再会とアスター大商会
追っ手から逃げるクラルたち。
絶体絶命の三人を暗がりへ引き込んだのはーー
「しーっ……」
聞き覚えのある、その声。
思いがけない出会いが、三人を王都の《ある場所》へと導いていきます。
「だ、誰!?」
クラルが声を上げた、その瞬間だった。
暗がりから伸びてきた手が、ぱっとクラルの口元を塞いだ。
「むぐっ!?」
「手荒な真似をしてすみません!」
耳元で、女性の声がした。
「もう少しだけ……静かにしていてください」
「…………?」
声を上げかけたクラルの横で、ノアとシグも息を呑んだ。
三人はまだ、突然引きずり込まれた勢いのまま床へ倒れ込んでいる。
何が起きたのか分からない。
目の前に誰かがいる。
それだけは分かる。
人影は三人と一緒にしゃがみ込むと、身を隠すように身体を低くした。
そしてーー
「しーっ……」
唇の前に、人差し指を立てる。
その直後だった。
タッ、タッ、タッ、タッーー!!
扉一枚を隔てた向こうから、激しい足音が響いた。
「くそっ!」
男の声。
「あいつら、消えやがったぞ!」
クラルの肩が、びくっと跳ねた。
近い。
すぐそこだ。
ついさっきまで自分たちがいた通りを、何人もの男たちが走り回っている。
「どこ行った!?」
「探し出せ!」
別の男の苛立った声が響く。
「逃げられたなんてことになったら、俺たちがやべえぞ!」
「向こうだ! まだ遠くには行ってねえはずだ!」
タッ、タッ、タッーー!
複数の足音が、扉のすぐ前を駆け抜けていく。
「…………」
クラルは息を止めた。
ノアもぴくりとも動かない。
シグだけは扉を睨みながら、いつでも動けるよう片膝を立てている。
やがて…足音が遠ざかっていった。
男たちの怒鳴り声も小さくなり、
最後には。
何も聞こえなくなった。
「…………」
それでも、誰もすぐには動かなかった。
数秒。
さらに数秒。
やがて、クラルの口元を塞いでいた手が、そっと離れた。
「……もう、大丈夫だと思います」
女性の声だった。
突然、明るい大通りから引き込まれたせいで、まだ目が暗さに慣れていない。
けれど…
少しずつ。
目の前にしゃがみ込んでいる女性の輪郭が浮かび上がってくる。
髪。
瞳。
そして、その顔。
「…………あれ?」
どこかで…
女性もまた、クラルの顔を覗き込むようにじっと見つめていた。
そして…!
ぱあっと、その表情が明るくなった。
「やっぱり、クラルさんでした!!」
「え?」
「私です!」
女性は嬉しそうに声を弾ませた。
「エマ! エマ・ベルクです!」
「…………」
クラルが目を丸くする。
一秒。
二秒。
記憶の中の顔と、目の前の女性が重なった。
「ええっ!?」
今度は止める間もなかった。
「エマさん!?」
「はい!」
思わず二人で顔を見合わせる。
ベルガ村で出会った女性。
亡くなった母親が遺した石版。
そこに残されていた手紙。
そしてーー
母親の思い出の味を辿って、一緒に食べたあの甘い煮込み料理。
忘れるはずがない!夜遅くまで話して一晩泊めてもらったエマさん。
あの、エマだった。
「なんでエマさんがここに!?」
「なんでって……」
エマがきょとんとする。
その横で。
完全に話から置いていかれた男が一人。
シグが、クラルとエマを交互に見た。
「……誰だよ?」
「あっ」
クラルが振り返る。
ノアも首を傾げた。
「クラルの知り合い?」
「うん、ベルガ村でね」
「クラルさん!」
説明を始めようとしたクラルを、エマがくすっと笑って止めた。
「さすがに、こんな裏口でお話しするのも何ですから」
エマは立ち上がると、服についた埃を軽く払った。
そして建物の奥を示す。
「こちらへどうぞ」
「……裏口?」
クラルも立ち上がり、そこで初めて、周囲を見た。
「…………え?」
高い。
まず目に入ったのは、天井だった。
裏口と呼ぶには、あまりにも高い。
その下には何段にも積み上げられた木箱。
見たこともない文字や紋章が焼き付けられた樽。
大きな布を掛けられた荷車。
色鮮やかな布が覗く荷箱。
太い柱からは巨大な滑車が吊り下げられ、その間を何人もの従業員が忙しそうに行き交っている。
「三番倉庫へ!」
「南部行きの荷はそっちだぞ!」
「帳簿、確認終わりました!」
声が飛び交う。
荷物が運ばれる。
羽根ペンが走る。
さっきまで三人が息を潜めていた場所とは思えないほど、建物の奥は活気に満ちていた。
「……ここって」
クラルがぽかんとする。
エマが笑った。
「私の勤め先ですよ」
「え?」
「アスター大商会ですよ」
「…………」
クラルの動きが止まった。
アスター大商会。
聞き覚えがあるどころではない。
「ーーああっ!!」
ようやく思い出した。
ベルガ村で会った時、エマ本人から聞いていた。
王都グランヴィアにあるアスター大商会で働いている、と。
「ここが!?」
「はい」
クラルは建物の奥を見る。
もう一度エマを見る。
また奥を見る。
「……もっと、お店みたいなところだと思ってました」
「お店……でもありますよ?」
なぜかエマの返事には、妙な間があった。
「でも?」
「せっかくですから、見ていきます?」
「いいんですか!?」
「もちろん」
エマは柔らかく笑った。
「クラルさんは命の恩人ですから」
「そ、そんな大袈裟な……」
クラルの目が泳ぐ。
けれど、エマは笑わなかった。
「あの日、母の言葉を届けてもらえなかったら、私はずっと後悔したままだったと思います」
「…………」
「私にとっては、それくらいのことなんですよ」
「エマさん……」
クラルは少し照れくさそうに頬を掻いた。
そして…
にっ、と笑う。
「今日は私たちが助けられちゃいましたね!」
「ふふっ。そうですね」
二人が笑い合う。
「あ!」
そこでクラルが声を上げた。
「紹介してなかった!」
慌てて二人を振り返る。
「こちらがノア! そして、こちらがシグ!」
「ノアです。初めまして」
「シグです」
「エマ・ベルクです。よろしくお願いします」
ぺこり。
ぺこり。
ぺこり。
あまりにも普通に挨拶が終わった。
「…………」
シグが首を傾げる。
「命の恩人との再会って、こんな簡単な挨拶でいいのか?」
「え?」
「確かに」
ノアが真顔で頷く。
「ええっ!?」
クラルが慌てる。
「じゃあどうすればいいの!?」
「知らねえよ」
「シグが言ったんでしょ!」
エマが吹き出した。
ノアも笑う。
結局、シグまで笑った。
つい先ほどまで追われていたことを、一瞬だけ忘れるような笑い声だった。
「では、改めまして」
エマが奥を示した。
「アスター大商会へようこそ」
――
「うわぁ……!」
建物の奥へ進んだクラルは、思わず立ち止まった。
広い。
とにかく、広い。
何階分もの高さがある吹き抜け。
一階にはいくつもの受付が並び、その向こうでは商人らしい男たちが書類を広げて話し込んでいる。
別の場所では巨大な秤に荷物が載せられ、そのさらに奥では、何人もの職員が忙しそうに帳簿へ羽根ペンを走らせていた。
二階へ続く階段も大きい。
しかもーー
「……三階もある」
ノアが上を見た。
「その上にも人いるぞ」
シグが言う。
クラルも見上げた。
「…………」
ぽかーん。
エマが笑う。
「まだ入口ですよ」
「これで!?」
思わず三人の声が揃った。
――どうやら。
クラルは大きな勘違いをしていたらしい。
アスター大商会。
それは単に、《大きなお店》そんなものではなかった。
「こちらは織物部門です」
エマが指差す。
壁一面に、色鮮やかな布が並んでいた。
深い赤。
鮮やかな黄。
夜のような青。
中には、見る角度によって青から紫へ色を変える不思議な布まである。
「綺麗……!」
クラルが吸い寄せられるように近づいた。
ノアも目を輝かせる。
「これ、全部王都で作ってるの?」
「いいえ。王国各地から集めています。布だけでなく、染料もですよ」
「染料?」
「茜や紅花。それから、海を越えたずっと東の国から仕入れる珍しいものもあります」
「海の向こう……」
クラルが布を見つめる。
今、自分の目の前にあるこの一枚が。
自分の知らない国から海を越えてここまで来た。
そう考えるだけで、ただの布が少し違って見えた。
「貴族の方々は、他の人が持っていない色を欲しがりますから」
「……色を?」
「色を、です」
「色にそんなにお金払うの?」
「珍しい色ほど高く売れるんですよ」
「へぇー……」
クラルには、よく分からない世界だった。
その横で。
シグが何気なく値札を見た。
「…………」
すっ。
視線を逸らす。
「クラル」
「ん?」
「それ、触らない方がいいぞ」
「なんで?」
「クラル、手汚いだろ?!」
もう一度だけ値札を見る。
「俺たち三人の旅費より高い」
「…………」
クラルの指が止まった。
そーっ……。
布から離れる…そして。
「シグ、あとで少し話があるから顔貸しなさい!!」
ノアが吹き出した。
「しかも、もう触った後だよ」
「エマさん、私汚い手で触ってしまいました!」
エマが楽しそうに笑った。
「大丈夫ですよ。触ったくらいでは請求しませんから」
「くらいでは!?」
クラルはさらに一歩離れた。
――
だが。
三人が本当に驚いたのは、ここからだった。
「ここは為替を扱う部署です」
「かわせ?」
クラルの頭の上に、見えない疑問符が浮かぶ。
机。
椅子。
大量の書類。
何人もの職員が、ひたすら数字を書き込んでいる。
商品が一つもない。
「……ここも商会なんですか?」
「もちろんです」
エマは少し考えた。
「たとえばクラルさん。遠い街で、金貨百枚の買い物をするとします」
「ひゃく!?」
「その百枚を袋に入れて、ずっと持ち歩くのは?」
クラルは想像した。
ずっしりと重い金貨の袋。
山道。
森。
そして……盗賊。
「…………怖いです」
「ですよね」
「絶対狙われる」
ノアも頷く。
「俺なら宿でも寝られねえ」
シグまで真顔だ。
「そこで、これです」
エマが一枚の紙を見せた。
「アスター大商会が発行した為替手形を持っていけば、別の街にある支店で金貨を受け取れます」
「…………」
クラルが紙を見る。
エマを見る。
もう一度、紙を見る。
「紙なのに?」
「紙ですが」
「金貨百枚?」
「受け取れます」
「…………」
クラルがノアを見る。
ノアもクラルを見る。
二人同時に。
「すごっ!」
シグがため息をついた。
「お前ら、そこだけ理解早いな」
「だって便利じゃん!」
「金貨百枚持たなくていいんだよ!?」
エマがくすくす笑う。
「でも、扱うのは物だけではありません」
「まだあるんですか?」
「商人へお金を貸すこともあります」
「お金を?」
「商人だけではありませんよ。領主や貴族。それから」
エマはさらりと言った。
「王家へお貸しすることもあります」
「…………」
三人が止まった。
「…………王家?」
クラルが聞き返す。
「はい」
「王様に?」
「はい」
「お金を貸すんですか?」
「そうです」
「王様なのに!?」
「王様でも必要な時はありますからね」
クラルの中で、
王様=世界で一番お金を持っている人
という何となくの常識が、音を立てて崩れた。
戦争。
街道や橋の整備。
災害からの復興。
国を動かすには、想像もつかないほどの金が必要になる。
そんな時。
大商会が資金を出すこともあるのだという。
「もちろん、代わりに利息をいただいたり、商売に関する権利や独占交渉権を譲っていただくこともあります」
「権利ってなんですか?」
「たとえば鉱山ですね」
「…………鉱山?」
今度はシグが反応した。
「銀山や銅山の採掘権を持っている場所もあります」
「ちょっと待て」
シグが眉を寄せる。
「商会って鉱山まで持つのか?」
「持つ、というより権利ですね」
「それでも十分すげえよ……」
採れた鉱石を買い取る。
工房へ運ぶ。
加工された品を、別の街へ運ぶ。
そして売る。
一つの商品が生まれるまでに、いくつもの商売が繋がっている。
クラルは腕を組んだ。
一生懸命考えてーー
諦めた。
「……すごい」
もう、それしか出てこなかった。
エマが笑う。
「では、最後にこちらを」
大きな扉が開かれる。
その向こうの壁を見て。
三人は同時に足を止めた。
「…………」
巨大な地図。
壁いっぱいに広がる、王国全土の地図だった。
街。
村。
港。
山。
川。
それらが、無数の線で繋がれている。
「これ……全部?」
クラルが近づく。
「アスター大商会の主な輸送路です」
エマの指が地図の上を滑る。
「穀物。塩。香辛料。干し魚。ワイン。保存食。生活用品…」
「そんなものまで?」
「むしろ、とても大切な仕事ですよ」
エマの声が、少しだけ変わった。
「不作になった土地へ、別の土地から穀物を運ぶ」
指が一本の線を辿る。
「海のない街へ、塩や干し魚を届ける」
また別の線へ。
「逆に、豊作で余ったものを、足りない土地へ運ぶ」
クラルは地図を見つめた。
「大きな街には、それだけたくさんの人が暮らしています」
王都グランヴィアもそうだ。
今日歩いた大通り。
パンを売っていた店。
惣菜を並べていた人。
菓子を分け合っていた親子。
その人たちが毎日食べるもの。
着るもの。
使うもの。
それらはーー
どこかから運ばれてくる。
「物が届かなければ」
エマが言った。
「いくらお金を持っていても、食べ物は買えませんから」
「…………」
クラルは地図を見上げた。
派手な宝石でもない。
美しい服でもない。
ただ、毎日のパンを届ける。
それも。
商会の仕事なのだ。
「……なんか」
クラルがぽつりと呟いた。
「はい?」
「私、商会ってもっと……物を売るところだと思ってました」
「間違ってはいませんよ」
「でも、これ……」
クラルは巨大な地図を見る。
無数の線。
その先にある、数え切れない街や村。
「お店っていうよりここが…」
少し考えて。
「国みたいですね」
その瞬間。
「ははははははっ!!」
突然。
背後から豪快な笑い声が響いた。
「ひゃっ!?」
クラルが飛び上がる。
「それは陛下に聞かれたら怒られるぞ!」
三人が一斉に振り返った。
そこに、一人の男が立っていた。
上等な服を着ている。
けれど、貴族のような堅苦しさはない。
むしろ楽しそうに口元を緩め、こちらを眺めている。
男はクラル。
ノア。
シグ。
三人を順番に見て、最後にエマへ視線を向けた。
「珍しいね、エマ」
にっと笑う。
「お客様か?」
「あ、マスター」
エマも笑った。
「はい。ちょうどご紹介しようと思っていました」
「俺に?」
「ええ」
エマはクラルたちへ向き直った。
そして、ほんの少し誇らしそうに、その男を紹介する。
「こちらが!」
クラルたちが見上げる。
王都へ来る前から、何度もその名を耳にした巨大商会。
物を運び。
金を動かし。
王国中の街を繋ぐ。
「アスター大商会の商会主」
エマが微笑んだ。
「アルタイル様です」
「アルタイルだ」
男は気さくに片手を上げた。
そして、クラルたちを見て、楽しそうに笑った。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
まさかのエマさん再登場でした!
ベルガ村で出会った時に聞いていた《アスター大商会》。
クラルたちが思っていた以上に、とんでもなく大きな場所でしたね(笑)
そして最後には、ついに商会主アルタイル登場!
ここからクラルたちは、また新しい物語へと繋がっていきます。
今週も金・土・日の三日間、お付き合いいただきありがとうございました!
続きはまた金・土・日20時10分に更新します!
「続きが気になる!」と思っていただけましたら、ブックマークや⭐︎評価、いいねで応援していただけるとめちゃくちゃ励みになります!!
来週もクラル、ノア、シグの旅をよろしくお願いします!




