表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
19/24

修復士 バインダー

舞台は、工芸人や芸術家が集う《工芸都市グラニス》へ。


今回の見どころは、これまであまり詳しく描いてこなかった《修復士》のお仕事です。


石刻士や灰読士とはまた違う、壊れた石版を再び繋ぐ者たち。


そして久しぶりに、シグとガレフが登場します!


職人の街の空気と一緒に、彼らの仕事を楽しんでいただけたら嬉しいです。


工芸都市グラニスへ


蒸気を吐きながら、列車がゆっくりと停車した。


車輪が軋み、金属のこすれる高い音が耳に残る。窓の外では白い蒸気がふわりと流れ、煤の混じった匂いが初夏の風に溶けていった。


「着いたよ、クラル」


向かいの席からノアが静かに声をかける。


「ふぁ……」


返ってきたのは、間の抜けた大あくびだった。


クラルは眠たげに目を擦りながら、足元に置いていた大きな鞄を肩へ引っかける。乗車中ずっと膝の上に抱えていた斜め掛けの鞄を枕に眠っていたせいで、外套の裾は少しくしゃりと乱れていた。


「起きてたつもりだったんだけど……」


「ずっと寝てたよ」


「うぐっ…」


苦笑するノアに、クラルは悪びれもなく笑った。



列車を降りると、石造りの高い天井の下に、ざわめきと靴音が満ちていた。

煤けた鉄骨、赤煉瓦の壁、頭上を渡る配管。蒸気の白と鉄の黒が混じる駅構内は、どこか工房の延長のようでもある。


ここは工芸人や芸術家が集まる都市 《グラニス》。


修復士、芸術家、彫刻師、鋳物師、細工師ーー


あらゆる《ものづくり》に携わる者たちが集う、王国有数の職人の街だ。


駅の外へ出れば、石畳の通りの両脇に、石や煉瓦で造られた大きな建物が並ぶ。窓辺には色ガラスがはめ込まれ、店先には彫刻刀や金槌、石粉まみれの作業着が揺れていた。風に乗って、石を削る乾いた匂い、金属を焼いた熱の匂い、焼きたてのパンの香りまで流れてくる。


リトスフェル村とは、何もかもが違う。


「わぁ……」


クラルは思わず辺りを見回した。


「すごい街だね。家が大きいし、石の匂いがする」


「工房が多いからかな。空気まで少し白っぽいね」


ノアがそう言って目を細める。


確かに、陽の光の中にはうっすらと石粉が舞っていて、街全体が淡く霞んで見えた。


今回の依頼は、珍しく共同依頼だった。


二つに割れてしまった石版の修復。

その修復を担当するのが、修復士シグと、その師であるガレフ。


そして、修復された石版へ石刻を施す役目として呼ばれたのが、クラルだ。


「シグに会うの、久しぶりだね」


「そうだね。ガレフにもね」

ノアが頷く。


クラルは少しだけ足取りを弾ませながら、改札へ向かった。


依頼者の名は、オスカー・ベルンハルト。


グラニスで工房を構える若い彫刻家で、曾祖父はかつて王都でお抱えの彫刻家を務めていた人物らしい。


今回修復するのは、その曾祖父が遺した石版だという。


本来なら修復だけでも十分な依頼だ。


だが、せっかく直すのなら、その石版に改めて石刻も施したいーー


そう考えたオスカーが、国家図書館を通してクラルにまで依頼を回したのだ。


「曾祖父の石版、かぁ」


改札で切符を駅員に渡しながら、クラルは小さく呟く。


「大事なものなんでしょうね」

ノアが言った


「うん。だからこそ、綺麗に戻せるといいな」



そう話しながら駅舎を出た、その時だった。



「その男を捕まえてくれー!!」


突如、駅前通りに大声が響いた。


反射的に振り返る。


人混みをかき分けるように、一人の男がこちらへ向かって駆けてくる。


痩せた体に煤けた上着、焦ったように血走った目。


男は後ろを何度も振り返りながら、脇目も振らずに突っ込んできた。


「危な!」


クラルが声を上げるより早く、すっと一歩前に出た影があった。


「っと」


シグだった。


軽く身を捻るようにして足を差し出す。


次の瞬間、逃げてきた男の足先がそれに引っかかり、男は見事に一回転しながら石畳の上へ転倒した。


「うわっ!?」


鈍い音とともに、男の懐から布に包まれた何かが飛び出す。


石畳の上を転がったそれは、がしゃりと重い音を立てて止まった。


「その包みです! それを返してください!」


追いかけてきた若い男が、息を切らせながら叫ぶ。


灰色のベストに、石粉のついた袖。


年の頃は三十代半ばほどだろうか。


整った顔立ちをしているが、今は焦りと恐怖で真っ青になっていた。



その包みを、がっしりとした大きな手が拾い上げる。



「ほう、これか」


ガレフだ。


転倒した男は舌打ちすると、すぐさま立ち上がり、包みを取り返そうとガレフへ殴りかかった。


だが。


「おっと」


ガレフはひょいと身をかわす。


空振りした男は勢いのまま前のめりになり、再び盛大に石畳へ突っ伏した。


「ぐっ……!」


「二度も同じ失敗をするたぁ、見込みがねえな」


低く笑うガレフに、男は悔しそうに顔を歪めた。


だが、この場の空気が自分に不利だと悟ったのだろう。


男は「くそっ」と吐き捨てると、そのまま人混みの中へ逃げていった。


追うべきか一瞬迷ったが、ガレフは動かなかった。


「追わなくていいか?」シグが聞いた。


「いい。今はこっちだ」


代わりに周囲をぐるりと見回し、逃げた男の背ではなく、その先の人波をじっと見据えていた。

「…何事もなく逃げたな」


「ジジイらしいな!」


「うるせえ」



「ありがとうございました……! 本当に、助かりました」


先ほど追いかけてきた若い男が、深々と頭を下げる。


「この包みは、曾祖父の形見なんです。待ち合わせのカフェへ向かう途中で、急に奪われて…」


「たまたま間に合ってよかった、ってところだな」


ガレフは包みを相手へ返した。


受け取った男性は胸に抱きしめるようにして、何度も頭を下げる。


その様子を見て、シグがふと目を細めた。


「もしかして……オスカーさん、ですか?」


「あ……はい。オスカー・ベルンハルトです」


「やっぱり。オレ達、国家図書館からの依頼で来ました。修復士のシグです。こっちが師匠のガレフ」


「そしてこちらが石刻士のクラル」


「灰読士のノアです」

ノアが静かに付け加える。


オスカーは目を丸くしたあと、ぱっと表情を明るくした。


「では、皆さんが……! こんな形でお会いすることになるとは思いませんでした。本当にありがとうございます」


「こちらこそ。けど、随分物騒な歓迎でしたね」ガレフが言った。


クラルが首を傾げると、オスカーは困ったように眉を下げた。


「僕にも、どうして狙われたのか分からないんです。工房から石版を持ち出して、待ち合わせの店へ向かっていただけで…誰かに恨まれるようなことも、思い当たりません」


「そうですか…」


シグが短く相槌を打つ。


だが、その横でガレフだけは少し目を細めた。


壊れた石版を修復前に…

(……妙だな)



ガレフは胸中でだけ呟いた。

(このタイミングで石版を狙うってこたぁ、中身を知ってる奴がいるのかもしれねえ。用心しとくに越したことはねえな)


ーー


本来なら、シグが事前に手配していた宿へ向かう予定だった。

だが、オスカーが石版を狙われた以上、事情が変わる。


「宿を変えよう」


駅前の喧騒から少し離れたところで、シグがそう言った。


「狙いが石版なら、俺たちが泊まる場所も割れてる可能性がある。人の出入りが多くて、なおかつ目が行き届く場所がいい」


「冒険者ギルド併設の宿がある。あそこなら受付も夜通しだし、腕っぷしの強い連中も多い」


ガレフの提案に、全員が頷いた。


案内された冒険者ギルドの宿は、思った以上に立派だった。


一階は酒場と受付を兼ねた広いホールになっており、依頼書の貼られた掲示板や長机が並んでいる。


革鎧姿の冒険者たちが昼間から酒を飲み、大きな笑い声を上げ、時折受付嬢に怒鳴られていた。


二階から上が宿になっていて、中央が吹き抜けになっている。


木の階段を上がると、廊下に沿って等間隔に部屋が並び、どの部屋の扉も吹き抜け側に面していた。

下の受付からは階段も踊り場もよく見える構造で、誰かが怪しい動きをすればすぐに気づける。


「なるほど、襲うには目立ちすぎますね」

ノアが静かに呟く。


荷物を部屋へ運び込み、一息つく間もなく、シグは石版の修復に取りかかった。


修復を行うのは、オスカーに用意してもらった一番広い部屋だ。


窓からは午後の光が斜めに差し込み、中央の大きな机の上に、布を外された石版が静かに置かれている。


割れた石版は、思っていたよりも痛々しかった。


厚みのある石は真っ二つに割れ、断面は古い骨のように乾いて白い。


彫り跡の残る表面には、長い年月を経た石特有の艶があり、それだけに中央を走る亀裂がいやに生々しく見えた。



修復士バインダー


割れ、欠け、傷ついた石版を再び繋ぐ者。


石に残された記憶を読む石刻士と同じく、国家図書館の管轄下に置かれる稀少な職能だ。


「じゃあ、始めるよ」


シグが石版の前に立つ。



その声音は、普段と変わらず穏やかだった。

けれど、指先だけがわずかに研ぎ澄まされているのを、クラルは知っている。


シグはそっと石版の断面に触れ、位置を確かめるように片割れを寄せた。

そして、両手をその上へかざす。


静寂が落ちた。


次の瞬間ーー


バチッ、と乾いた音が鳴った。


シグの掌の内側に、淡い碧の光が灯る。

それは最初、火花のように小さく瞬いたかと思うと、すぐに幾筋もの光糸となって広がり、彼の指先を縫うようにまとわりついた。


「……綺麗」


思わず、クラルが小さく呟く。


碧い光はシグの手から石版へと落ち、割れた断面にそっと触れた。


すると、まるで石の傷口を探るように、光がゆっくりと亀裂の縁をなぞっていく。


それは炎にも似ていた。


けれど熱はなく、ただ静かに、深い湖の底のような青を揺らしている。


まるで、失われた輪郭を思い出させるように。


断面のひびに沿って、碧い筋が一本、また一本と走る。

欠けた欠片を拾い上げ、あるべき形へ戻していくように、光は石の内部へ染み込んでいった。

ぱち、ぱち、と小さな火花が散るたび、石の表面がかすかに震える。


シグの額に、じわりと汗が滲む。


「じじい、右側」


「ああ」


ガレフが短く応じ、石版の片側を押さえた。

ただ支えているだけではない。シグの魔力の流れに合わせ、石がずれないよう、微細な位置まで見極めているのだろう。


碧い光が、割れ目の奥深くへ潜っていく。


乾いた断面が、ゆっくりと深い色に変わった。


いや、深い色に変わるというより石そのものが、光を吸い込みながら再び《繋がる》ことを思い出しているのだ。


まるで別々にされた時間が、ひとつに縫い合わされていくみたいだった。



クラルは息を呑んだ。


シグの修復を見るのは初めてではない。


それでも、何度見ても思う。壊れたものが元へ戻る瞬間というのは、どうしてこんなにも胸を打つのだろう、と。


やがて、断面を走っていた碧い光が、ふっと一つに収束した。


最後にシグが指先でそっと亀裂をなぞる。


すると、石版の中央に走っていたはずの割れ目は、薄い線を残すのみとなっていた。

完全に消えたわけではない。だが、確かに、石はもう一度ひとつに戻っている。


「……よし」


シグが小さく息を吐いた。


その瞬間、張り詰めていた空気がほどける。


「すごい……」


オスカーが、ほとんど囁くような声で言った。

その目には、驚きと安堵と、そして少しの感動が滲んでいた。


「まだ完全に安定したわけじゃない。今日はこのまま休ませて、表面の馴染みを見てから石刻に入ってもらう」


シグが石版から手を離しながら言う。


「クラル、いけそう?」


「うん。石の呼吸も乱れてないし、大丈夫そう」


「呼吸って、やっぱりクラルさんにしか分からない感覚?」

オスカーが不思議そうに尋ねる。


「…うまく言えないんですけど、そんな感じですね。石が嫌がってる時は、ちょっと触るだけでも分かります」


「触るだけで分かるの、やっぱり不思議だね」


「私もそう思います」

クラルがあっけらかんと言うと、その場の空気が少しだけ和らいだ。


ーー


修復の作業がひと段落したあと、クラルとノアは別に取ってもらった部屋へ戻っていた。


窓の外では、夕方が近づき始めた街が橙色に染まりつつある。

どこかの工房で金槌が鳴る音。下の酒場から聞こえる笑い声。焼いた肉とスープの匂いが、廊下の隙間からふわりと入り込んできた。


ベッドに腰を下ろしたクラルは、靴を脱ぎながらノアを見る。


「ねえノア」


「うん?」


「今度は私も、ちゃんとノアを守るからね」


ノアは一瞬、きょとんとした顔をした。


「この前みたいに、また危ないことになったら。今度は私も頑張る。ノアばっかりに戦わせない」


クラルの声は、冗談めかしているようでいて、思っていたよりずっと真剣だった。


ノアは少しだけ目を伏せる。


先日の一件…


サウスハーバーでの襲撃。

あの時、自分がどう戦ったのか、ノアにはほとんど記憶がない。気づいた時には、クラルが自分を抱きしめて止めてくれていた。


「ありがとう、クラル」


ノアはふっと微笑んだ。


「私も、クラルを守りたい。……でも、戦ってる時のこと、私ほんとに覚えてないんだけどね」


「そこがちょっと怖いよね」


「うん。ちょっとどころじゃないかも」



「でも、最後はちゃんと私のところに戻ってきたでしょ?」

クラルがそう言って笑うと、ノアもつられるように笑った。


「それは、クラルが呼んでくれたからだよ」


「えへへ。じゃあ次もいっぱい呼ぶ」


「できれば、次がない方がいいなぁ……」


「それはそうだね」


二人でくすくすと笑い合う。


その時、クラルが「あ」と声を上げた。


「そうだ、忘れてた」


ごそごそと鞄を漁り、中から布包みを取り出す。


ノアはそれを見た瞬間、なんとなく嫌な予感がした。


「……何?」


「おばあちゃんのパン」


「……ああ」


「汽車の中でちょっと潰れちゃったけど」


ちょっと、ではなかった。


布を開くと、中から現れたのは見事にぺたんこになったパンだった。もはや《丸いパン》ではなく、《パンだった何か》と言った方が近い。ほんのり甘い香りはまだ残っているが、荷物に押し潰されたせいで、つやのある表面は悲しいほど平坦になっていた。


「食べる?」


クラルがにこにこしながら差し出す。


ノアはしばらく無言でそれを見つめたあと、やんわりと首を横に振った。


「……い、今はいらないかな」


「えー、美味しいのに」


「味の問題じゃないと思う」


「じゃあ後で食べる?」


「考える時間をちょうだい」



クラルは不満そうに頬を膨らませたが、自分で一口かじると「うん、やっぱり美味しい」と満足げに頷いた。


その時。


コンコン、と扉が叩かれる。


「クラル、ノア?」


シグの声だ。


「石刻、お願いできる?」


クラルはぱっと顔を上げた。


「はーい! 今行く!」

慌ててパンを布に包み直し、鞄へ突っ込む。


ノアも立ち上がり、パンパンとスカートを整えた。


「行こっか」


「うん」


扉を開けると、廊下の向こうから夕陽が差し込んでいた。


吹き抜けを満たす橙色の光が、木の床にも、手すりにも、二人の足元にも長い影を落としている。


修復された石版が待っている。


そして、誰かがそれを狙った理由は、まだ分からないままだ。


クラルは廊下を歩きながら、ふと胸の奥に小さなざわめきを覚えた。


それが不安なのか、予感なのか、自分でもまだ分からない。


ただ、ひとつだけ確かなことがある。


この石版には、何かが隠されている。


そうでなければ、わざわざ誰かが奪おうとするはずがない。


夕暮れの光の中、クラルはそっと修復部屋の扉に手をかけた。


その向こうには、修復された石版が待っている。


なぜ、あの男はこの石版を奪おうとしたのか。


その答えはーー


もう、すぐそこにあった。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


工芸都市グラニスで始まった、新たな石版の依頼。


なぜ、修復前の石版が狙われたのか。

そして、その石本の中身はなんだったのか…。


次回、いよいよクラルが石刻へ。


ここからグラニス編、大きく動き始めます。


※そういえば、ここのお話、文章が難しくて悶えながら書いてたのを思い出しますww


続きが気になると思っていただけたら、ブックマーク・評価で応援していただけると、とても励みになります!


明日もお楽しみに〜

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ