所狭しと置かれている商品。
確かにこの工房では、この大きな大鎌を手入れするには狭すぎる。
「お茶でも淹れようか?」
「お構いなく」
彼女の申し出を断り、俺は腰に差した曲刀を手渡す。
「へぇ。さっきも思ったけど、クレル君って細剣から変えたんだね」
「ええ。たまたま中央通りに行商が来てまして。格安で譲ってもらったんですよ」
身近な椅子に座り彼女と雑談を交わす。
話しながらも彼女は手馴れた手つきで曲刀を手入れしていく。
「……あれ?」
「? どうかしましたか?」
曲刀に刻まれた紋章に手を触れた瞬間、彼女は首を傾げた。
「おっかしいなぁ。クレル君、この曲刀ってもう何回も使ってるんだよね?」
「はい。それがなにか?」
「うーん……。まったく『技』の波動を感じないんだけど、どういうことなんだろう……」
そう言い眉をひそめるアーシェ。
(『技』の波動……? そうか……彼女は『紋章師』……)
武具に紋章を刻み、『技』の発動をスムーズに行わせるスペシャリスト。
ならば『技』がきちんと発動されているか調べる術を持っていてもおかしくは無い。
俺はスッと椅子を立ち上がる。
そして人差し指を彼女の額へと向ける。
しかしここで彼女は予想外の行動をとった。
俺の指が彼女の額に触れる直前で、彼女は手に持った曲刀を瞬時に俺の指に構える。
「……クレル君……?」
鋭い目つきで俺の目を見つめるアーシェ。
「……くく……くくく……」
俺は笑いを堪えることが出来なかった。
そしてそのまま後ろを振り向き、笑い続ける。
「アーリアといい、鋭い女ばかりだよ。この街は……」
「やっぱり……。最初からおかしいとは思っていたわ。あれだけ『技』が使えなかった貴方が、今ではこの街で誰もが噂をする未知の『技』を使って頭角を現している……。そんな上手い話がある筈が無いものね」
アーシェはそのまま壁に掛けてある大剣に触れようとする。
彼女の得物。
俺はニヤリと笑い魔法を発動する。
「凍れ」
「くっ……!!」
彼女が大剣に触れる瞬間、その大剣を凍りつかせる。
瞬時に手を離した彼女は、そのまま窓硝子を割り外へと飛び出した。
「良い判断だ。敵わぬ相手から逃亡するのは恥ではない。だが――」
俺は右手を掲げ詠唱を始める。
「《囚われの咎人よ》」
「え――」
紋章店を囲うように、周囲数十メートルに氷の檻が具現化される。
どんな得物も逃さない死の檻。
しかしすぐに状況を理解したアーシェは腰に差した短剣を抜きこちらを振り返る。
左手には俺の曲刀を。
右手には短剣を。
「……兄貴……私に力を貸して……」
目を瞑り念じる。
それぞれの刃物に刻まれた紋章が光り輝く。
ゆっくりと目を開けた彼女は、じっと俺を見据える。
覚悟のある瞳。
彼女は、死を覚悟している。
「酷いなぁ、アーシェさん。そんなに怖い顔をして俺に剣を向けるなんて。『技』も使えない、丸腰の俺に一体何をしようというのですか?」
扉からゆっくりと出た俺は余裕の表情でそう言い放つ。
両腕を大きく広げ、一歩、また一歩と彼女へと近づいていく。
「……クレル君。貴方はもう、人間じゃ無いわ」
「人間じゃない? ならば俺は何ですか? 神ですか?」
「…………悪魔よ」
そう答えた瞬間、アーシェは大きく地面を蹴る。
そして短剣で正確に俺の心臓を貫き、もう片方の曲刀で俺の首を刎ねた。
地面に転がり落ちる俺の頭部。
「くくく……。アーシェさんは二刀でもいけるんですね。流石はレグザの妹です」
俺は笑う。
地面から彼女を見上げながら。
「この……化け物が……!」
突き刺した短剣を抜き、もう一度俺から距離をとるアーシェ。
その表情は恐怖で歪んでいる。
俺はゆっくりと自身の頭部を拾い上げる。
そして脇に抱えたまま、彼女に語りかける。
「アーシェさん。貴女の腕は相当なものです。どうですか? 俺専属の紋章師になりませんか?」
「戯言を……! 悪魔と契約するなんて、死んでもごめんだわ!」
そう答えたアーシェは再び紋章に光を灯す。
「無駄だと分かっているのに、それでも俺に歯向かうのですか?」
「馬鹿にしないで! 私達兄妹はずっと誰にも屈してこなかったわ! きっと兄貴なら、貴方を倒す方法だって――」
「レグザは一度殺しました」
「え――」
二刀を構えたまま表情が凍りつくアーシェ。
「『魔法』の調整が上手くいかなくて、殺してしまったんですよ。でもすぐに生き返らせましたけどね。嘘だと思うのでしたら、今ここで【時間逆行】の魔法をキャンセルしましょうか? そしたらすぐに奴は死にますよ」
「う……そ……」
紋章の光が消え、彼女は剣を落とす。
俺はその表情に興奮を隠すことなく身を捩らせる。
絶望。
憎悪。
俺が今まで感じてきた感情を、他人に思い知らせる快感――。
「くく……くくく……」
その場にへたり込んだアーシェを見下ろし、俺は笑う。
神に剣を向けたこの罰当たりな女をどうしてくれよう。
俺はそっと彼女の頬に手を伸ばす。
絹のような肌触り。
彼女を辱めたと知ったら、レグザはどう思うのだろうか。
本当は妹想いの奴が、最愛の妹を玩具にされたと知ったら――。
俺は魔法を発動する。
周囲の時間は凍結され、俺とアーシェだけの世界を創造する。
「や……めて……」
彼女は恐怖の表情のまま俺に懇願する。
俺はその口を魔法で凍りつかせる。
「んん……!?」
もう、言葉はいらない。
俺の全ての欲望を、彼女にぶちまければそれで良いのだから。
アーシェの悲鳴が俺の心に響き渡れば、それで――。




