王都の追跡者
美しい王都を、もう少しだけゆっくり歩いていたい。
そんな三人のささやかな願いとは裏腹に…
穏やかな時間は、そう長くは続いてくれないようです。
レストランを出たクラルたちの背後に、再び忍び寄る影。
けれど追われているはずの三人は、なぜか少し楽しそうで……?
王都の街を舞台に、逃走劇が始まります。
そして…
レストランを出て、クラルたちは再び王都の街を歩き始めた。
石畳の坂道を上るたび、焼き立ての肉やパンの香ばしい匂いと、行き交う馬車の古びた革の匂いが風に混じって流れていく。
何百年もの古い面影を色濃く残しながら、その隣には新しい時代の建物や、綺麗に整えられた街並みが自然に溶け込んでいる。
劇的な何かがあるわけではない。
けれど、この王都はーーただ静かに美しかった。
白亜の建物が並ぶ大通りでは、クラシカルなドレスの裾を揺らす貴婦人とすれ違う。
その脇を、子供たちが元気よく駆け抜けていった。
「待ってよー!」
「早く早く!」
楽しそうな笑い声が、石造りの建物の間へ響いていく。
店先では惣菜を並べる人がいて。
馬車から大きな荷物を下ろす人がいて。
道端では、買ったばかりらしい菓子を半分に割って笑い合う親子がいる。
この美しい街で、みんなが懸命に、そして楽しそうに生きている。
クラルは、そんな街の日常を眺めるのが嫌いじゃなかった。
「急ぐ理由なんて、俺たちにはないからな」
隣を歩くシグが言った。
クラルが振り向く。
シグは前を向いたまま、いつもの調子で歩いている。
「せっかく王都まで来たんだ。少しくらいゆっくり見て回ってもいいよな」
「うん!」
クラルは嬉しそうに頷いた。
そうは言ってもーー
自分たちが、正体すら分からない何かに追われているのも確かだった。
誰が狙っているのか。
何のために狙っているのか。
それすら、まだ分からない。
高く昇った太陽を見上げながら、クラルは隣を歩く二人の顔を見た。
ノアもいる。
シグもいる。
今は、それだけでいいと思った。
大通りに並ぶガス灯。
街路樹の影が石畳へ落ち、風が吹くたび、木漏れ日が足元で揺れる。
どこかの店から笑い声が聞こえる。
私たちはただーー
まやかしのような、穏やかな時間の中を歩いていた。
こんな時間が、もう少しだけ続けばいい。
そう思ったーー
その時までは……。
――
「……やっぱり、気のせいじゃないな」
不意に、シグが小さな声で言った。
歩調は変わらない。
視線も前を向いたまま。
「二人とも……振り向いたり、驚いたりせず、そのまま普通に歩けよ」
あまりにも自然な声だったせいで、クラルは危うく聞き流すところだった。
「なになに?」
クラルも前を向いたまま、小声で返す。
「つけられてるぞ」
「……え?」
「だから振り向くなって」
「あっ」
反射的に振り返りかけたクラルの頭を、隣のノアが片手でぐいっと前へ戻した。
「あはは。ほら、クラルに言うと反射的に向いちゃうから」
「ご、ごめんなさい」クラルが謝る。
三人は何事もなかったように歩き続ける。
白亜の建物が並ぶ大通り。
馬車が行き交い、買い物袋を抱えた人々がすれ違っていく。
さっきまで心地よく聞こえていた街の喧騒が……急に遠くなったような気がした。
クラルは声を潜める。
「……いつから?」
「レストランを出た時にはいたと思う。さっきT字路に差しかかった時、店の窓に奴らが映り込んだ」
「くそー……早すぎるでしょ! まだ王都楽しんでないのにー」
「声が大きい」
「ごめん」
ノアが、ちらりと横目だけでシグを見る。
「襲ってくるかな?」
「よっぽどじゃなければ、こんな昼間の王都のど真ん中で襲撃なんてしないと思う。人が多すぎる」
周囲には、昼食を終えた人々。
店先で立ち話をする婦人たち。
荷車を押す商人。
少し先には、巡回中らしい衛兵の姿まで見えた。
ここで襲えば、どう考えても目立つ……
「ってことは……」
クラルの口元が――
ニヤッと上がった。
「逃げればいいのね」
「え?」
シグが思わず横を見る。
クラルは、なぜか楽しそうだった。
「ふふっ。なんかワクワクしない? ノア!」
「するする!」
ノアまで嬉しそうに頷く。
「私、クラルが楽しそうならなんでも楽しい」
「出たよ、この二人は……」
シグは心底呆れたように息を吐いた。
尾行されているというのに、隣の二人からは緊張感というものが綺麗に消え失せている。
するとクラルが、斜め掛けの鞄をごそごそと探り始めた。
「それならさ、これ使おう」
取り出したのは、小さなガラス瓶だった。
中には透明な液体。
けれど瓶を傾けるたび、赤、青、緑、紫、細かな光が液体の中で星屑のように揺れる。
シグが眉をひそめる。
「……なんだ、それ」
「昨日、魔材屋で買ったやつ!」
クラルは得意げに瓶を掲げる。
「光がいろんな色に弾ける薬! 撒いた高さによって、弾けるまでの時間が変わるんだって」
「何のために買ったんだよ」
「護身用!」
「これを護身用とか、ふざけてるなクラルは」
言い終わるより早くーー
ぎゅっ。
ノアがクラルの腕へ絡みついた。
そのままクラルの肩へ頬を寄せながら、
じろっ。
それ以上クラルを侮辱したら怒るよと言わんばかりにシグを睨む。
「…………」
「…………」
数秒。
「ごめんなさい、クラルさん!」
シグは素直に謝った。
クラルがくすくす笑ってノアの頭を撫でた。
「じゃ、いくよ」
人通りが少し途切れた瞬間ーー
ぽんっ。
クラルは瓶の栓を抜いた。
そして歩調を変えないまま、後ろ手に液体をさっと撒く。
陽の光を受けた雫が、きらきらと宙へ散った。
一秒。
二秒。
三秒。
何も起こらない。
「……クラル?」
「大丈夫。たぶん」
「たぶん!?」
四秒。
そして…
五秒。
ぱちっ、ぱち。
背後で、小さな音がした。
次の瞬間!
ぱぱぱぱんっ!!
赤。
青。
黄。
紫。
色とりどりの光が、背後の路地いっぱいに弾け飛んだ。
「うわっ!?」
「なんだこれ!!」
男たちの声。
「今!」
三人は一斉に駆け出した。
「ふふっ!」
「クラル、こっち!」
「お前ら楽しむな! ちゃんと逃げろ!」
石畳を蹴る。
細い路地へ飛び込み、頭上に渡された洗濯物の下をくぐり抜ける。
角を右。
小さな青果店の前を横切る。
「うわっ!?」
店主が驚く横を駆け抜け、今度は大通りへ。
その瞬間。
ガラガラガラーー!
「待って!」
クラルが急停止する。
二頭立ての馬車が、目の前を横切った。
風がクラルの前髪を揺らす。
そして馬車が通り過ぎた瞬間。
「今!」
三人はその後ろを一気に横切って追っ手の死角に入った。
「これなら見失ったでしょ!」
ノアが笑う。
「いや……」
シグだけが足を緩めなかった。
走りながら、通り沿いの店の窓へ一瞬だけ視線を向ける。
ガラスに映った、人混み。
その向こう。
人を押し分けながら、こちらへ走ってくる影。
「まだいる」
「嘘でしょ!?」
「思ったより頑張るな、あいつら!」
「感心してる場合!?」
再び走る。
路地へ。
右。
大通りへ出る。
また細い道へ逃げ込む。
姿が消えた。
――と思えば。
次の通りで、また現れる。
「しつこいー!」
「そりゃ尾行してるんだから諦めないだろ!」
三人の息が、少しずつ荒くなっていく。
何度目かの角を曲がった…その時だった。
クラルたちは揃って足を止めた。
「……あれ?」
景色が、変わっていた。
さっきまでの入り組んだ商店街とは違う。
道幅は広くなり、建物も一気に大きくなっている。
左右には立派な石造りの建物が並び、そのほとんどに巨大な看板や紋章が掲げられていた。
倉庫。
荷馬車。
積み上げられた木箱。
忙しそうに荷物を運び込む商人たち。
「ここ……商会が集まってる通り?」
ノアが周囲を見回す。
その中でもーー
三人のすぐ横に建つ建物は、明らかに別格だった。
何階あるのか、見上げなければ分からないほど巨大な建物。
磨き込まれた白い石壁。
等間隔に並ぶ大きな窓。
そして正面には、人が数人並んで通れそうな巨大な両開きの扉。
誰が見ても分かる。
――大商会だ。
「やばいな……」
シグが呟く。
「何が?」
「路地がない」
クラルが左右を見る。
今までのように逃げ込める細道が、どこにもない。
巨大な商会の建物が、通りの端まで隙間なく続いている。
その時。
タッ。
背後から足音。
タッ、タッ、タッーー
さっきより近い!!
ノアの表情から、ようやく笑みが消えた。
「……来てる」
「やばいなあ!」
「お前、ちょっと楽しんでるだろ」
「そんなことない! 次はどの魔法の薬を使おうか?!」
「クラル!」
シグが前方を指差す。
大商会の建物が終わる角まで、あと十数歩。
「あそこまで行く」
シグの声が低くなる。
「建物の角を曲がった瞬間、全力で走るぞ」
「分かった」
「うん」
三人は歩く。
まだーー走らない。
あと十歩。
背後の足音が近づく。
八歩。
六歩。
クラルは無意識に、ノアの手を握った。
ノアも、ぎゅっと握り返すーー
三歩。
二歩。
一歩。
角へ差しかかる。
「走れ!」
三人が地面を蹴ったーー
その瞬間。
バンッ!!
真横で、巨大な音が鳴った。
「えっ!?」
大商会の両開きの扉。
閉じていたはずの片側が、突然、内側へ勢いよく開いた。
クラルが反射的にそちらを見る。
薄暗い室内。
その奥に、人影……?
次の瞬間。
ぐいっ!!
「えっ!?」
クラルの外套が、強い力で掴まれた。
身体が横へ持っていかれる。
靴底が石畳を滑った。
「クラル!」
ノアが手を伸ばす。
だがーー
「きゃっ!?」
ノアの腕も、扉の奥から伸びた別の手に掴まれた。
「は!?」
さらに、シグの襟元まで掴まれる。
「ちょ、待っ……!」
三人の身体が、ほとんど同時に扉の内側へ引きずり込まれた。
「え!? え!?」
クラルの視界がぐるりと回る。
明るかった昼の大通り。
石畳。
青い空。
驚いたノアの顔。
その全部がーー
扉の向こうへ消えていく。
「やばい!!」
シグが床を蹴り、無理やり体勢を立て直そうとする。
だが。
バタンッ!!
巨大な扉が閉まった。
外の喧騒がーーー途切れた。
「…………」
突然の静寂。
薄暗い室内。
「な、なに……?」
クラルは息を呑んだ。
すぐ横には、三人を引きずり込んだ大男が立っている。
分厚い腕。
クラルなど片手で持ち上げられそうな巨体。
シグが反射的に二人の前へ出た。
「だ、誰だよ!!」
その時…
「ありがとう。助かりました」
男の奥から、声がした。
「……え?」
大男が振り返る。
「いえ」
それだけ答えると、大男は何事もなかったように奥へ歩いていく。
その巨体が横へ退き…
クラルたちは、ようやく声の主を見た。
「…………」
薄暗い商会の奥。
窓から差し込む光を背にして、一人の女性が立っている。
逆光で、その表情までは見えない。
ただ…
こちらを見ていることだけは、分かった。
「……誰?」
クラルの小さな声が、
静まり返った商会の中へ落ちた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
せっかくの王都観光だったのにーーまた追われました(笑)
魔法の薬まで使って、路地を走って、馬車をかわして。
なんだかんだ逃走劇を楽しんでいるクラルとノアに対して、シグだけが最後までまともでした!
そして…
明日につづく…です!!お楽しみに〜⭐︎




