省略しない言葉
王都グランヴィアを歩き始めたクラル、ノア、シグ。
初めて見る景色、美味しそうな匂い、賑やかな人々ーー
。
三人の王都散策は、まだ始まったばかりです。
今週も金・土・日、三日間よろしくお願いします!
《銀鹿亭》は、冒険者ギルドから二つ通りを越えた先にあった。
古びてはいるが、歴史を感じさせる重厚な石造りの三階建て。
入口では、銀色の鹿が描かれた小さな看板が風に揺れている。
王国発行の通行証を見せると、主人は快く部屋を用意してくれた。
中へ入れば、長い年月を感じさせる木の階段と手すり。
何度も磨かれてきたのだろう。
濃い飴色になった木肌には、古さよりも品の良さと光沢が残っている。
「元は貴族の屋敷だったのかもな」
シグが手すりを見ながら言った。
三人は二階へ上がり、ひとまず大きな荷物を部屋へ置いた。
「はぁー! 軽くなった!」
クラルが両腕を上げ、大きく伸びをする。
「重い荷物はシグが持ってたけどね」
「気持ちが軽くなったの!」
「それなら分かる」
「ありがとう、シグ」
クラルが笑うと、シグは小さく首を横に振った。
「それより、大切なものは忘れずにな!」
念を押すように二人を見る。
「忘れ物のないようにしなきゃ!」
必要なものだけを持ち、三人は再び宿を出た。
――外へ出た瞬間。
ふわり。
午後の風がクラルの三つ編みを揺らした。
王都グランヴィア。
広い石畳の大通りには何台もの馬車が行き交い、その両脇には大きな建物が整然と並んでいる。
街路樹の葉が風に揺れ、さらさらと涼しげな音を立てる。
ガラガラと響く車輪の音。
遠くから聞こえる新聞売りの少年の声。
人々の話し声。
そこへ風に乗って、蒸気と煤、油の匂いが微かに混じる。
けれどーー
「……いい匂い」
ノアが鼻をひくつかせた。
どこかの店で焼いているのだろう。
香ばしいパンと、甘い焼き菓子の匂いが風に乗って流れてくる。
ノアとクラルの視線が同時にそちらへ向いた。
「ノア、クラル」
シグがすぐに釘を刺す。
「何でもかんでも買わないぞ!」
「まだ何も言ってないでしょ!?」
隣でノアがくすっと笑う。
「クラル、ノア…後で口拭けよ」
クラルとノアの手には串に刺した肉がすでに食べかけで持たれている。
三人はそんな話をしながら、王都の大通りへ歩き出した。
見上げれば、建物の遥か向こう。
王都の象徴でもある四本の尖塔が、青空へ高く伸びていた。
しばらく歩いたところで、クラルがふと足を止める。
「……あ」
通りの角に、小さな店があった。
焼き菓子と雑貨を扱っているらしい。
窓辺には色とりどりの小物が並び、その隣には焼きたての菓子が籠いっぱいに積まれている。
ちょうど、一組の客が店から出てくるところだった。
「ありがとうございました!」
入口に立った姉弟が、揃って頭を下げる。
姉はクラルより少し年下だろうか。
その隣では、まだ幼い弟が姉の真似をして、一生懸命に手を振っていた。
「また来てねー!」
その後ろから、母親らしい女性も笑顔で手を振る。
「ありがとうございました。またお待ちしております」
優しい笑顔。
柔らかな声。
見ているだけで温かくなるような光景だった。
「素敵な雰囲気のお店だね」
クラルが笑う。
ノアも頷いた。
「うん」
だがーー
客の後ろ姿が、通りの向こうへ消えた瞬間だった。
「もっと大きな声で挨拶しなさい!」
母親の声が店先まで響いた。
姉の肩が、びくっと跳ねる。
「それから、あなたも! 接客中にお姉ちゃんに甘えないの!」
今度は弟。
「ご、ごめんなさい……」
「ごめんなさいじゃなくて返事!」
「はい!」
すると店の奥から、父親らしい男性が顔を出した。
「まあまあ、そのくらいで…」
「あなたもよ! さっき頼んだ箱、まだ出してないでしょ!?」
「今やろうと……」
「いつもそれじゃない!」
「…………」
父親は何も言えなくなった。
ついさっきまでの温かな店とは、まるで別の場所のようだった。
「……すごいね」
クラルが呟く。
「すごいね」
ノアも呟く。
シグだけが苦笑した。
「聞こえるからな、お前ら」
しばらくすると、姉弟が店の外へ出てきた。
弟の手には、小さな木のおもちゃが握られている。
姉はその場にしゃがみ込み、壊れかけたおもちゃを直してやっていた。
クラルは二人へ近づく。
「弟と遊びながら、お店のお手伝いもしてるんだね。偉いね」
少女は驚いたように顔を上げた。
「……ありがとうございます」
少しだけ嬉しそうに笑う。
けれど、すぐに俯いてしまった。
「いつも叱られてばかりですけどね……」
「お母さんに?」
少女は一瞬驚いた顔をしてから、小さく頷いた。
「少し前までは、すごく優しかったんですけどね…最近は…」
クラルたちは顔を見合わせる。
「お客さんには、すごく優しいんです」
少女は弟の頭を撫でながら言った。
「ちゃんとしてるし、いつも笑ってるし……どんなに忙しくても、ありがとうございますって言うし」
「うん」
「……でも、お店が終わったら、全然違くて」
ぽつり。
「私たちには返事も適当で、冷たいし、すぐ怒るんですよ……」
少女の指が、弟の髪を弄る。
「お父さんにも、ずっと怒ってます」
「…………」
「お父さんも最近、あんまり笑わなくなりました」
クラルは何も言わず聞いていた。
「このお店を始める前は、みんなもっと仲が良かったんです」
少女は少しだけ唇を噛む。
「だから……私たちが悪いのかなって……」
「それは違うよ!」
クラルがすぐに言った。
少女が顔を上げる。
「…………」
「…………」
クラルはそのまま固まった。
そして隣のノアを見る。
「……なんて言えばいいかな」
「見切り発車したね」
「今考えてるの!」
少女が、ほんの少し笑った。
その時。
壁に背を預けていたシグが口を開いた。
「……距離が近くなったんじゃないか?」
「距離?」
「少し離れて見る人間ってさ、いいところがよく見えるだろ」
少女は首を傾げる。
「優しいところとか、楽しいところとか、頼りになるところとか」
シグは視線を少し落とした。
「でも、ずっと一緒にいると……それだけじゃ済まなくなる」
だらしないところ。
言い方が悪いところ。
身勝手なところ。
疲れて不機嫌になるところ。
「今まで見えなかった弱いところまで、いっぱい見えるようになるんだよ」
少女が小さく尋ねた。
「それって……お母さんが変わっちゃったんじゃなくて?」
「変わったところもあるかもしれない」
シグは答える。
「でも、今まで見えてなかったところが、見えるようになっただけってこともある」
ノアが静かに続けた。
「たぶん、それはお母さんから見ても同じだと思うよ」
「……同じ?」
「お父さんの嫌なところ。君たちの困ったところ。前よりたくさん見えるようになったのかもしれない」
少女は黙った。
「みんなそうなんだよ、きっと」
クラルは自分の胸に手を当てる。
「自分が疲れてたら、分かってほしいしさ…」
「自分が頑張ってたら、気づいてほしいもん…」
ノアが続ける。
「でも、相手が疲れてることには気づけなかったりする」
「誰かが頑張ってることも、ずっと続くと当たり前になっちゃったりするしね」
クラルは少し考えてから言った。
「自分の雑な返事には理由があるのに、相手の雑な返事には不安になったり」
少女がぽつりと言った。
「……なんか、ずるいね」
「うん」
クラルはあっさり頷いた。
「人って結構、自分勝手なんだと思う」
「クラルは?」
ノアが聞く。
「だって今言ったの、ほとんど私のことじゃん!!」
「うん。途中からクラル、自分の話してるなって思ってた」ノアがニヤリと笑う。
「気づくところが偉いねクラル」
そう言いながら、クラルの腕に自分の腕をするりと絡ませた。
「シグもでしょ?」
ノアが笑う。
「……まあな」
シグも小さく笑った。
「家族だから分かってくれるって、思っちゃうんだよ」
「家族だから……」
少女は、足元でおもちゃを動かす弟を見た。
「ずっと一緒にいるから、これくらい言っても大丈夫」
「こんな態度でも許される」
「いちいち言わなくても分かってる」
シグの声が、少しだけ静かになる。
「そうやって……一番近くにいる人への言葉から、少しずつ優しさを省略しちゃうんだよな…きっと」
クラルとノアが、シグを見る。
ほんの一瞬。
シグは何かを思い出したように黙った。
けれど、すぐに少女へ笑いかけた。
「でも、本当は逆なのかもな」
「逆?」
「一番大切な人だから、一番ちゃんとしなきゃいけないのかも」
少女はシグを見つめる。
「別に、特別なことじゃなくていい」
「返事をちゃんとするとか」
「少しだけ言葉を選ぶとか」
「自分が疲れてる時は、相手も疲れてるかもしれないって考えるとか」
そしてーー
シグは人差し指を一本立てた。
「ありがとうと、笑顔を省略しない」
少女が瞬きをする。
「……ありがとう?」
「うん!」
クラルが横から入ってくる。
「やってくれて当たり前じゃないもんね」
「家族だから当たり前じゃない」
シグが指を折りながら言う。
「お父さんだから。お母さんだから。子供だから。ジジイだから……」
「おばあちゃんだから!」
そしてクラルも笑って付け加えた。
シグが一瞬だけ黙る。
「……だから、ありがとうだけはちゃんと言っといた方がいい」
それから、笑った。
「言えるうちにな」
クラルとノアが、ほんの一瞬だけシグを見て笑った
「笑顔で! うん!」
クラルが大きく頷いた。
するとノアが、じっとシグとクラルを見る。
「……全部、ガレフさんとステラさんに聞かせたいよ」
「え?」
「返事、適当だしね」
「うっ」
「言葉遣い、汚いしね」
「それ俺な!」
「二人とも相手を目の前にすると言わなそうだからね」
ノアが、ハアとため息をついた…
「ううっ……一度家に帰って、おばあちゃんに謝りたいわ私!」
クラルは頭を抱えた。
シグが少しだけ笑う。
「俺はもう、ジジイいないからな」
ほんの一瞬だけ、風が三人の間を抜けた。
「でも、クラルは『ありがとう』と『ごちそうさま』だけは大きな声で言うよね」
ノアが付け加えた。
クラルが少しだけ胸を張る。
「でしょ?」
「美味しい!とかな」
シグも横から付け加える。
「ねえ、あなた達、それ褒めてないよね!?」
「いや、褒めてるぞ。褒めるところ、これぐらいしかないから」
「……二人とも後で覚えてろよ」
少女が吹き出した。
「ふふっ……」
弟もつられて笑う。
しばらく笑ったあと。
少女は店の方を振り返った。
「でも……」
小さく呟く。
「私、お母さんのこと好きですよ」
弟がすぐに言った。
「ぼくも大好き!」
少女も頷く。
「うん」
クラルは笑った。
「分かるよ」
好きだから。
昔みたいに笑ってほしいから。
本当は優しい人だって、知っているから。
ノアが二人の背中を軽く押した。
「じゃあ、お店に戻ったら二人でお母さんに抱きついてみたら?」
「えっ!?」
「それで、ありがとうって言う!」
ノアがクラルを見る。
「これね、クラルが気まずくなると、ステラおばあさんにいつもしてるやつ」
「ノア、やめてくれー!」
少女は恥ずかしそうに弟を見る。
弟はーー
「うん!!」
満面の笑みだった。
「ぼくやる!」
「えぇ……」
そう言いながらも、少女も笑っていたーー
そして、二人は店へ向かって駆けていく。
「お母さーん!」
扉が開く。
「なになに!? 急に!」
驚いた母親の声が、遠くから聞こえた。
クラルたちは、その先までは見なかった。
三人で再び歩き出す。
しばらくして。
「……生の声って、いいもんだな」
シグがぽつりと言った。
クラルとノアが同時に振り返る。
「石に残った言葉じゃなくてもさ」
シグは前を向いたままだった。
「生きてるなら……話せば伝わることもあるんだよ」
ほんの少しだけ…その横顔が寂しそうに見えた。
――つねっ。
「痛っ!?」
クラルがシグの二の腕をつねる。
続いてノアが、肘で脇腹を小突いた。
「痛っ! なんだよ二人とも!」
「別にー」
クラルは前を向く。
ノアも何も言わず、ただ笑っていた。
「なんなんだよ……」
シグはぶつぶつ言いながら、二人の後を追う。
路地を抜ける風が、
ふわりと三人の間を通り抜けていった。
近くにいるからこそ、省略してしまう言葉。
「ありがとう」も、笑顔も。
言えるうちに伝えておきたいものですね…
そして三人の王都での時間は、まだまだ続きます!
明日、土曜日も20時10分更新です!
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