灰読とエマの赤い顔
日曜日も『白日の石刻』を開いてくださり、ありがとうございます!
長い一日を過ごしたクラルたち。
今夜は、温かな食卓を囲んで、少しひと息。
どうぞ、ゆっくりお楽しみください。
と思ったら灰読が少し思わぬ方向に…
笑ってくださいww
話をすべて聞き終えると、アルタイルはしばらく考え込んでいた。
やがて、窓の外へ目を向ける。
すでに日差しはだいぶ傾いていた。
王都の建物が長い影を落とし、街は少しずつ、昼間とは違う色へ変わり始めている。
「……君たちを追っていた連中が、この辺りを張り込む可能性もあるね」
「張り込む……」
クラルの表情が曇る。
「この商会へ入ったところまで、見られていたかもしれない」
アルタイルは三人へ視線を戻した。
「よければ、しばらくここに滞在するといい」
「え? でも……」
「部屋なら余っている。それに、君たちを外へ送り出して、また何かあったなんてことになったらーー」
肩を竦める。
「せっかく預けてもらった《信頼》に、商人として顔向けできないだろう?」
「アルタイルさん……」
クラルの強張っていた顔に、小さな笑みが戻った。
「ありがとうございます」
ノアも頭を下げる。
シグはほっと息をついてから、頷いた。
「……助かります」
「決まりだね」
アルタイルは、ぱん、と手を叩いた。
「じゃあ、難しい話はいったんここまで!」
「え?」
「腹が減っては何とやら、だよ」
――その日の夜。
アスター大商会の一室には、賑やかな声が響いていた。
そこは、遅くまで残った従業員や客人のために使われる、小さな食事室だった。
大きな食堂も別にあるらしい。
こちらを用意してくれたのは、人目を気遣ってのことだろう。
中央には木のテーブル。
壁際には、使い込まれた食器棚が置かれている。
二階の窓からは、夜の王都が見渡せた。
昼間あれほど忙しなく人と馬車が行き交っていた大通りに、今はガス灯が灯っている。
建物の窓から洩れる黄色い光が、石畳を柔らかく照らしていた。
テーブルには、湯気を立てる料理が並んでいる。
香草と一緒にじっくり焼かれた肉。
豆と刻んだ野菜を柔らかく煮込んだ料理。
そして、籠いっぱいの焼きたてのパン。
「おいしい!」
クラルの声が、部屋へ響いた。
柔らかなパンを千切り、肉汁の残った皿へ、ちょん、とつける。
そのまま口へ運んだ。
「ん~~!」
思わず頬を押さえる。
「このパン、ずっと食べられる!」
「クラルさん、それで三個目ですよ」
エマが笑う。
「まだ三個ですよ!」
「いくつ食べる気だよ」
シグが呆れたように言った。
その横では、ノアが黙々と肉を切っている。
ぱく。
もぐもぐ。
飲み込むと、次の一切れへ。
シグが横目で見た。
「ノアも大概食ってるからな?」
「今日は色々あったから」
「いつも食ってるだろ」
「シグも二回おかわりしてたよ」
「……見られてたか」
シグは皿へ目を落とす。
「美味しくてさ」
「うん。美味しい」
ノアが頷くと、エマが豆料理の器を差し出した。
「こちらも、まだありますよ」
「いただきます!」
クラルも自分の皿へ少し取り、ひと口食べた。
「あれ……この煮込み、エマさんが作ったんですか?」
「ええ。よく分かりましたね」
「だってこの甘い料理、エマさんのお母さん直伝ですよね」
一瞬ハッとして、エマが少し照れたように笑う。
「どうですか?」
「甘くて、大好きです」
「疲れている時は、このくらいの味がいいかなと思ったんです」
「すごく元気になりました!」
「何の話?」
ノアが二人の間へ顔を寄せる。
「エマさんの煮込み料理の話」
「私も好き」
そう言って、ノアはもう一度、器へ手を伸ばした。
昼間、あれほど重たいものを見た。
百年前の真実。
クロエ。
魔力暴走。
それでも、温かいものを食べれば、美味しいと思う。
誰かと一緒なら、笑うこともできる。
クラルは、湯気の向こうに並ぶ顔を見た。
張り詰めていた胸の奥が、少しずつ緩んでいく。
アルタイルも、そんな四人を眺めながら、温かな茶の入ったカップを傾けていた。
その時。
ノアが、ふと思い出したように顔を上げる。
「アルタイルさん」
「ん?」
「一つ、提案してもいいですか?」
「もちろん」
「お母さんの石本から残った砂。まだ持っていますか?」
アルタイルの手が止まった。
「……ああ。持っているけど」
「私、《灰読》ができます」
「灰読?」
アルタイルは眉を上げた。
その言葉を確かめるように、もう一度ノアを見る。
「……もしかして、君が《灰読のノア》?」
「はい」
「噂で耳にしたことがある。死者の最後の言葉を代読する……だったか。本当にできるのかい?」
「できます」
あっさり答えるノア。
アルタイルがクラルを見ると、彼女は頷いた。
「本当ですよ」
シグもそう答えた。
そして、腰の小さな革袋から、一本の小瓶を取り出す。
中には、僅かな砂。
ガレフの石本が残したものだった。
「ただ……灰読をすると、砂は消えます」
ノアの言葉に、アルタイルの表情が変わった。
「消えるのか」
「はい。だから、そのまま持っていることもできます」
シグは、小瓶へ目を落とした。
「俺は、まだ残してます」
指先で、そっと瓶を包む。
「師匠が死んだのが、本当に突然だったから……」
部屋が静かになる。
「もう少し、持っていたくて」
アルタイルは、シグの手の中にある瓶を見つめた。
母の石本。
その最後に残った、僅かな砂。
それを失ってまで、聞きたいだろうか。
しばらく考えてから、アルタイルは小さく息をついた。
「君たちは……本当に、びっくり箱みたいな人たちだね」
ノアが首を傾げる。
アルタイルは彼女へ向き直った。
「ノア。お願いできるかい?」
「……いいんですか?」
「ああ」
穏やかに笑う。
「母の最後の言葉を、聞いておきたい」
ノアは、その顔を見て頷いた。
「分かりました。お世話になっているので、これくらいはさせてください」
「いやいや。お礼はさせてもらうよ」
アルタイルが手を振る。
「それとこれとは別だ。商人に《無料でいいです》は通用しないよ」
「そうなんですか?」
「そうなんだよ」
「商人は面倒なんですね」
「ちょっと、ノア!」
クラルが慌てると、アルタイルは声を上げて笑った。
「ははは! 気に入ったよ!」
やがて、アルタイルは上着の内側から、ハンカチに包んだ砂を取り出した。
テーブルの上へ、丁寧に広げる。
ほんの少し前まで、一冊の石本だったもの。
ノアは砂へ手を伸ばす前に、アルタイルを見た。
「これが、お母さんから聞ける最後の言葉になります」
「うん」
「それでも、いいですか?」
アルタイルは砂を見つめた。
そして、顔を上げる。
「よろしく頼むよ」
迷いはなかった。
「今、聞いておいた方がいい気がするんだ。まだ何か、伝えたいことがあるのかもしれない」
エマが、その横顔を静かに見守っていた。
クラルも姿勢を正す。
シグは、ガレフの砂が入った小瓶を握ったまま、ノアへ目を向けた。
聞くと決めた人。
まだ、手元に残しておきたい人。
それぞれの想いを前に、ノアは両手で砂を掬い上げた。
そして、優しく握る。
ふわっーー
指の隙間から、淡い黄色の光が洩れた。
「……!」
アルタイルが息を呑む。
光は、ゆっくりとノアの手を包んでいった。
ノアが目を閉じる。
その心へ、最後に残された言葉が届く。
『アルタイル? あなた……』
ノアは、届いた言葉をそのまま声にした。
「アルタイル? あなた……」
誰もが、続きを待っていた。
「エマちゃんのこと、好きだったわよね?」
「…………」
アルタイルの指が、カップの取っ手を握ったまま止まった。
エマも動かない。
ノアの眉が、ほんの僅かに動く。
けれど、言葉は続いていた。
「母さんには分かるのよ、そんなこと」
クラルが、そっとアルタイルを見た。
「……あの子は賢くて、気立てもいいから。きっと、素敵なお家で大切に育てられたんでしょうね」
エマの頬へ、じわじわと赤みが広がっていく。
ノアは、最後の言葉を読み上げた。
「アルタイル!ちゃんとはっきり口で言わないと、そういうことは伝わらないからね」
光が、ふっと消える。
ノアが手を開くと、砂はもう残っていなかった。
長い沈黙が、食卓へ落ちた。
アルタイルの額を、一筋の汗が伝う。
「……ノアさん?」
「はい」
「何かの……冗談かな?」
「いえ。お母さんの最後の言葉です」
ノアは真顔だった。
「……そうか」
アルタイルは、空になった彼女の手を見つめる。
百年前の話に続いて、母が残していたもの。
それが、まさか…
「最後まで……敵わないな」
困り果てたように笑い、額へ手を当てた。
その隣で、エマが両手で顔を覆う。
耳まで真っ赤だった。
「ちょ、ちょっと待ってください……」
「エマ……?」
アルタイルが、おそるおそる顔を向ける。
「今は、見ないでください!」
「……はい」
クラルとシグは、顔を見合わせた。
何か言っていいのか。
笑っていいのか。
それとも、席を外した方がいいのか。
二人とも、口を開きかけては閉じる。
そんな中、ノアだけが不思議そうに尋ねた。
「二人とも、好きなんですか?」
「ノア!」
クラルが思わず声を上げる。
「え?」
「今、それを聞くの!?」
「だって、お母さんが口で言わないとって」
シグが額を押さえた。
「……ノア、少し黙っててくれ」
「そうなの?」
クラルは、おかしくてもう何も言えなくなった。
百年前の秘密を知った、その日の夜。
食卓にいた誰もが、今は二人の愛の行方を気にしていた。
しばらくして。
ようやく食事が再開された頃、アルタイルは咳払いをした。
「……ところで」
「はい?」
ノアが顔を上げる。
アルタイルは、先ほどまで光っていた彼女の手を見た。
「その《灰読》も、神の加護によるものなのかい?」
「神の加護……」
ノアは自分の手へ目を落とした。
「たぶん、そうだと思います」
「たぶん?」
「灰読ができる理由は、よく分かりません。でも、私はバーサーカーなので」
シグの手から、パンが皿へ落ちた。
「……今、何て言った?」
「バーサーカー」
「え?ノアが!?」
ノアは頷く。
「俺、それ初耳なんだけど!」
「言ってなかった?」
「聞いてない!」
「そう」
シグは何か言い返そうとして、諦めたように息を吐いた。
クラルが、つい笑ってしまう。
けれど、アルタイルの表情は笑っていなかった。
「……待ってくれ」
ノアを見つめ直す。
「バーサーカーなんて、今の時代じゃ……」
「珍しいんですか?」
クラルが尋ねた。
「珍しいどころじゃない。もはや、伝説の中の存在だよ」
エマも、驚いた顔でノアを見ていた。
当のノアは、不思議そうに二人を見返している。
クラルの笑みが、少しずつ消えた。
ノアは、自分がどこで生まれたのかを知らない。
どこから来たのか。
家族は誰なのか。
なぜ、バーサーカーなのか。
その答えを、まだ持っていない。
この旅の中で、いつかノアの故郷を探してあげたい。
クラルは、以前からそう思っていた。
「アルタイルさん」
「ん?」
「バーサーカーの末裔が暮らしている場所って……知りませんか?」
アルタイルは少し考えた。
やがて、首を横へ振る。
「うちには王国中から情報が集まってくる。商人が行く場所なら、大抵の土地の話は耳に入るんだけどね」
それでも、思い当たる場所はなかった。
「バーサーカーが今も暮らしている土地は、聞いたことがない」
「そう……ですか」
クラルが俯く。
「でも」
アルタイルの声に、顔を上げた。
「《聞いたことがない》と、《存在しない》は別の話だよ」
「……!」
「アスター大商会を甘く見てもらっちゃ困る」
にっと笑う。
「うちの商人は王国中を歩いている。支店同士の通信網もある。運んでいるのは、荷物と金だけじゃないんだ」
「じゃあ……」
「ああ。探してみよう」
クラルの顔が明るくなる。
「ありがとうございます!」
「故郷に繋がる手掛かりが見つかるかは、約束できないけど」
「それでも、十分です!」
その横で、ノアがパンを千切った。
「クラルの方が嬉しそう」
「だって、ノアのことだもん!」
ノアはパンを持ったまま、クラルを見る。
それから、小さく笑った。
「……ありがとう」
ひと口食べて、アルタイルへも顔を向ける。
「よろしくお願いします」
「ああ。任せてくれ」
アルタイルが頷いた。
クラルは、少し姿勢を正した。
「もう一つ、お願いしてもいいですか?」
「もちろん」
「さっきお話しした、サウスハーバーの《アビス商会》のことなんですけど……」
アルタイルの目が、僅かに細くなる。
「ああ。君たちを襲ったという商会だね」
「はい。警察署長さんは、王国との繋がりがあるらしいと言っていました。アルタイルさんは、何かご存じですか?」
「名前は知っているよ。有名だからね。ただ、どこまで王国と関わっているかは分からない」
腕を組み、少し考える。
「商会というのは、表から見える顔がすべてとは限らないんだ」
「裏の顔があるってことですか?」
「そういうこと」
アルタイルは頷く。
「大きな商会ほど、名前を出さずに済ませたい取引もある。仕入れ先を競合に知られたくない場合や、交渉していること自体を伏せたい場合もね」
「悪いこと?」
ノアが尋ねた。
「必ずしもそうとは限らないよ」
アルタイルは苦笑した。
「そういう仕事を、別の商会に任せることもある。表に立つ商会と、実際に指示を出している相手が違うことだってあるんだ」
クラルの表情が変わる。
「じゃあ、アビス商会も……誰かに頼まれて?」
「その可能性はある。でも、今ある話だけでは決められない」
アルタイルは、指先でテーブルを、とん、と叩いた。
「王国との繋がりというのも、誰と、どんな取引をしているかで意味が変わる。そこから調べてみよう」
「いいんですか?」
「もちろん」
その声には、もう先ほどの狼狽はなかった。
アスター大商会を束ねる商人が、そこにいた。
「君たちが危険を承知で話してくれたんだ。私も、できることはさせてもらうよ」
クラルが、ほっと笑う。
「ありがとうございます」
アルタイルは三人を順に見た。
「しかし……百年前から受け継がれた約束に、伝説のバーサーカー。それに、命を懸けて君たちを守った修復士の弟子か」
小さく首を振る。
「これだけ揃えば、商人としても放っておけないね」
そこで、ふとエマと目が合った。
「…………」
エマの頬に、また赤みが差す。
アルタイルも、言葉を止めた。
「……何ですか?」
「いや。何でもない」
エマは視線を落とし、豆料理の器を持ち上げた。
「……アルタイルさん?もう少し召し上がりますか?」
「ああ…いただこうかな」
エマは器をアルタイルの前へ差し出した。
「豆の煮込み、まだたくさんありますので」
「ありがとう」
アルタイルが器を受け取り、エマが煮込みをよそう。
その様子を見ていたクラルが、ふと口を開いた。
「エマさん、アルタイルさんのお肉多く入れてますね」
「えっ?」
エマの手が止まる。
「そ、そんなことは……」
「……本当だ」
ノアも覗き込んだ。
「アルタイルさんの方が多いです」
「ノアさんまで……!」
エマの頬が、みるみる赤くなる。
アルタイルは、よそわれた煮込みを見つめた。
「……エマ」
「は、はい」
「とっても美味しいよ…」
「いえ、あ、ありがとうございます…」
エマは慌てて手を振った。
アルタイルも平静を装いながら食べている。
エマが、そっと顔を上げる。
「少し甘くしすぎたかと思ったんですが……」
「いや。私は、いつもこの味が好きだよ」
エマの手が止まった。
アルタイルも、自分の言葉に気づいたように顔を上げる。
クラルは、堪えきれずに笑った。
「エマさんの煮込み、幸せの味がしますよね」
「もう……クラルさん」
エマが俯く。
けれど、その口元には笑みがあった。
シグも、肩を揺らしながら笑った
ノアは煮込みをひと口食べ、頷いた。
「うん。おいしい」
窓の外では、ガス灯が夜の王都を照らしている。
温かな食卓を囲みながら、クラルは思った。
少し甘い煮込み料理は、疲れも癒えて、幸せになれるのだと。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
重たい真実に触れた日にも、お腹は空くし、美味しいものを食べれば笑顔になれる。
そんな三人と、少し甘い二人の時間でした。
いやー、私も書いててニヤニヤしてしまいましたー
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