22、昔話② 人の味
昔、知り合いの猟師に聞いたのだが、人間の味を覚えたクマは人を必ずまた襲うのだそうだ。
何しろ人間は足が遅いし力もない。
つまり弱い。
さらに毛がなくて食べやすいし、ほどよく脂が乗っている上、動物の中でもとりわけ可食部分が多いときてる。
熊に限らず野生動物はいかに楽にご飯を取れるかが明日を左右する。
つまり人間は、味を占めれば神様からのギフトレベルの最高のご飯なのだ。
だから本来、臆病で、人を避ける傾向にあるクマが人の味を覚え人間への執着が強まると……極めて危険な存在となる。
人里を『効率的なエサ場』と認識し、人の街や村にも恐れずにスタコラ降りてくるようになるのだ。
……だから、そんなクマは……ヒグマは、早急に駆除しなければならない。
「まず……良いお報せから」
人攫いにあった後、血溜まりで身体を揺すり鼻歌を歌っていた十二歳の私は……程なくして家族に無事に保護された。
もちろん主犯格は、家族がけちょんけちょんのギッタンギッタンの全滅に追い込んでいる。
けれど、これらの異能を狙う犯罪組織は一匹いれば百匹いるゴキブリと一緒なので、また彼らは性懲りも無く現れることだろう。
「お嬢様の下腹部を調査しましたが、まだ触れられた形跡は無く。乙女の印の破れなどは無く、無事の確認がとれました」
私の眠るベッド近くで両親が女医の先生の言葉に耳を傾ける。
私は……寝ているのだろうか? 起きているのだろうか?
……もしかしたら、幽体離脱と言うものかもしれない。
それだったら誰かに是非とも自慢したい。
「あれは完全なる“リミッター暴走”ですよね? 娘は……娘の身体は……どこか、ダメになったりはしていませんか!?」
お父様……珍しく余裕の無いお声だわ。
「精密検査を行いましたが、身体本体への異常は見受けられませんでした。……ただ」
「ただ? ただ……何です?」
「リミッター能力が、今回の件でお嬢様の人格や今後の成長に……かなり深く食い込んでくる可能性があります」
私……自分のお話なのにまるで他人の話を聞いているみたいな気分。
「……と申しますと?」
「つまりはリミッター時が本来の形だと身体や脳が認識し……いずれ人間の状態やご家族を拒む可能性が―――」
「それはつまり……娘が“ヒグマ”に変化したまま戻らなくなるということですか!? 家族すら忘れて!?」
「はい……あくまでも最悪の場合の話ですが」
「そ……んな……」
へー、そっか……私、本物のヒグマになっちゃうんだ。
ちっちゃい頃はそれこそほとんどヒグマの姿をしていたから……そんなこと今さら言われても、あんまりピンと来ないなー。
そうそう、そんな子熊姿のせいで、何度、兄たちのおもちゃになったもん。
人をぬいぐるみか何かだと思ってブンブン振り回したり、引きずったり……挙句、ボールみたいに投げ合ったり、奪い合ったり引っぱったり、抱きしめて喉にもろに腕が入っていたり……あの時は、本気で死ぬかと思ったっけ。
もちろん何度も噛み付いて反撃したり、引っ掻いたりもしたけれど、めげなくてしつこくて、心底ウンザリしたわ。
お母様もお母様で……。
「こーんな手のひら? 指先? サイズの真っ赤なグニグニの獣姿で生まれてきて……それはそれは驚いたわ! だけどお陰様ですっごく安産で一瞬で産めて、『ああ、オフィーリアはなんて親孝行なのかしら』と思ったものよ?」
なんて呑気な……普通にそんなの怪談話すぎるでしょう!?
「お兄様たちは、それこそ我先にとちゃんとした毛も生え揃わない赤ちゃん子熊のオフィーリアにミルクをあげたがったものよ?」
あまりに小さすぎて、母や乳母の母乳をじかに吸えないため……兄たちが二時間ごとに交代でミルクを与えたらしい。
「オフィーリアのふわっふわの毛が生え揃った時には、これが世に言う“相好を崩す”というものなのね?! っていうくらい蕩けきった顔で男の子たち皆が覗き込んでて……お母様。思わず笑ってしまったわ……」
そうなんですね。
でも、可愛がるのはいいけど……加減を知ってほしい。
「初めて人間の赤ちゃん姿になった時は、特に上の子たちが驚いていたわ。『弟たちと全然ちがう!』って」
え〜……赤ちゃんに男女差なんて特に無いのでは?
「いやいや、それがねー……全然違うのよ。男の子は赤ちゃんでも結構しっかりしていて、反発するバネみたいにピーンとしているんだけど……」
バネ……何となくは、想像ができる。
「女の子はほーんと……ふにゃふにゃで、勝手に寄り添うように、身体にくっついて来るの」
へー、豆ちしきー。
「それに次男のギデオンはいたく感動してね……。『僕、絶対にオフィーリアを一生守るよ!』って顔を真っ赤にして目をキラキラさせて……そう宣言していたわ」
…………。
…………。
…………。
(嘘つき)
閉じた目から、知らず涙が零れた……。
だけど分かってるわ。嘘じゃないって。
タイミングが間に合わなかっただけだって、分かってる。
分かっているのよ。
分かってる!
だけど……怒りが溢れてくるの……期待を裏切られたことに!
私が可愛いなら……すぐに来てよ!?
……怖かったよ。
寂しかったよ。
お腹が減って死にそうだったし、トイレすら満足にできなくて惨めで辛くて……生まれて初めて『もう終わりかもしれない』と絶望した。
(ええ……私は甘えていたの。最後のあの瞬間の……あの直前まで!!)
そう私は間違えていた。
どんな時も最後の最後は自分で何とかしなくちゃいけないんだわ。
自分を守るのは本来、自分自身。
それを今回、私は学んだ。
(強く……なりたいっ。いいえ、強くなるの!)
私は初めて人を殺した。
だけどそれに後悔なんかしていない。
(もう、私に指一本触れさせないわ……!?)
勝手な言い分で私を蹂躙しようとした奴をやり返して何が悪いのだろう?
お互い様だ。
神様や兄が手を下すより先に……私自身がこの手で八つ裂きにしてやる。
(いざという時にお行儀よく『リミッターを無闇矢鱈に使わない!』『女の子はおしとやかに……』『助けが来るのを待ちましょう』なんて言ってられない……)
それは優しい……守られた世界だから……相手もそのルールに従う意志があったからこそ、守れたルールだ。
(だから非常識な場面では……新しい『非常識なルール』がきっと必要なのよ)
そんなことは通常の生活には百パーセントいらない。
……だから教えられないし、普段なら変な口答えも許されない。
だけど――。
(それらを守っていたら、私は今頃どうなっていたんだろう……?)
覆面の男たちの言葉は、当時の私には正しい意味がまるで分からなかった。
……だけど私を酷使し、最後の血の一滴すらも遠慮なく奪う気だというのが肌身にヒリヒリと伝わった。
(けれどアイツラは分かっていなかった……私が……“オフィーリア・モンディスカ”だってことを)
古くから血で血を洗うこの家の歴史は……それこそ人間を何千、何万、何十万人と食らってきた。
(なら、私の血は“ヒグマ”以前に……すでにその味をよく知っているんだ……)
そうよ。
駆除したければ、すればいい。
屠れるものなら屠ればいい。
だけど、容易い思いなんて一瞬たりとも決してさせてなるもんか。
(……死ぬ間際に、その喉笛を食いちぎってやるんだ!)
こうして十二歳を境に……。
私は化け物へと新たに生まれ変わったのだ。




