知らないはずの背中
便利すぎる《王国特別通行証》
けれど、クラルとノアはずっと小さな違和感を抱えていました。
偶然なのか、それともーー
そして魔法都市マジラフの夕暮れ。
思いがけない出来事が、クラルの胸の奥に不思議な感覚を残します。
今週もよろしくお願いします♪
「私を信じる必要はないよ……そんなことは、どうでもいい」
ファントムは壁に背を預けたまま、静かに言った。
「だが、一つ……工芸都市グラニスで、王国発行の特別通行証を提示した時のことを覚えているか?」
「……覚えてる」
クラルはすぐに答えた。
ノアも隣で頷く。
忘れるはずがない。
工芸都市グラニスーー
王国発行の特別通行証を受付で提示した瞬間、それまで事務的だった受付嬢の表情が、明らかに変わった。
「……王国特別通行証。承知いたしました」
そこからの話は、驚くほど早かった。
翌朝、駅までの護衛として手配されたのは、B級以上の冒険者が三人。
さらに、ステラへ知らせるための早馬まで用意された。
そしてーー
まだ夜も明けきらないうちからの早朝。
クラルたちは人目を避けるように、秘密裏に宿を出た。
「……あの時」
クラルが呟く。
「あの時から、おかしかったんです……少なくとも、私とクラルはそう思ってました」
ノアがファントムへ訴えるように言った。
前日、クラルたちを襲った者たちは返り討ちに遭っている。
それなのに……
なぜ翌朝には、さらに腕の立つ者たちが待ち構えていたのか。
しかも。
まるで、クラルたちが早朝に宿を出ることを知っていたかのように。
「……出来すぎてたんだよ」
シグの表情が曇る。
「魔女狩りと魔力ぼ……」
そこまで口にして、シグがハッとした。
ちらりとファントムを見る。
「……はじめは、石版を狙ってたよな」
すかさず言い直した。
「今はその情報を知っちまった俺たちを狙ってるのか、それとも……ク……ルとノ……ァが狙われてるのか」
「シグ! そこ濁さず喋れよー!」
クラルが即座に突っ込む。
「逆にその言い方で分かるわ!!」
「あははっ!」
ノアまで吹き出した。
「この話でふざけんなよなー!」
シグが眉を寄せる。
「でも、なんか少し重い気持ちが楽になったよ。ありがとう、シグ」
頬をふくらませるクラルの代わりに、ノアが笑って礼を言った。
「……別に、そういうつもりじゃねぇよ」
その一言で、張り詰めていた空気がほんの少しだけ緩んだ。
クラルも小さく息を吐く。
そして、ふと思い出したように顔を上げた。
「ところで、ファントムさん?」
「なんだ」
「襲われた時、一緒にいた私の依頼者のオスカーさんは……無事なんですよね?」
――ファントムは、すぐには答えなかった。
ただ、クラルを見ている。
その沈黙に、クラルの表情から少しずつ笑みが消えていく。
やがて。
「ああ、大丈夫だ」
ファントムは短く答えた。
「あの後、念のため彼には護衛をつけている。だが……一度も襲われていないんだよ…」
「……」
三人が黙った。
その事実が何を意味するのか。
誰も、すぐには口にしなかった。
「……だから、王都でも?」
シグが二人を見る。
クラルとノアは、静かに頷いた。
「グラニスでの疑問を確かめたくて……王都グランヴィアでも、王国発行の特別通行証をギルドで提示したの」
クラルは少し申し訳なさそうにシグを見る。
「ごめんね。ちゃんと言ってなかったよね」
「シグ……私たち、あの時何も言わなかったけど、気づいてたでしょ?」
ノアもシグを見つめた。
「あの状況なら分かるよな、さすがに!!」
「怒った?」
「怒ってねぇよ」
「本当に?」
「……お前たちがやること、お、俺、信じてるから……さ。あ、うん…」
一瞬の沈黙。
クラルの口元が、にやりと上がる。
「途中から我に返って照れるなよー、シグ!」
「クラル、そこは黙っててあげて! 彼、真っ赤だから。ほら、耳まで!」
「うるせぇ!!」
シグは逃げるようにファントムを見る。
「ファントムさん、なんとか言ってくれよ!」
「……」
「無視!?」
クラルがファントムの顔を覗き込む。
「私たちといるんだから、ファントムさんはもう少し話せるようになりましょう!」
「……」
「あはははっ!」
すっかり空気が緩んだ。
――けれど。
話の中身まで、軽くなったわけではない。
王国が発行した、特別通行証。
便利なものだった。
門を通る時も。
手続きをする時も。
驚くほど話が早くなる。
だからこそーー怖かった。
クラルは笑みを消した。
「もし……あの通行証を提示したこと自体が、誰かに私たちの居場所を知らせてるんだとしたら……って」
だから王都では、《銀鹿亭》には荷物だけを置いた。
そこへ宿泊するように見せかけて…
実際には、向かいにある別の宿に部屋を取った。
そして、その夜。
襲われたのは。
――《銀鹿亭》だった。
「……やっぱり」
クラルが小さく呟く。
ノアと目を合わせ、それからファントムを見た。
「どう考えても……偶然じゃないですよね?」
沈黙。
ファントムは答えない。
クラルも急かさなかった。
やがてーー
「まだ、確定とは言えない」
ファントムがようやく口を開いた。
淡々とした声。
いつもと変わらないはずなのに。
その目だけが、鋭く細められる。
「だが……」
わずかな間。
「偶然にしては、少し出来すぎているがね……」
――
夕方が近づくにつれ、マジラフの街は昼とは違う顔を見せ始めていた。
石畳を踏むたび、ほわっ。
足元に淡い光が灯る。
「わっ」
クラルが振り返った。
今踏んだ場所だけが、クリーム色に光っている。
「昨日もやったでしょ!」
そう言いながら、ノアも試しに一歩踏み出す。
ほわっ。
「ふふっ」
もう一歩。
ほわっ。
「これ、ずっとやってられるね、クラル?」
「もう、子供なんだからさー、ノアは!」
そう言いながら。
ほわっ。
ほわっ。
クラルも二、三歩、余計に踏んでいる。
「クラルもやってるじゃねぇか」
シグが呆れたように笑った。
その足元でも、ほわっ。
ほわっ。
ほわっ。
「シグが一番やってるじゃん!」
「なんか癖になるよな!」
三人の笑い声が、夕暮れの通りに響いた。
その時、ゴォン……。
遠くの時計塔から、夕暮れを告げる鐘が鳴った。
ゴォン……。
二度目の鐘。
すると。
通りに並んでいた魔導灯が、一つ、また一つと色を変えていく。
黄色。
白。
そしてーー淡い青。
その変化は、まるで光の波だった。
手前から奥へ。
大通りを駆け抜けるように広がっていき、やがて街全体が、淡い青に包まれた。
「……綺麗」
クラルが思わず呟く。
建物の壁に埋め込まれた水晶。
屋根から吊るされたクリスタル。
道沿いの小さな魔石までが、夜の訪れを待つように淡く輝き始めていた。
「行こう!」
クラルが駆け出す。
「ちょっと、待ってよ!」
ノアが追いかける。
「お前ら走るなって!」
そう言いながら、シグも後を追った。
青い光を身体いっぱいに浴びながら、三人は跳ねるように坂道を上っていく。
その少し後ろ。
気配だけが、黙ってついてくる。
…ファントムだ。
やがて辿り着いたのは、街を一望できる丘の上だった。
「わあーー!!」
三人の声が揃った。
眼下には、淡い青に染まるマジラフの街。
そのずっと向こう。
街と空の境界には、沈みかけた夕日が残っている。
青と、黄金色。
二つの光が溶け合う景色の中を、涼しい風が吹き抜けていく。
「うわぁ……」
クラルが一歩、前へ出た。
ふわっーー
強い風が吹いた。
二本の三つ編みと、影に溶けるような黒い外套が大きく揺れる。
その時。
ジャリッ。
「え?」
靴の下で、小石が滑った。
身体が傾く。
「あっー!」
一瞬だった。
ノアと目が合う。
その瞳が、大きく見開かれる。
「クラル!!」
シグが咄嗟に手を伸ばす。
指先がーー届かない。
クラルの身体が、丘から続く長い石段へ吸い込まれるように落ちていく。
淡い青の光。
黄金色の空。
遠ざかっていく、ノアとシグの顔。
――落ちる。
そう思った、次の瞬間。
ガシッ!!
右手首を、強い力が掴んだ。
「……っ!」
身体が宙で止まる。
そのまま一気に引き寄せられ……もう片方の腕が、クラルの腰を抱えた。
黒い外套が、目の前で大きく翻る。
「…………え?」
ほんの一瞬。
クラルの胸の奥が、ざわついた。
怖かったからじゃない。
驚いたからでもない。
もっとーー
ずっと遠いところから。
何かが、胸の奥を小さく叩いたような。
この感じ……。
私ーーけれど。
その正体を掴むより早く。
「クラル! バカ!! 何やってんだよ!! 危ないだろ!!」
怒鳴り声が響いた。
クラルは目を丸くする。
ノアも。
シグも。
そして、言った本人まで、一瞬固まった。
「…………」
風だけが、四人の間を通り抜ける。
ファントムはクラルの腰から腕を離した。
そして、ほんのわずかに顔を背ける。
「……あ、すまない」
さっきの怒鳴り声が嘘だったかのように、いつもの低い声へ戻る。
「気をつけろよ」
クラルは、ぱちぱちと瞬きをした。
「あ……ファントムさん……?」
「クラル!」
ノアが駆け寄ってくる。
「大丈夫!?」
「あ、うん! 大丈夫!」
シグも遅れて駆け寄った。
「怪我してないよな!?」
「うん」
「びっくりした……! 気をつけろよ! あそこから落ちたら怪我じゃ済まねぇぞ!」
「ご、ごめん……」
クラルは苦笑しながら頭を掻いた。
そして、少し離れたところに立つファントムを見る。
黒い外套。
こちらには、背を向けている。
その背中を見た瞬間。
また。
胸の奥が、ほんの少しだけざわついた。
――どうして?
ずっと昔にも。
こうして……誰かの背中を見ていたような…
「……?」
思い出そうとした。
けれど。
その感覚は、指の隙間から零れる砂のように消えていく。
「クラル?」
ノアに呼ばれ、クラルは振り返った。
「あ……ううん! なんでもない!」
「本当に?」
「うん!」
再び、風が吹いた。
二本の三つ編みが揺れる。
眼下では、美しく青く輝くマジラフの街。
その向こうには、沈みゆく黄金色の夕日。
クラルは知らない。
なぜ、あの声を聞いた瞬間。
胸の奥がざわついたのか。
なぜ、あの背中を…
どこかで見たことがあるような気がしたのか。
そしてファントムだけが。
何も言わず。
少し離れた場所から、クラルを見ていた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
今回は少しずつ繋がってきた《王国特別通行証》の違和感。
クラルたちも、ちゃんと気づいていました。
そして後半…
ファントムさん、クラルが危険になった瞬間…。
そしてクラルが感じた…感覚。
果たして、ただの気のせいなのか
今週も金土日の20時10分に投稿します!明日も楽しみにしていてくださいね♪
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