26、【閑話】炎のリミッター ※三人称視点
(……オフィーリアのリミッター暴走を鎮めるんだ)
唸るヒグマの怪物と化したオフィーリアを目の前に……ギデオンの額に汗が垂れる。
(だけどオフィーリアは女の子で大切な妹だ。ヤケドなんてさせられるかよ?! 何より……痛くて可哀想だろう……!?)
ましてやその顔に傷でもついたら一生ものだ。
ギデオンは慎重に火の壁を維持した。
(俺は炎と親和性が高いから基本熱くはないし、煙を吸っても苦しくはない。だけどオフィーリアは違う)
でも、それは逆にチャンスでもある……。
どうか避難訓練を思い出してほしい。
火事でまず気を付けるべきは、その煙を肺に吸い込むこと。
(煙には有毒なガスや高温の空気が含まれる……それで気絶させたオフィーリアを外へ連れてだす! ……ヒグマ時は体重五十、六十? 八十キロだっけ? ……その重さならまだ余裕で運べる)
それは大変危険な賭けだったが、ギデオンのリミッターで外傷をつけずにオフィーリアを救うには、もはやそれしか適切な方法はない。
(回復に普通なら時間がかかるが……ちくしょう。治癒のロード婆さんに全貯金をはたくしかないか!)
金にがめつい知り合いを思い浮かべ、ギデオンは頭の中で算盤の珠をはじく。
(あと、こんな穴ぐらで炎を思いっきり使ったら他のメンバーが大変だが……まあアイツらはどうせ殺しても死なないから、以下省略で……)
そして、ギデオンは他の兄弟やモンディスカ兵に対しては、実に雑だった……。
そうやってギデオンは炎の壁をいいことに……そのまま壁を背にしてブツブツと作戦を練る。
……だが、ギデオンの計算にはある部分が完全に抜け落ちていた。
「グルルルルるるっ……」
オフィーリアは確かに今、ヒグマ姿で正気を失っている。
だが、しかし――。
「グアァッ……」
彼女は元は人間で……獣ほど十分に炎を恐れないということをすっかり忘れていたのだ。
次の瞬間……ギデオンの横を熱波の様な風が吹く。
そこで振り返れば、そこには炎を飛び越える一頭の獰猛なヒグマの姿。
それはまるでスローモーションの様にゆっくりに感じた。
そして……。
「―――ぅ゙あ゙ぁっあ……!」
気付けば自分の背中に爪を立て、その背中にヒグマは猛烈に齧りついていた。
それからそのまま服ごとブチブチと肉を引き千切られる。
「ぅあ゙あ゙ぁああああ゙っッ゙!?」
今まで味わったことの無い痛覚に、ギデオンの目の前は赤や白や黒で激しく点滅した。
ドクドクと血管の鳴き声が耳元に響き、床には新しい血溜まりが生まれる。
見上げれば、そこには今食い千切られた真新しい自分の背中だったものが目に飛び込んできた。
それはあまりに鮮やかなピンク色と朱色で……一瞬、パニックからか「へぇ。けっこう俺の肉って綺麗じゃん?」などと冷静に考えるが、勿論それどころではない。
ギデオンは今までオフィーリアには幾度となく噛まれ、引っ掛かれたことがある。
けれど、それはあくまで自分たちが構いすぎることに対する威嚇や牽制の類のもので……この様な明確な殺意……ましては食人衝動なんてことは決して無かった。
そんなヒグマの怪物と化したオフィーリアと目があった時。
布や肉片を咥えたままニヤッと笑った気がしてゾクリと悪寒が走る。
(あ――これは、ヤバいな)
防衛本能から思わずリミッターの炎が最大火力で吹き上がりそうになった。
だけどその刹那――。
(……お兄ちゃん!)
幼い妹の姿がまぶたの裏に浮かんだ。
長すぎるまつ毛と菫色の瞳。
(お嫁さんに行かないで、ずっとギデオンのそばで暮らすよ!)
その妹が枕を並べそう言った。
甘えたような格好つけたようなその話し方。
(というか、ギデオンと結婚すればいいのかな??)
それはあまりに単純で幼い……直線的思考。
(だけどお話の王子様より、お兄ちゃんの方が大好きなんだもん)
これらが一体どれほどの殺し文句であるかを、この子は果たしてわかっているのだろうか?
「…………」
(あんまり……お兄ちゃんを困らせるな。オフィーリア……)
ギデオンは腰に付けていた荷物のベルトをカチャカチャと器用に外し、横へと乱暴に投げる。
何故ならオフィーリアが自分を食べる時にきっとそれが邪魔になるだろうから……。
(何しろ俺は……お前の餌係だからな?)
どう考えてもまともじゃない考え。
誰の未来も救われない思考。
……けれど、その時のギデオンには、それが最も正しく尊く思えた。
(俺を……お前の一部にするといいよ)
ギデオンは死の覚悟を決めて目を瞑る。
妹に一生消えない火傷か、命を奪うくらいなら……いっそ自分の命を投げ出す選択肢をギデオンは真っすぐに選ぶ。
「…………」
死の前はただの静寂だった。
「…………」
その時間は、苦痛を想像すればそれこそ永遠に思える。
「…………」
? ……いやでも待て。実際、なんだかこの時間、あまりにも長くはないか?
ギデオンはそうっと片目を開けた。
すると目の前にいたはずの、あの獰猛なヒグマ姿の妹が忽然と消え失せているではないか!
「…………え?」
どこに行ったんだとキョロキョロと見渡せば、ヒグマはギデオンが投げた荷物を鼻先で夢中でまさぐっていた。
……しかも、ギデオンの肉片をもう要らないとばかりに、そこらに投げ捨てて。
「……はっ?」
いや、何で??
ギデオンはそのあたりでハッと気が付く。
(そうだ……あの荷物には……!)
実はオフィーリアは過去の幾多のやらかしから、甘い物を極端に制限されている。
だから、ギデオンもオフィーリアにあまりお菓子を与えるなと周りからと口酸っぱく注意をされていた。
ゆえに、オフィーリアに会う前には……男兄弟全員にお菓子を持っていないかのボディチェックが問答無用に入る。
そうして案の定……。
「……ギデオン。このフィナンシェは何なんです?」
「そ、それは――っ!」
「しかも、あらあら……オフィーリアの好物の蜂蜜をたっぷりと含ませて、これまた用意周到だこと……?」
「……くっ!」
見つかった自分の不甲斐なさに、ギデオンは思わず唇をギリッと噛む。
「まったく……これもあの子のためなのですよ? というわけで、これは没収、没収!!」
そうして、そのボディチェックにより幾度となくギデオンは悔し涙を流してきたのだ。
甘い物があればそれこそ生意気な妹を簡単に懐柔できるというのに……。
だけど今回の救出においては、例外として甘い物を持ち込むことを許されていた。
だからギデオンは、腰のバッグに入るだけ、キャラメルやら飴やらチョコやクッキーを詰めている。
その詰めるだけ詰めた甘い物で、今、ヒグマのオフィーリアの脳内は占められていた……。
四日間の絶食も手伝いまさに無我夢中。
因みに熊やヒグマもその本能として甘い物に目が無い。
ガフガフと目が逝っちゃいながら口を動かし、オフィーリアはこちらに目もくれなかった。
「…………」
そんなオフィーリアの周りをギデオンは無言でコマの様に周囲を旋回するように螺旋状に炎で囲う。
そうして、オフィーリアは鼻先を荷物に突っ込んだまま煙を大量に吸い込み……やがてコテンと気絶した。
オフィーリアの食い意地に、ギデオンがまさかこれほど感謝する日が来るとは本人も思っていなかったに違いない。
「…………ぐっ゙!」
さらにそれでことは終わらない。
ギデオンはそのヒグマを自分の背中に背負い運ぶため、自らの炎で抉れた背中を焼いて止血する。
……いくら炎と親和性があるとはいえ、自分の生肉を焼くのは耐え難い苦痛だったが……戦場で鍛えた(※妹さえ絡まなければ)常人離れの精神がそれを支え、焼いたその背中に気絶しているヒグマをおぶる。
「ほら……家に帰るぞ」
脂汗を額に浮かべながら、ギデオンは優しくオフィーリアに囁いた。
しばらく歩くと、他の兄弟たちとも間もなく合流を果たす。
こうしてオフィーリアはようやく人攫いのアジトから救出されて……ギデオンの背中を犠牲にモンディスカへの帰還を果たしたのであった。




