28、そして今現在に至る。
長い十二歳への旅路から今の十七歳の自分に戻ってくる。
なんでこんな長い間、こんな大事なことを忘れていたのかと言えば……、それはやはりロードの精神干渉や精神操作のせいだろう。
(そういえば私……お肉、好きだったわ)
私はあのあと、ロードから何度か精神操作を受け、本来ならずっと囚われるようなトラウマについても、大した問題や悩みと思わず……むしろ自分の中で目の端にすら入らない存在となっていた。
特別、肉好きじゃなくなったのも……恐らく兄弟を捕食対象にしないために、もとより好きだった甘味へと意識が集中するように操作されたからに違いない。
しかし、これには無論、新たな問題が付随した。
十二歳の私を襲った新たなる問題。
それは――。
「もしゃもしゃ……もしゃもしゃ……もしゃもしゃ!」
「…………」
それまでの甘味への長年の制約も相まり、お菓子への過食衝動が爆発したことだ。
「ぶ、ブラッド……オフィーリアが朝からずっと何かを口に運び続けてもうお昼なのだけど……」
「うん……そうだな」
当時、お菓子を暫く解禁しようと提案してくれたのはこのブラッドフォード夫妻らしい。
「オフィーリア……そろそろ気持ち悪くなるだろうから止めなさい」
だけど私は気持ち悪くなるどころか、超元気な絶好調で返す。
「全然きもち悪くなんてならないよ! それに……あ、来たわ!」
「は? 何がだ?」
「…………」
「――オフィーリア?」
「あ……ごめんね。今、頭がボーッとして、身体が一瞬ふわふわーって空へ浮いた感じになったの。ふふふ、これ楽しい〜! もう一度やろう〜」
末っ子の発言に、思わず絶句する長兄夫妻。
「ブラッド……本当に大丈夫? 確か糖分は一部、科学者の間で覚せい剤より中毒性があると言われているのよ?」
「あ、ああ……そうだな」
「あとね〜甘い物をたくさん食べると……コロンってよく眠れるの!」
「オフィーリア……それは睡眠というより気絶なんじゃないかしら!?」
「まさに糖尿病、成人病、三代疾病まっしぐらだな……」
「え〜大丈夫だよー! もぐもぐ……」
「「……」」
長兄夫妻が静かに頭を抱える。
「どうやら……我々は道を違えたようだな」
「ええそうね。『これ』に対する治療には劇薬を要するわ」
そこで導入されたのが……。
「おい、でぶ子行くぞ〜!」
三男グエンだった。
「誰がでぶ子だ!?」
あまりの言い草に思わず憤慨する。
「そうか? ……なら、今でも俺のランニングに付いてこれるか?」
「ふ〜ん、そんなの余裕ですー!」
「じゃあ百キロ山間マラソンだ。ほら行くぞ!」
「ひゃ……百キロ……!?」
「あれ〜、やっぱりしんどいか? ……止めるぅ?」
「…………」
正直……かなり行きたくはない。
けれど、ずっとヒグマ・アドバンテージのおかげもあり、私は自分の運動能力に兄弟の誰よりも誇りを持っていた。
「い、行きますけど?!」
我ながら、自分の首を絞める無駄なプライドの高さ!
だけどここで折れては、そんなのは私……オフィーリアじゃない。
そうして百キロ山間マラソンは強行された。
「おいっちに♪ おいっちに♪」
「ぜー……ぜー……ぐふッ」
か、身体が呪いのように重い。
息が上がるし、脇腹が痛くなるのも早すぎない?!
さらにその時、人生初の悲劇が巻き起こる。
「ママ〜見てみて〜丸々としたブタさんみたいな女の子が必死に走ってるよ〜面白ーい」
「こら! ……あんなもの見ちゃいけません。めっ!」
その時の後頭部をウォーハンマーで殴られたような衝撃といったら……。
え?
え? え? え?
は?
「…………」
私は長年。これでも可愛い可愛い、美人だと言われて育ってきた。
容姿を貶されることはモチロン……ましてや、目の毒とばかりの閲覧禁止の扱いなど……今の今まで受けたことなど無い。
「……………………………………………………」
「え、え〜と……オフィーリア……大丈夫か?」
グエンが柄にもなくそう心配するが。
ハハハ……大丈夫。
大丈夫だよ。
キレちゃったわよ。
大丈夫。…………そう、私は大丈夫。
「あの親子……絶対に目にもの見せてやる!」
「お、おい、やめろ……相手は一般人だぞ!? アホ馬鹿とまれ!」
「グエン……悪いけど先に行くね!」
そこから私は百キロ山間マラソンを猛ダッシュした。
さらに腹筋、背筋、腕立て伏せからのジャンプ、片脚スクワットのコサックダンス。
木登り百往復。
素潜り百往復などを毎日、毎日、代わり番こにそろをこなし……。
その間にも、ロードの精神操作治療の方針変更により、甘味から徐々に野菜や果物、魚へと好みのシフト変更するよう治療され……。
また、徐々に徐々にお菓子が部屋から撤去され始めたが、もはや私に文句などなかった。
……その結果はたしてどうなったかというと?
「わあ〜ママ見て〜すっごく綺麗な女の子が颯爽と走ってるよ〜! カッコいいー!」
「わあ、本当ね〜、何て目の保養かしら? ……あの姿を額縁に入れて飾れたら良いのにね〜!」
(フフ〜ンん♪)
見事にダイエットを成功させ、親子共々見返してやったわ!!
「ふふふ、どうだ……目にもの見せてやったわよ!?」
「お前……スゲーよ」
グエンがそう、呆れとも感嘆ともつかない声でボソリと呟く。
さらに帰ってからグエンが兄弟達に報告すると謎の拍手が起こった。
「本当……根性だけはあるんだよなぁ……」
「リミッターよりバカ高いプライドにこそ精神を侵食されてないか、コイツ?」
うるさい、うるさ〜い!
何ごとも結果を出したもの勝ちなんですー! フゴー!
そうして今現在に至る……のだけど私のすることヤルこと成すこと、派手にオチがついてくるのは何でかな?
あれ? 最初、真面目な回想だったよね?
それこそ食人衝動とかー?
「食人……衝動……!?」
それを真正面から考えた瞬間。
指先が冷たく震えた。
深く追求してこなかったけど、私は結局あの時、人を食べたんだろうか? 食べていないんだろうか?
もし、本当に食べていたとしたら……!?
「ディアベルゼ様に……何て言えばいいの?!」
そんな恐ろしい相手など……家のあれこれを抜きにしても……普通、受け入れるなんて出来ないよね?
軽蔑どころか……気持ち悪くて人によってはその場で吐いてしまうかも。
ディアベルゼ様がその話を聞いた後、顔を歪めえづく姿をリアルに想像して、私は思わず枕の下に頭を突っ込み「ウワああァー」と絶叫した。
「無理……無理無理無理……無理よ!」
そうか……私がディアベルゼ様に本当に知られたくなかったのはヒグマのリミッターそのものではなかったんだわ。
私が知られたくなかったのは、リミッターのその先に生まれた呪い。
食人性の方だった。
それで拒絶される可能性を……知らず恐れて、今まで避けていたんだわ。
だって、そうされたらきっと……私は一生立ち直れないから……。
だから、私は。
「…………」
私はのろのろと立ち上がる。
それから一番良い椅子に置いておいた一つの箱を開けた。
そうして箱からある物を取り出す。
それは……ディアベルゼ様から貰った彼が丸一日着用したディアベルゼ・シャツ。
それをぎゅっと抱きしめる。
「…………」
(大好きな人の、大好きな匂いがするわ……)
涙が零れた。
シャツだけで愛おしさがこんなにも溢れてくるだなんて……。
私はそのまま裸になって、足でもとより着ていた服を蹴り飛ばし、ディアベルゼシャツを着てみる。
「…………」
鏡の前に立つと、ディアベルゼ様のシャツがすっぽりと私を包んでいた。
「こちら……この春夏新作のコレクション」
姿見の前まで歩いていき、Uターンする。そして最後に決めポーズ。
「……馬鹿みたいだけど、楽しいわ」
だけど何故か涙が止まらなかった。
ファッションモデルごっこを終えてベッドにダイブする。
枕を抱き寄せ、袖口を鼻先に持ってきて匂いを嗅ぐ。
今は果たして何日の何時だろう?
「シャツじゃなく……ディアベルゼ様本人がやっぱり恋しい」
そう私が本当に欲しいのはシャツじゃなく、ディアベルゼ様本人だった。
「なら、その本人を中に入れてくれないかな? オフィーリア」
「…………」
おや、何だか急に幻聴が聞こえるわ?
「そんな訳ない……殿下はもう私のこと嫌いに決まってるもの」
「え、そんなことあり得ないんだけど?」
「だって……どこにヒグマと一緒になりたい変態がいるの?」
「はーい、ここでーす。はーい!」
「幻聴が……うるさいよ」
「それが幻聴じゃないんだ。これが?」
「…………」
私は顔を上げてキョロキョロする。
「幻聴さーん……どこー」
するとコンコンコンとドアが鳴った。
「オフィーリア……ドアの前だよ」
え、て、もしかして……本物!?
「何で……私の声が聞こえるの?」
だってそんな大声で騒いでいたわけじゃないわ。いくら何でも外に聞こえるわけ……。
しかし、その種明かしはあっさりと成された。
「お嬢様。ルパーシアお得意の『拡聴』のロードを使わせていただきました!」
「!?」
そう。
侍女のルパーシアは元々、モンディスカ軍の諜報部隊に所属し活躍していた。
だけど一時期、敵の捕虜になり、ひどい拷問から心的外傷後ストレス障害を患ったことで……治療後に私の専属侍女に配置換えになって現在に至る。
「私がいる所……壁に耳あり、野に目ありですよ〜」
ぷ、プライバシーもへったくれも無いじゃないの。この家は!?
「僕もオフィーリアに会いたい。どうか顔を見せて」
「…………」
崖から身を乗り出す時。
人はこんな気持ちなのかしら?
あなたに私の本当の姿を知られるのが怖い……けれど、それでも君がいいと言ってほしいと望んでしまう。
そんな愚か者をディアベルゼ様は果たして許してくれますか?
ガチャリと鍵を開けて、観音開きに扉を開く。
「…………」
「…………」
ディアベルゼ様は目を見開き私を凝視した。
彼の前に立つのは巨大なヒグマ。
私は拒否される覚悟でリミッターを使った。
だって私はオフィーリア・モンディスカ。
十二歳のあの時、強くなると決めたのだ。
例え二度と立ち上がれなくなるかもしれなくても……逃げたらそれは、もう私では無いから……。
『ディ……ディアベルゼ様』
震えが止まらない。
怖くて涙が目からポロポロ出る。
やっぱりリミッター姿で出てくるんじゃなかった!
馬鹿ばか単細胞!
オフィーリア・モンディスカのあほー!?
だけどディアベルゼ様は優しくふっと微笑み、それから私にぎゅうっと抱き着く。
「すごく可愛いよ、オフィーリア。……やっぱり、オフィーリアは世界一可愛い」
その瞬間。私の涙腺は決壊し、グオォッグオォッとヒグマの声を細く重く上げていた。
そしてそのままシュルシュルと身体は縮んでいき、私は最初のディアベルゼシャツ姿一枚に戻って、ディアベルゼ様の腕の中に今いる。
「ディアベルゼ様……ディアベルゼ様!」
「オフィーリア……」
だが、その時だ。
「おい……そんな格好で何をしているんだ!?」
引っ付く私とディアベルゼ様はベリッとはがされた。
そんな風に私たちを切り離したその人物とは……。
「……ギデオン!」
見たことも無い形相で怒り狂う。
次兄ギデオンその人だった。




