黒衣の司書官
クラルを守るため、見たことのない力を解放したノア。
けれどその代償のように、二人は警察庁の地下牢で朝を迎えることになりました。
そして、迎えに現れたのは――黒衣を纏う一人の司書官。
警察庁の地下牢。
石造りの冷たい部屋。
小さな鉄格子から差し込む朝日だけが、そこが朝になったことを教えてくれていた。
クラルは膝を抱えて座っていた。
昨夜はほとんど眠れなかった。
向かいの牢にはノアがいる。
見える距離ではある。
だが手を伸ばしても届かない。
それが余計に苦しかった。
「ノア……」
小さく呼ぶ。
「はい」
いつもの穏やかな声。
それだけで少し安心した。
「ごめんね」
「え?」
「私のせいで……」
言葉が詰まる。
昨日の出来事が何度も頭をよぎった。
もし自分がもっと警戒していれば。
前日に中途半端な正義感で歯向かっていなかったら…
もし最初から危険だと気付いていれば。
ノアはこんな場所に入れられなかったかもしれない。
「違うよクラル!」
ノアは首を振った。
「クラルのせいじゃないよ」
「でも…」
「私が勝手にああなっただけだから」
「しかも全く覚えてないし」
そう言って少し困ったように笑う。
だが。
その笑顔を見てもクラルの胸は苦しかった。
ーー
ガチャリ。
朝になってしばらくした頃。
牢の扉が開いた。
聞き慣れた声が響く。
「クラル?」
「ノア?」
その瞬間だった。
クラルは勢いよく立ち上がる。
「おばあちゃん!」
係員が鍵を開ける。
クラルは走った。
別々の牢から出されたノアの手を掴み、そのままステラへ飛び込む。
「おばあちゃん、怖かった…!」
声が震えた。
「私のせいでノアが…!」
「クラル」
「私の仕事だったのに…!」
涙が溢れる。
「私がちゃんとしていれば良かったのに…!」
「ノアに辛い思いをさせちゃったんだよ…」
ステラは何も言わなかった。
ただ静かに頭を撫でる。
隣でノアも苦笑した。
「本当に大丈夫なのに」
「ノア違うよ!」
クラルは首を振る。
「ごめんね」
ノアは困ったように笑った。
そして小さく答える。
「もう謝らなくていいから」
ーー
その後。
警察署長自らが頭を下げた。
「国家最高司書官ステラ様、今回の事は誠に申し訳ありませんでした」
昨日の男達は、この街でも有名な《アビス商会》へ出入りするごろつき達だった。
王国とも繋がりを持つ巨大商会。
警察も慎重にならざるを得ない存在だという。
警察署長が汗を流す。
「今回の件は正当防衛として処理いたします」
「…そうかい」
ステラは出された紅茶を立ったまま飲む。
「ありがとう、助かるよ」
署長の顔が引きつる。
ーー
あとでクラルが聞いた
「おばあちゃん何したの?」
「何もしてないよ?」
「本当に?」
「ふふふ」
だが。
クラルの心に残っていたのは別のことだった。
ーー
宿へ戻った後。
クラルは思い切って尋ねた。
「おばあちゃん」
「なんだい?」
「ノア、大丈夫なの?」
ステラの表情が少しだけ真面目になる。
「ああ」
そう言ってベッドに腰掛けた。
「話しておこうかね」
ーー
「ノアは《中央都市ミラ》の教会が運営する孤児院出身なんだよ」
クラルとノアが顔を上げる。
そしてノアがクラルを見てにっこりと頷く
「銀色の髪」
「そして灰読師の能力」
ステラは静かに続けた。
「まあ、今回確信したけど、間違いなくバーサーカーの血筋だろうね」
「バーサーカー?」
クラルが首を傾げる。
「主神オーディンの加護を受ける戦士の血筋さ」
部屋の空気が少し変わる。
「感情が極限まで高ぶった時」
「理性を超えトランス状態になった時、オーディンの霊的な力が憑依し加護が発動し戦闘状態に入る」
「痛みも恐怖も無い」
「防御も捨てる」
「自分の身体が壊れるまで戦い続けるんだよ」
「普通なら誰にも止められない…」
クラルは昨日のノアを思い出した。
あの目。
あの力。
あの圧倒的な威圧感。
確かに別人だった。
「上も気付いていたんだろうね」
ステラは呟く。
「だから国家図書館で間接的に保護していた」
「私も実際に本物のバーサーカーや灰読師を見たのは初めてだよ…」
ーー
しばらく沈黙が続く。
やがてステラが聞いた。
「それで?」
「どうやって止めたんだい?」
クラルは少し考えて答えた。
「抱きしめたの」
「でも、それしか思いつかなかった。」
「……」
「そしたら止まった」
その瞬間。
ステラの目が細くなった。
ほんの僅かに。
何かを考えるように。
「そうかい」
それだけだった。
だがクラルは気付いた。
今の返事は少し違った。
何かに引っかかった声だった。
ーー
「もしかしたら」
ステラは静かに言う。
「クラルの力かもしれないね」
「え?」
「確証はないけれど…」
「でも普通は止まらない」
「ましてバーサーカーはね」
クラルは思わず黙り込む。
《白日の石刻》(リトグラフ・ヴェリタス)
まだ誰も知らない力。
自分ですら石刻のことしか分からない。
「今回襲われた件だって」
ステラは窓の外を見た…
「ただ偶発的に起きた事件かもしれない」
「でも違うかもしれない」
「クラルを狙った可能性もある」
「ノアを狙った可能性も」
部屋の空気が静かに重くなる。
「中央から帰ってきた直後だからね」
「疑い過ぎかもしれないけど」
「《白日の石刻》を狙った可能性は考えておくべきだろうさ」
ーー
「でも」
ステラが言った
「ノア」
「今回はクラルを助けてくれてありがとう」
ノアは少し照れたように頭を掻く。
「実は、その時の記憶がほとんどないんです」
「そうかい」
「気付いたら警察にいました」
「ははっ」
ステラは苦笑した。
「らしいね」
ーー
そして。
不意に立ち上がる。
ベッドに並んで座る二人を見つめる。
まだ若い…
危険な世界には不釣り合いなほど。
優しい子達。
ステラは両腕を広げる。
そして二人まとめて抱きしめた。
「おばあちゃん?」
「ステラさん?」
「隠していても仕方ないね…もう気付かれているしね」
静かな声だった。
「私の話もしておこうか…」
ーー
「《黒衣の司書官》 ブラックコートなんて呼ばれていてね」
黒いロングコートを摘まむ。
「この格好がそのまま異名になったのさ」
「私の加護はーー」
ステラは少しだけ苦笑した。
《英傑の叡智》 (マスター・リファレンス)
クラルとノアが目を丸くする。
「歴史上の英雄や大魔導士の技術を記録から再現できる」
「格好良く聞こえるけどね」
「要するに真似っこだよ」
「ずるい力さ…」
「若い頃は冒険者だった」
「その後、司書官になった」
「禁書庫の管理と防衛」
「魔導書、石本」
「世界から隠された記録」
「そんなものを守る仕事さ」
ステラは少し遠くを見る。
「石本を守った」
「禁書庫を守った」
「時には人も殺した」
…
…
静かな言葉だった。
だからこそ重い。
ーー
その時。
クラルがそっと頭を預けた。
ステラの肩へ。
自然に。
甘えるように。
ステラの目が柔らかくなる。
すると。
隣のノアまで真似をした。
反対側の肩へ。
「……あんた達は」
言葉が詰まる。
泣きそうになる。
だから困るのだ。
この子達にこんなにも信頼されると。
ーー
「今日はもう休もうか」
ステラは二人を抱き寄せたまま言った。
「帰ったらまた忙しくなるよ」
「あんた達二人には、家事を仕込まなきゃだしね!!」
「えーやだよね!ノア」
「はい、嫌です」
「仲良しか!!」
「だから今日は」
「三人でゆっくりしようじゃないか」
クラルとノアは顔を見合わせた。
そして小さく笑う。
ようやく、心から安心した笑顔だった。
窓から差し込む高めの光が、静かに三人を包んでいた。
『黒衣の司書官』を読んでいただき、本当にありがとうございました。
今回はノアの力、そしてステラの過去を少しだけ描きました。
三人の距離が少しでも家族らしく感じていただけたなら嬉しいです。
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