6、二度目のキス
「うーん……」
私が夜着に着替え背伸びをする。
すると私の侍女ルパーシアが枕をトントンと空気を入れ膨らませた。
「お嬢様、お疲れでしょう? 湯たんぽを入れましたから今夜はゆっくり休んで下さい。……坊ちゃま達はいまだお酒にドンチャンと大盛り上がりですけど、お嬢様のようなうら若き乙女に夜更かしは敵ですわ」
「そうね。まったくだわ」
グエンや殿下も本当は早く寝たいだろうに……無理をしてないといいけれど……。
「…………」
「ラベンダーのポプリも枕もとに〜♪」
「ねえ……ルパーシア一つ聞いてもいい?」
「……おん? はい、何でしょうお嬢様!」
鼻歌まじりのルパーシアの歌に割り込んで申し訳ないが、私は今、とにかく誰かに話を聞いてほしかった。
「ルパーシア……私、そんなにディアベルゼ殿下を頻繁に見ている?」
「おん?」
「……エメライン義姉上に言われたの。私……自覚がなくて」
分からない……だけど、つい殿下の姿を探している自分がいるのは知っている。
あの淡いシャンパンブロンド……アイボリーブロンドの頭が、何処かにひょっこり現れないかどこか期待している自分がいるのだ。
「でも……よく見ているから、いきなり恋だというのは、おかしくはない!?」
だってほら、興味があれば恋でなくても目で追うものでしょう?
「雷に打たれたわけでも……人生観が百八十度かわったわけでもない……。そんな衝撃はなかった。それに――」
殿下のスマートさ、殿下の鮮やかな立ち回り。
「私じゃ……殿下に相応しくないわ……!」
気付けばポロポロと涙がこぼれた。
口にしたら耐えられなかったのだ。
少し前なら、ちょっと上から目線で……殿下を斜に構えて見ていたくせに!
でも……それは私が子供過ぎて何も分かっていなかっただけだ。
殿下が王子様然としていたのは王族の責任を全うしていただけで、決して気取っていたからではないのに……。
「バカみたい……自分がひどい自惚れ屋で……」
何にも知らないくせに、何でも知っている気でいたんだわ。
泣いているとグスグスと鼻が鳴った。
まるで豚ね。醜い豚。
オインク、オインク!
そうやって殿下の後をついて回ってる!
すると、ルパーシアがサイドテーブルに何かをことりと置いた。
「お嬢様、ホットミルクをどうぞ!」
「え……」
サイドテーブルの上でホットミルクに蜂蜜を入れてルパーシアがくるくる回す。
出来上がるとそれを私の目の前に差し出した。
ふとんに潜り込んでいた私は、ホットミルクを渡され、ベッドに座り直して戸惑いながらそれ受け取った。
湯気がたちそっと口に含むと優しい味がする。
……温かい。
「お嬢様……恋って何で出来ているかご存知ですか?」
ルパーシアは優しい声で私に問いかける。
私は頭を小さく振った。
「不安、苦しみ九割です!」
「………………」
「一割の楽しいことが楽し過ぎてうっかり忘れてしまうけど……ほら、人って生きていくために痛いことや辛いことは、すぐに忘れるように出来ているでしょう?」
……確かに、私は懲りずに何度も傷をこさえるわね?
「それでも忘れきれないほどキツイ目に合うと……もういいや! ともなりますが……恋って案外そういうものです」
「…………」
「ほーんと、ぜーんぜん良いものでも何でもない。世間は一割に……あまりに夢を見過ぎなんですよ!」
じゃあ、その一割はどれだけ凄いの?
「ルパーシアは……恋をしている……または、していた自分が好きだった?」
ルパーシアは優秀で、ゆえに自分のことは聞かなければ決して多くを語らない。
その中でもこれはかなり踏み込んだ質問だったと思う。
「どうでしょうね……溺れている時は友だちに嫌な思いをさせたり、変に自分を万能と感じたり、あるいは恋をしていない人を笑って馬鹿にまでする…………うわあ〜、冷静に考えれば、本当に最低ですね……?」
それにルパーシアは全て正直に答えてくれる。
でも、ああそうなのね。
……嫌だなぁ……私そんな風に恋に溺れたくないわ。
「でも自分じゃない“新しい自分”になれますよ!」
「新しい……?」
「はい。まず相手によく見られたい、相応しくなりたい! って背伸びをはじめます。……それに嫉妬やヤキモチやトキメキという知らなかった感情を知って、空回りして、恥を知り、理性が機能不全になるんです!」
「ほぼ悪い変化じゃない……」
「しかも実益有益で冷静な周りのアドバイスは全力でガン無視します!!」
「さ、最っ悪!?」
頭が痛くなってきた。恋ってダメ人間製造機じゃん!
「そんな紆余曲折を得て……女は最高にイイ女になるんです!」
「…………」
「だって失敗しまくって駄目ラインは全部踏んだ後ですからね? ……あ、だから失敗は成功のもとなのかも? あと同じ轍を二度三度踏むこともあるし……長い道のりですよ〜」
「…………」
「でもその成功例が……この私です!」
キランと眼鏡を光らせるルパーシアに、思わずプッと噴き出した。
「あはは……給仕服でセクシーポーズはやめて~!」
いや笑っちゃ悪いんだけど、だって二、三、四って複数ポーズを高速で決めるからぁ!
「ふふ、笑顔、笑顔! お嬢様はとびっきり可愛いんですから……笑顔になればあの満月もメロメロメロンですよ!」
何だメロメロメロンって。
「はー、泣いているのが馬鹿馬鹿しい」
「ふふ、明日、腫れぼったくなってしまうから目元を冷やしておきましょう。お嬢様、寝ている間にあさってに投げないで下さいね?」
「うん、寝ている私に言っとくー!」
そこで、プッと二人して噴き出し、また一つ笑った。
……結局。ルパーシアは私が恋をしているかどうかには答えなかったけど……何故か私はスッキリしている。
ルパーシアにオヤスミとありがとうを言って私はベッドに潜った。
(そっか……なんだ、そんな良いもんじゃないんだ……)
だけどそれが変に肩から力が抜けて気楽に思えた。
(……結局デートはうやむやになったし“無し”……かな)
ちょっと残念だけど、仕方無いよね?
その時、窓がコツンと鳴った。
「…………」
……気のせい?
しかし、またコツンと小石が当たり、私はガバッと身体の向きを変え、枕の下に常に潜ませているダガーの柄を握る。
「――敵襲?」
さすがに辺境伯領内には入っても易易と排除されるだろうと思っていたけど……鼠を二、三匹取り逃した?
私はダガーの持ち手をチャッと持ち替え、ベッドから滑り降りて壁際を背に窓を注視した。
(不用意に窓に近付けば、ガラスが派手に割れた時、全身に破片を浴びることになる……。まずは気配を辿るのよオフィーリア……)
風の音。
木のしなり。
虫の音。
全神経を集中させる。
ガチャリ……キィッ。
私は今なら踏み込めると踏んで窓を開けた。
シュタッくると、向きを変え、ここでも壁を背中にする。
(相手の不意を突くなら……まず目玉……いや脛か?)
どこ……どこ……どこ?
「ここだよ! オフィーリア!!」
…………。
「!?」
下を見るとそこには淡いシャンパンブロンドの頭!
「ででででで殿下っ!?」
「シーッ……オフィーリア……降、り、て、き、て」
そう後半が小声になって殿下がジェスチャーをする。
「…………」
え、え!? どうしょうどうしょう! お化粧ぜんぶ落としちゃったし、髪も下ろしてセットしてないし、あ……唇に紅だけでも差しとく??
……というか、行かない選択肢は無いんかい!
と、セルフツッコミもついでにしておく。
な。というか忙しいんですが!?
「少し…………待ってて!」
私もジェスチャー混じりに小声で答える。
すると殿下は両手ででっかい丸を作った。
「…………」
何、何? ……鼓動がすごく早いよ。
私は慌てて部屋の中へと戻る。
「ああ……もう、泣かなきゃ良かった。私の馬鹿ぁ……っ」
鏡を見ると、目は……少し赤いけど、うん、腫れてはいない。
私はそのまま紅の瓶の蓋をひねり、唇に小指で紅を差して、髪を少し梳かして、両手で空気を入れるように広げた。
「どうしよう……これで良いかなぁ?」
もっと何かしたいけど、急がないと殿下が戻ってしまうかも!
後ろ髪を引かれる思いで部屋を出て、廊下を音を立てないように小走りし……階段の手摺りをお行儀悪く滑り台にして下までシャーッと降りた。
(いそげ……急げ、急げ!)
せっかく少し整えた髪を振り乱し、走るより早く鼓動が鳴り、それでもふわふわと飛んでいるみたいに身体が軽い。
まるで羽根にでもなったみたい!
「で……殿下!」
姿が目の前になった瞬間わかった。
「オフィーリア……!!」
私……。
私いま恋してるんだ。
「はぁ……はぁ……はぁ」
息が今さら切れる。
もしかしたら、走っていた時に息をしていなかったのかもしれない。
「ああ、そんな薄着じゃあ風邪を引いてしまうよ」
そう殿下が私に上着を掛けた瞬間。
私は無我夢中で殿下に抱きついてその唇を塞いでいた。
「――!!」
きっと……すごい下手くそだわっ。
だけどきっと言葉じゃ上手く伝えられなくて。
私の気持ちをただ知らせたかった。
息が上がって肩が上下していたのが少し落ち着いた頃。
私はそっと唇を離した。
「オフィーリア……」
殿下が私を見つめている。今ならきっと……きっと言えるわ。
「殿下……殿下、恋って何ですか?」
「…………」
「気持ちが整理される前にどんどん話が進んでしまって、私……不安で、孤独で、怖くって……!」
そう、まるで自分の気持ちが自分のものじゃ無いみたいで。
「…………」
「なのにどうして貴方ばかりを目で追ってしまうの!?」
「…………」
「分からないから二度目のキスをしました。そしたら何か分かるかもしれないって……」
「……それで、何か発見できた?」
私は殿下の服を両手でぎゅっと掴み、ぶるぶると髪を振り乱して頭を振る。
「そんなの分かんないっ! ……だけど、もっと私自身の心にも身体にも触れてほしいと、つい思ってしまうの……」
身体が震える。本当はどこまでを言うべきなの? ――あるいは言わないべき?
……だけど、だけどもう自分じゃ自分を止められない。
「これは何? これが好きってことなのですか? 殿下が教えてくれなきゃ、私……分からな」
その時、唇が激しく塞がれた。
あの時と違う。
あの時と全然違う!
殿下は人間とは思えない熱さで……私、このまま融けて人間じゃなくなるかも。
「ハァ……ハァ。殿、下……」
「……僕も同じだ」
――え?
「僕も全く同じだ……今まで何度も経験した恋する気持ちと違いすぎて、すごく戸惑っている」
「え……じゃあ……私へのは恋じゃないのね……?」
そう考えた瞬間。胸の真ん中に氷が降りてきたみたいだった。
「……違う。こんなに自分が制御不能になったことがなくて、理性が追い付かなくて、だけど……欲しくて堪らないんだ……!」
「…………」
まるでルパーシアが言っていた言葉みたい。
「ああ……酒にはクラクラしなかったのに……今、どうしようもなくクラクラする!」
殿下が余裕ない顔で前髪をくしゃりとかき上げた。
あ、今の表情……好き。
「……言って」
「え?」
「今の気持ちを……言って?」
「…………」
殿下が私が潰れるほど強く抱き締める。もっともっと傍へ近付きたいみたいに……。
「気が狂うほど愛してるんだ……オフィーリア……」
「ディアベルゼ……!」
それから私たちは何度も何度も。
おかしいくらい、キスをした。




