25、【閑話】生き物係 ※ギデオン視点
「このベッドに……妹がいるの?」
九歳になって初めて妹ができた。
弟はたくさんいるけど、妹は初めてだ。
正直……妹なんて未知の存在すぎて、どう接すればいいのかわからない。
「ええ、そうよ覗いてみて」
母にそう言われ十一歳の兄のブラッドフォードとすぐ下の六歳の弟グエンと共にベビーベッドを覗くとそこにいたのは――。
「「「…………」」」
赤……ピンク色をした、毛のような形の突起に全身を覆われた……子どもの手のひらサイズの本当に未知の生物だった。
「え、これ……まず人?」
幼いグエンがストレートな本音をもらす。
そりゃあそうだ。
もはや男、女で片付く個体差ではなかった。
「そういう“リミッター”なのよ。……さて問題です。この子のリミッターは何でしょう?」
母が横になりながら冗談めかして自分たちに聞いてくる。それにまず答えたのが真面目な兄のブラッドだ。
「…………愛犬のバーナードが生まれた時に似ている気がする。……“犬”のリミッター?」
「あら、さすが鋭いわね? ……でも近いけど違います。なんと……ヒグマのリミッターよ!」
「え……熊? 動物? 動物になるリミッターなの?? それって果たして人間になれるの?!」
「なりますよ。オノレと私の子どもだもの。ちゃんともとは人間です」
「「「……え、え〜〜?」」」
さすがのブラッドすらそれを信じてはいない様子だ。
そんな勝手な評され方をしているのに、妹……オフィーリアは元気な様子で、目が開かない不器用な動きながらもベッドから今にも出ようとウネウネしている……。
それで何故か。
僕らは母に指名されてコイツのミルク係に任命されることとなった。
普通なら不満を覚えるが……だけどそれは妹の世話を押し付けられるというよりも、珍しい生き物の係にでも任命されたような気分だった。
ゆえに僕らは互いの顔を見合わせてから、二つ返事でそれを引き受ける。
そうして僕らのオフィーリア育成がはじまった。
普通のヒグマのことは分からないが、オフィーリアは他の人間の赤子のように二時間ごとにミルクを欲しがる。
それを代わり番こでミルクをやった。
スポイトでミルクを吸い上げ、片手にオフィーリアを乗せてミルクをやれば、手には熱いほどの体温とドクドクとした心臓の鼓動がじかに響いてくる。
そんなか弱い個体が、必死に自分の与えるミルクに食らいついた。
「……片手に力でも入れれば、お前なんて簡単に死んじゃうんだろうな?」
そうわざと怖いことを言っても、まだ言葉の分からないオフィーリアはひたすら乳白色の液体に夢中だ。
「こいつ本当に食いしん坊だなあ……」
そう思って求められるままにミルクを与えていたら、急に動かなくなった。
「え?」
そっとベッドに置くと硬直したまま、コテンと横に倒れる。
青くなって、慌てて母と乳母を呼んだ。すると……。
「オフィーリアは限度が分からないのか……動けなくなるまでパンッパンにミルクを飲むのよ〜。だからきちんと様子を見て調整してあげてね?」
「…………え?」
……どれだけ意地汚いんだよ!?
そのせいで、よりきちんと観察しなければならなくなった。
あと、ゲップをさせないと後が悲惨だ。
トイレについても自由すぎるので工夫しないとひどい目にあう。
だけどどうしてか、僕ら三人は競うようにオフィーリアの世話をしたがった。
それは使命感? 達成感? のようなものを感じていたからかもしれない……。
何しろ世話をすると嬉しい。
ちゃんと育つと嬉しい。
徐々に自分を覚えて寄ってきて……。
反応が増え、無防備な姿をみせることが嬉しい。
自分が役に立つたびに、自分が頼もしく誇らしいものに思えて……。
だからもっと世話をしたかった。
しかしオフィーリアが両手サイズになり、焦げ茶色の毛が生え揃うと……ライバルが増えた。
下のジャレッドやジェフリー。
レスターやヴァージルも世話をしたいと騒ぎはじめる。
けれど、さすがに弟たちは小さすぎるため、その許可が母から降りなった。
それに内心ホッとしたのは誰にも内緒だ!
そうしてその日はついにやって来る。
「オフィーリア〜ミルク粥だよー」
まだまだ乳離れしてないオフィーリアだが、この頃には柔らかな固形物も食べるようになり、僕はキッチンでパンのミルク粥を作り、ベビーベッドに持っていく。
しかし、そこにはいつもの子熊姿はない。
代わりにいたのは初めて見る女の子の赤ちゃんだ。
「んあ~、あ、あぅ、……ああっ!」
僕の顔をみればご飯と認識して声を上げる。
それはまぎれもないオフィーリアだった。
「人……間に、なった……?!」
裸の赤子は指をチュパチュパしゃぶり、「おお、本当にちんこが無いんだ!」と変な感動を覚える。
顔を覗き込めば自分と同じ銀灰色の髪の毛がシャンパン色に光を反射する。
まつ毛が驚くほど長くて、目は零れそうなほど大きな菫色だった。
「うわぁ〜……本当に赤ちゃんだ……」
いや、今までも赤ちゃんなんだけど……これにはまるで進化の奇跡を見たような感動がある。
また、そこで初めて自分とね血の繋がりを実感した。
僕が育てていたのは……確かに妹だったんだ!
「――って、見てないで皆にも知らせなきゃ!?」
まずは隣の部屋でオフィーリアの洗濯物を畳む乳母を呼び。
その後、城中を走り回って皆に報せた。
案の定。
皆、その速報を耳にすると仕事を投げ出して、すっ飛んでくる。
それでぎゅうぎゅう詰めにベビーベッドを囲い、そんな中でオフィーリアを母が抱き上げた。
それを見て乳母が眉尻を下げる。
「あらあら〜……さすが奥様と旦那様のお嬢様ですわ。なんという美人さんなんでしょう!?」
「ええ、確かにオノレにも私にも似ているわね。……ほら、見てちょうだい。しかもこの子ったら笑窪がある!」
「ははは、これは可愛いらしいなぁ!」
「「母様ー! 僕らにももっとよく見せて〜!」」
「はいはい!」
皆が見たい見たいと押し寄せる。
それに怯えたオフィーリアがついに泣いてしまった。
「あらあら……オフィーリア、大丈夫よ?」
しかしオフィーリアは泣き止まない。
そこで僕はピンときて「貸して?」と母からオフィーリアを預かると、オフィーリアを自分の膝の上に乗せて、持ってきていたミルク粥をスプーンですくって口もとに運んだ。
するとオフィーリアは泣くのをピタリとやめ、ガツガツとミルク粥を食べはじめる。
「……えぇ、恥ずかしくて泣いてたんじゃないのかよ!?」
グエンがそう言う中でも、ひたすらに無視してスプーンにがっつくので、その様子に部屋中がドッと笑いに包まれた。
「ゲプーッ」
しかも堂々としたゲップ付きだ。
うん。
コイツは将来、大物になるに違いない。
お腹がいっぱいになるとウトウトしてオフィーリアはそのまま僕の胸に縋り付いて甘えた。
「あらあら、オフィーリアはギデオンが大好きで、とても信頼しているのね?」
そう言われると胸の奥がじんわり温かくて、何故だか泣きそうになる。
まあ、その後ほどなくして、怒涛の二歳イヤイヤ期が始まるのだが……。
というかドンドンその先、二歳を過ぎてもお構いなしに、生意気に万年反抗期に突入するのだが……。
「あっち行って! 来ないで!」
「ギデオン嫌い」
「ギデオン汗臭い! ……足も臭い!?」
控えめに言ってひどくないか?
……だけど、そう言いながらちょこちょこと後ろを付いてきて、僕……俺が触ったものを自分も触れて眺め、俺の真似をするのだ。
「嫌い!」
「じゃあ何で付いてくるの?」
「……もともと来るつもりだっただけ!」
そう言いながら隣に座り、本を広げる。
まったく素直なんだかそうじゃないんだか?
また、オフィーリアはけっこう大きくなるまで、おねしょ癖があった。
恐らく半分ヒグマであるオフィーリアは、それに引っ張られて排泄のコントロールが通常より困難だからだろう。
けれどプライドだけは一丁前のこの妹は、そうなると決まって乳母ではなく俺のところへとやってきた。
「ギデオン……」
夜。そう呼ばれただけで俺は微笑んで振り返る。
「……しちゃったか?」
オフィーリアは黙って頷く。
「着替えは持ってきたか?」
「うん」
「じゃあ、シーツや濡れたものを交換してくるから、オフィーリアはさっさと着替えちゃいな」
そうオフィーリアの頭をポンポンとすると、オフィーリアはまた頷いた。
俺はオフィーリアを部屋に残し、そのままオフィーリアの部屋に行く前に洗濯室に寄って、新しいシーツやなんやを手に取り部屋に向かう。
無事に濡れたシーツ類を回収すると自分の部屋に戻る前にもう一度洗濯室へと向かった。
そこには着替えを終えたオフィーリアがすでにちょこんと立っている。
それを横目に、俺は洗濯石鹸を泡立てはじめた。
「オフィーリア。汚れた服や下着も渡してくれないか?」
「……いい、自分でやる」
「それだとせっかく着替えたのに濡れて風邪を引くだろう? ……一個も十個も変わらないから、ほら」
そう言うとオフィーリアはしぶしぶと服を寄越した。
「…………お兄ちゃん、ありがとう」
「どういたしまして!」
ちゃんとお礼が言えるオフィーリアは、やっぱりいい子だ。
洗い終えたシーツ類をパンパンと伸ばし、洗濯室のボイラー近くに干せば、朝には完璧に乾くだろう。
……まあ、それだとおねしょをしたことがバレバレになるんだけど……これについては皆も黙ってくれているんだよな。実は。
「じゃあオフィーリア、部屋に戻ってもう寝ような?」
「…………」
だけどオフィーリアは動かず、代わりに俺の服をぎゅっと握る。
「ん、どうした?」
「…………っ」
「え、ごめん。聞こえない……」
「今日はお兄ちゃんと眠る!」
「…………!」
ぽりぽりと頬をかく。
今日はどうにかしてるくらい素直だ……熱でもあるのかな?
「……いいでしょ!? ほら……行くよ!」
そう、グイグイとスボンを引っ張り、オフィーリアが先を歩く。
「あの……そこは俺の部屋なんですが?」
ヤレヤレとしながらも、俺は妹について自分の部屋へと入った。
「――部屋を真っ暗にしないで。――この枕は私のね? ――あと寝る前に飴が舐めたい!」
俺のベッドに入り、やりたい放題する妹。
それに対して俺は……。
「ほら、ランプ小さく点けといたぞ? 枕はどれでも好きにしろ。だけど飴は虫歯になるからダメ!」
こうやって、いちいち答えるんだから大概だ。
用事を終えてブランケットをめくり、ヨッと、オフィーリアの隣へと潜り込む。
そうするとオフィーリアがくるんとこっちを向いた。
「ねーねー……ギデオンのお鼻に指を突っ込んでもいい?」
「……何で?」
「鼻が高いから。……あと、昔の人は鼻から脳みそ取り出してミイラを作ったんだって!」
「うん、却下」
「ケチー!」
誰がケチだ。
お兄ちゃんの脳みそはタダじゃない!
「なら……お兄ちゃんの手を握ってもいい?」
今度はボソリと呟くようにオフィーリアが言う。
それに俺は手を差し出した。
「いいよ。はい」
オフィーリアは俺の指先をぎゅっと握るとブランケットの下へゴソゴソと引っ張りこむ。
「……朝までこうしてよーね」
「わかったよベイビー」
まったく振り回されっぱなしだ。
「だけどこうしてるのは、結局は今だけで……いつかお嫁さんに行っちゃうんだよなー……」
そう思ったら鼻の奥がツンとしてくる。
やべー泣いちゃいそう。グスン。
「ギデオンは私がお嫁さんに行ったら寂しい?」
「うん。寂しい。……すごく寂しい!」
たぶんこのあとオフィーリアの俺への罵倒が始まるが……寝る前のBGMには丁度いいだろう。
「……なら、結婚しない」
「え?」
しかし答えは予想外なものだった。
「お嫁さんに行かないで、ずっとギデオンのそばで暮らすよ!」
俺は真っ直ぐに見上げていた真上の天蓋から、オフィーリアの方へと視線を真横に向けた。
相変わらず長すぎるまつ毛。
瞳には無数の星々。
流れるように波打つ銀灰色の髪……。
「というか、ギデオンと結婚すればいいのかな??」
さらにプロポーズまでされてしまった。
「……法律が許してくれないよ」
何故か法律を持ち出してしまう。
それにオフィーリアは難しそうに眉間にしわを寄せ、唇をへの字にする。
「ふ〜〜ん……世の中ゆーずーがきかないんだね?」
「……どこで、そういう言葉を覚えてくるの?」
ちょっとこの子の教育に失敗してないか?
「だけどお話の王子様より、お兄ちゃんの方が大好きなんだもん」
「………………」
思わず抱きしめたくなったが我慢する。
俺達はあくまで兄弟で、妹が屈折した方向にいっては困る。
妹の初恋泥棒になるわけにはいかないんだ。
だから代わりに手を握った。オフィーリアもその手を握り返す。
そうして俺達は……そのまま深く眠った。
翌朝。
部屋にオフィーリアがいないことに気付いた乳母が慌てて俺の部屋へと駆け込んで来た。
そして――。
「お嬢様……ギデオン様に何もされませんでしたか!?」
「え、何が〜?」
「おいおい……どういう意味だよ。それは!(怒)」
それでもって、実に不名誉な疑惑をかけられたのだった。




