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2、 湯浴みと劇場


「恐れ入ります。お湯を下さらないかしら?」


 私はキッチンへ行ってお湯をもらう。

 王宮や貴族の邸宅ならボイラーが整っていて蛇口を捻れば熱い湯も出るが……このような普通の宿ではお湯はキッチンでまとめて沸かしおり、客が直接買っていく仕組みになっている。


「ああ、お湯はどれくらい入り用です?」


「盥(たらい)ふた……いや三つ分をください。先に二つと一時間後に一つ」


「でしたら四五〇ファッジ(※約九千円)になります」


 これは……高いのか安いのか……?

 とはいえ、水よりはマシかな。


「使い終わったお湯はどこに流しましょう?」


「ああ、窓から捨てて下さい」


「…………」


 下に人が通っていたら?

 というか、私も宿の壁寄りには歩かないよう気をつけよう……。


「え、え、お嬢様が持つんですか? 重いですよ!?」


「平気、平気!」


 そう言って、私は盥をよっと頭に乗せて器用に階段を上っていく。

 運んでいる途中、なぜか他の宿泊客からおーっ! という言葉と共に拍手を貰った。……なぜ?


「殿下……お湯をもらいました。おまけにポットのお湯も」


 部屋に入ると殿下は座って本を読んでいた。

 夕日に照らされたその姿は――。


「…………」


 それはまるでイコンのような静謐(せいひつ)さと尊さで……。

 音を立てるのさえ罪深く、思わず無言になる。


「おかえり。……それは……オフィーリアが一人で運んだの?」


 沈黙をまず破ったのはディアベルゼ殿下だった。


「あ、はい、そちらの方が……早かったので」


 何だろう……ドキドキする。

 私、今日、ちょっと変だわ。


「で、では殿下、先に湯浴みをなさって下さい。あ……手伝いを呼んできますか?」


「いや、一人で大丈夫」


「あ、それとお湯をもう一つ頼んでありますが……いま持って参りますか?」


「いや、今は大丈夫だ」


 部屋には湯浴みを想定してか、一部がタイル張りになって出っ張っており上手く区切られていて、少しなら排水が可能な栓が付いていた。……とはいえ、湯船を置くにはちょっと狭い。

 それを衝立て二つを使って覆い隠す。


「あの……私は部屋を出て待っ」


 外にいようか提案しようとしたところで、兄グエンの『殿下をお守りしろ』と言ったあの言葉が蘇る。


(いや……部屋にはなるべく居たほうがいいのかしら?)


 なので仕方なくベッドに腰掛けることにした。

 ベッドのカバーはさらりとしていて……一応シルクみたい。

 殿下の従者さまは頑張って、なるべく良い部屋を用意しようとした努力の痕跡が見られ……思わず涙をさそった。


(何か、今日は色々あったなぁ……濃すぎるよ)


 ちょっとだけ……と思ってベッドに身体を倒す。

 するとどうしょうもない怠(だる)さと眠気が襲ってくる。


(……五分だけ、目を瞑(つむ)ろうかな)


 そうして気付けば意識を手放していた。


「……っ」


「…………」


「…………リア!」


「…………」


「……オフィーリアッ!!」


 ハッ。え!? 今、何時。


「私の湯浴みが終わった。……オフィーリアも身体を洗いたいだろう」


 へ…………へ? 

 え? あ……やらかした〜!?


「で、殿下……申し訳ございません。つい私ときたらウトウトと……!?」


「それくらい別に構(かま)わないよ。疲れていたんだろう? ……だけどせっかくなら、少しさっぱりしてから寝た方が疲れがとれるはずだ」


「は、はい、お気遣い、痛み入ります!!」


 じゃあ急いで、お、お湯を……そう! 殿下が使ったお湯をまずは捨ててから……それから新しいお湯を貰ってこなくっちゃ!


「お湯の片付けと用意なら僕の従者に頼んだ。……もう準備は出来てるから、ゆっくり身体を整えるといい」


 えええ……い、いやぁ〜、私ったら大迷惑じゃない?!

 馬鹿、馬鹿、馬鹿っっ!?


「それと湯は僕が使いたいと持ってこさせたから……オフィーリアは変に周りに気を使わなくて大丈夫だよ」


「…………」


 え、もしかして……ディアベルゼ殿下は“催眠”だけでなく、心も読める?


「何から……何まで!」


「それは僕こそがモンディスカ家に言いたい」


 いや……私たち、そんな役立ってるかなぁ?


「さ、お湯が冷める前にいってらっしゃい!」


「…………」


 私がこくりと頷くと、殿下はにっこりと笑い、そのまま私に背を向けて、スタスタとドアまで歩くと……ドアノブに手をかけ出ていこうとした。


「え、!! あ、だめっ!?」


「え?」


 つい叫んだ私の声に、殿下が驚いたように振り向く。

 だって……行かせちゃダメ!


「殿下は……今、危険に晒(さら)されておいでです! だから、なるべくこの部屋にいらして下さい。お願いします!」


「…………」


 殿下はそれに迷いながらもドアノブから手を離した。

 ほ……良かった。


「今のは私に気を使ってなのでしょうが、……衝立てもございますから大丈夫。お目汚しはしないと誓います! ……ただ水音がうるさいことだけはご容赦くださいませ」


 そう、殿下にこれ以上、非礼を重ねるわけにはいかないもんね。


「いや、お目汚しというか……そうなったら、むしろ逆に……最高。……いや、何でもない! い、今のは忘れてくれ!?」


 あ、殿下がまた赤くなってる。それならば……。


「では気にならないように私が衝立て越しに殿下とお話します。……それなら、水音や他のことも紛(まぎ)れるでしょう?」


「え……………………紛れるかな、それ?」


「絶対に紛(まぎ)れます! 私……これでも、お話は得意なんですよ?」


 だって、お祖父様からたくさん騎士物語や英雄の武勇伝や外国の伝承を聞いて育ったのだ。

 それなら……うん。間をもたせる自信がある。


「水音はBGM。私の話は劇とでもお思い下さい」


 ここまで大口叩いたんだ。失敗は出来ないぞ、私ぃ!


「では……はじまり、はじまり」


 そう言い、私は衝立ての後ろにさっと隠れた。

 さあ……ここからは段取りが勝負よ?

 私はシュルリしゅるしゅると前紐のコルセットの紐をほどく。


「昔……昔……ある所に……んっ……んっ!」


 あ、ヤバいヤバい……紐が引っ掛かっちゃた。えい、……えいえいっこのぉっ!


「はぁ……一人の、若ものが……おり、ました」


 焦ったせいで息が上がるー。

 ダメね……ちゃんと息を整えないと!

 ひっひっふー。


「はぁ、はぁはぁっ……ふぅ…………若者は武を志し、戦士になることを決意しました」


 紐が無事に綺麗にほどけ、ガサリとコルセットを上から抜く。

 それから、ドレスのボタンに手をかける。


「若者はそのために……まずは西方の将軍の家来になろうと旅に……あん、ボタンがっ!?」


 やだ~……ボタンが緩んでいたのを忘れてたわ。一個落としちゃったぁ……どこに行ったんだろう?


「どうしょう……ハ! ……ん、ん、コホン……旅にでました。しかし、西方に行くには、死の砂漠を越え、化け物が棲む海のように広い川を越えねばなりません……」


 お、閃(ひらめ)いた! このドレス……金色というか砂色というか……衝立てに掛ければかなり砂漠っぽくない?

 私はそこで今、脱いだばかりのドレスをパサリと衝立(ついた)てに掛けた。

 そこにタオルで作った指人形を衝立ての上部からトコトコと歩かせる。


「『目的地まで……あと何里か……でも、決して僕は諦めないぞ!』」


 ふふふ……私ったら中々の役者じゃないのぉ?

 こんな声色まで変えてっ!


「いくっ! ……つも……の、太陽と月を……迎え、若者は村を……っ、ハァ」

 

 ガーターを外し、ストッキングをするると脱いで、ペチコートや下着類も脱いでいく……もう、本当、ドレスは着るのも脱ぐのも大仕事だわ!?


「あとに、してぇ……から身体の……厚みが半分に……なり、す、すっかり、や、灼けていま……した!」


 はあはぁ、はぁ〜……やっと最後の一枚が脱げた!


「あのオフィーリア。……オフィーリア? 本当に……大丈夫か?」


 それに私はニッコリと元気に答える。


「はい! 今ちょうど全部が脱げて、素っ裸の裸になりましたから……もう話がつっかえることも無いかと!?」


「…………」


 バスンッギシッと、何故かベッド側が大きく軋む音がする。

 ……あら? 殿下、ベッドにダイブでもしたんだろうか?


(でも、そりゃあ殿下も疲れて眠いはずよ……どうしよう。“お話”は、中断すべき?)


「くちゅん!」


 って、いけない、風邪を引いちゃう。えーと、盥(たらい)……盥は……と。


「!」


 着替えとお話に夢中でたいして見ていなかったそこには、……盥(たらい)二つ分のたっぷりとしたお湯が準備されていた。


「…………」


(殿下……もしかして、そのために一つしか使わなかった。あるいはお湯を買い足したの……?)


 ぽちゃんっと手を入れると、湯はどちらも少し熱めの適温で、私のためにわざわざ用意した物だというのが分かる。


「ディアベルゼ殿下……」


 私はすっくと立ち上がり、衝立て越しに殿下に声を掛ける。


「殿下、……殿下」


「…………」


「ディアベルゼ……様?」


 ガバっと起き上がったのか、ギシギシとベッドのスプリングが揺れる音がする。


「オ、オフィーリア……どうしたの?」


「あの……」


 ゴクリと喉が鳴る。

 何故かしら……。

 大(たい)したことじゃないのに、やたらと喉が渇いて勇気がいるのは。


「まだ、物語の途中なのですが……普通に、私たちお話を……しませんか?」


「…………」


「あの、もっと殿下とちゃんとお話をしてみたいというか、……殿下のことを……もっと知りたくて」


 私は今までディアベルゼ殿下がキラキラ爽やかで、いかにも理想の王子様なところが……正直、胡散臭(うさんくさ)く鼻について、すごく……苦手だった。


「お願いします、教えて下さい。私に殿下のことを……!」


 だけどそれは私の“百合姫”と同じく……周りに求められて仕方なくしていたことで……実際はもっと素朴で……優しい人なのかもしれない。


「…………」


「嫌……ですか?」


 ギシッギシギシとまたベッドが軋む音がする。


 あ、いま殿下が立ち上がったんだわ。何となく、そんな気がする。


「オフィーリア……」


「はい」


「……ごめん。……僕は皆と雑魚寝部屋に移動するからこの部屋は一人で使ってくれ」


「……………………へ?」


 あ、あれっ?


「あ、あの……私、殿下のお気にさわるような、な、何か余計な事を言いましたか!?」


 い、いったい私……どこで地雷を踏み抜いちゃったのぉ!?


「違うよ。これは僕の事情なんだ……それじゃあ、今夜はおやすみ。オフィーリア」


「え、ま、ま、お待ちくださっ……殿下!?」


 しかし無情にもバタンという音と共に殿下はそのまま部屋を出ていき……。


「…………」


 ぴちょーんという水音と裸ん坊の私だけが、部屋に一人とり残されたのだった。

 




※1ファッジ=20円 ……パチスロ。

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