013 グランディア訓練学校
『氷の魔法』の力を手に入れてから5日が経過した。
このたったの5日で、俺の周りの環境は激変した。
グラッドを始めとしたギルドの仲間は俺を恐れるようになり。
テレミウス伯爵は俺の急激な成長に驚嘆した。
「それでは行って参ります、お義母様」
シイラの作った朝食を食べ終えた俺は、伯爵夫人に挨拶し屋敷を出発する。
ちらっとこちらを見ただけで何も返事をしない夫人。
日に日に俺の噂が街中に広がることを良しとしていないのだろう。
夫人は元々、アースガルド家から俺を引き取ることに反対だったらしい。
無能者を引き取ったなどと知られれば、他の伯爵家から何を言われるか分からない。
家の名を守ることは夫人として当然の使命だろう。
(しかしあの態度はな……。やはり『魔法』で、ある程度の洗脳は必要か)
屋敷の玄関を出ると同時に誰かから声を掛けられる。
俺は声の方向に視線を向け、溜息を吐いた。
「……またお前か。こう毎日毎日待ち伏せされては、あまり気持ちのいいものではないのだがな」
「あら、クレルお兄様。お言葉ですが、こんな美少女に毎日迎えにきていただいて、嬉しくありませんの?」
ピンク色の髪をかき上げ高飛車な態度をとる少女。
あれからレイノは毎日のように俺に会いにくるようになった。
そして自ら、俺に身体を捧げるようになった。
一体どういうつもりなのかは知らないが、意外にも彼女と身体の相性は良いようだった。
「……ミリアに見られる。行くぞ」
俺はレイノを誘導しグランディア訓練学校へと歩を進める。
何故、朝から訓練校に向かうのかというと――。
「ふふ、その正装姿もさまになってきましたわね。クレル先生?」
わざと胸を押し付けるように、俺と腕を組もうとするレイノ。
――そう。
俺は3日前から、グランディア訓練学校の臨時教師として働くこととなった。
レイノが父親であるミュンヘン伯爵を通じ、学校側に圧力を掛けたらしい。
すでにギルド長であるレグザから俺の噂を聞いていたテレミウス伯爵は、この知らせを聞き手放しで喜んだ。
『技』の使えない俺が『技』の訓練学校で教鞭をとる――。
俺は笑いを抑えることが出来なかった。
ギルドでの仕事の合間に、暇潰しにでもと思い受けたこの仕事。
しかしやってみると、これが意外に面白い。
仮面を被り、よい教師を演じる裏で、俺は生徒に『魔法』を使い検証した。
たまに魔力量の調整を間違え、死なせてしまうこともあった。
しかしすぐに時間を巻き戻し、事無きを得た。
今現在、俺が使いこなせるようになった『氷の魔法』は全部で6つ。
【対象凍結】、【組織修復】、【時間逆行】、【洗脳誘導】、【幻視幻聴】そして【性的快感】。
軽い怪我や傷の場合は、時間を巻き戻すよりも、氷の結晶で一旦組織を破壊し、再生させたほうが遥かに魔力量が少なくて済むことが判明した。
そして洗脳や幻視、性的快感を発動させるには、直接対象の肌に触れるか、光に反射させた氷の微粒子を眼窩から体内に侵入させなければならないことも分かった。
これは『組織修復』や『時間逆行』にも同じことが言える。
そして『対象凍結』については、どこまで広域に範囲を及ぼせるかの検証は、まだ済んでいない。
何度か人気のない校庭で試してはみたが、通常の威力で校庭のほぼ半分を一瞬にして凍らせることが出来た。
本気を出したらどこまで範囲を広げられるかは不明だ。
これについてもいずれ検証が必要だろう。
「クレル先生、おはよう御座います」
何人かの生徒がすれ違いざまに挨拶をしてくる。
その度に俺の腕に胸を押し付けているレイノの行動を見て、ひそひそと話し始めた。
もうすでに学園の一部では噂が広がっていた。
俺とレイノの関係を疑う教師も現れだしたくらいだ。
ミュンヘン家の令嬢と、突然頭角を現したギルドから派遣された臨時教師――。
話題に乏しい辺境の街では、一気に噂が広まってしまうのも無理はない。
「いい加減にしろ。お前は一体何がしたいんだ」
イライラした俺はレイノを睨みつけそう言い放つ。
「クレルお兄様はもう気付いていらっしゃるのではありませんか? 私の『目的』を」
少女とは思えない、『女の表情』で俺の耳元に囁くレイノ。
自身の欲望に忠実な女――。
俺の魔法に溺れ、支配と快楽を与えてもらいたいのだろう。
彼女は、一瞬にして虜となったのだ。
俺のもつ『魔法』の力に――。
彼女はそのまま俺の耳を甘噛みする。
背筋がゾクリと震え、俺は彼女を引き剥がす。
この女は何故、俺に動じないんだ?
俺の機嫌を損ねれば、どうなってしまうか分かっているだろうに。
俺は『神』だ。
その神を誘惑するこの少女は『悪魔』か?
俺は溜息を吐き校舎へと入る。
「それではクレルお兄様。またあとで」
満面の笑みで教室へと向かっていったレイノ。
俺はもう一度大きく溜息を吐き、技能員室へと向かった。
「おはよう御座います」
技能員室へと入室し、教師らに挨拶をする。
俺は自身の席に着き、授業のための資料を用意する。
「今日もお早いのですね」
声を掛けられ振り向くと、肩まである藍色の髪の女性が目に入る。
フィメル・シークレット。
『戦術科』の教師であり、自身も『戦術技』を行使する策略師の一人だ。
戦場では表舞台に立つことはなく、諜報部隊として暗躍する策略師。
しかし――。
「珈琲でもいかがですか? 昨日、すごく香りのいい珈琲豆を知り合いからいただいて――きゃっ!」
なにも足に引っ掛けたわけでもなく、フィメルは盛大に転んだ。
そして、そのまま俺にダイブしてくる。
この女は典型的なドジ女だ。
こんな奴にも『技』の才能があり、策略師としての功績も残している。
「大丈夫ですか、フィメル先生」
「いたたたた……。あ……。ご、ごめんなさいクレル先生!」
彼女の香水の匂いが俺の鼻腔を擽る。
嫌味のない、清潔感のある石鹸の香り。
慌てて俺から身体を離し、顔を真っ赤にしながら平謝りをするフィメル。
「珈琲だったら俺が淹れましょう。これでも義妹からはうまいと言われるんですよ」
そう言い、椅子から立ち上がった俺は技能員室の隅にある給湯室で湯を沸かした。
「す、すいません……」
慌てて珈琲カップを用意するフィメル。
嫌な予感がしたが、時すでに遅し――。
ガシャン――!
「ああっ! ご、ごめんなさい! すぐに片付けますからっ!」
周りの教師がフィメルの行動を見て失笑している。
生徒からは人気のあるフィメルだが、このドジっぷりは他の教師からしてみれば迷惑この上ない。
そうして孤立したフィメルからすれば、着任したばかりの俺は、唯一話しかけることが出来る格好の標的だ。
「大丈夫ですよ。俺がやっておきますから、フィメル先生は――」
ガシャン――!
「……うぅ……」
拾い上げたカップをまた手から滑らせてしまい、泣きそうな顔で俺を見上げたフィメル。
……俺にどうしろというのだ。
周りの教師らは完全に知らん顔だ。
本日、何度目かも分からない大きな溜息を吐く。
能力を隠し成り上がっていくことは、こんなにも大変なことなのか。
想定していたよりも、この世界を支配するのには時間が掛かるのかも知れない。
……しかし、痺れを切らしてしまっては元も子もない。
一つずつ、着実に、俺の力を周囲にしらしめていく――。
俺の命はすでに永遠のものとなった。
焦ることはない。
心の余裕は、王者の風格のひとつだ――。
――俺は割れた珈琲カップを拾いながら、自身にそう言い聞かせたのだった。




