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立ち止まる勇気

今回のお話は、「頑張ること」と「幸せになること」は、必ずしも同じではないのかもしれないーーそんな想いを込めて書きました。


少しでも皆さまの心に残る物語になれば嬉しいです。


裏路地での出来事の後、


リリーに案内されながら石畳の整備されたまっすぐな道を歩いていると、やがて大きな屋敷が見えてきた。


赤煉瓦造りの立派な建物。


だが屋敷そのものよりも目を引いたのは、その広さだった。


高い塀に囲まれた広大な敷地。


手入れの行き届いた植物園のような庭園。


まるで小さな城のようだ。


「ここです」

リリーが振り返る。


「私の実家です」


クラルは思わず見上げた。

「大きい…」



「お屋敷だね…」

ノアも静かに頷く。


屋敷へ向かう途中、リリーは今回の依頼について話してくれた。


《王立魔術学会》

魔法を学問ーー魔術科学として研究し、論文を発表する王国最高峰の研究機関。


その学会の代表を務めているのがリリーの両親らしい。


そしてリリー自身も王立魔法学校へ通う優秀な生徒だった。


「祖母が亡くなりまして……」


リリーが少しだけ寂しそうに笑う。


「遺品整理をしていたら石本が見つかったんです」


「なるほど」


クラルは頷いた。



依頼は依頼。


相手が誰であろうとやることは変わらない。


それが石刻師の仕事だ。


とはいえ。


王立魔術学会の代表夫妻。


正直少しだけ緊張していた。


わざわざ自分に頼まなくても、王都や中央都市には優秀な書記官がたくさんいるはずなのだから。


――


案内されて中へ入ると、広い玄関ホールが広がっていた。


磨き上げられた床。


壁一面の本棚。


まるで図書館だった。



ノアが一瞬止まった…


「……どうしたの?」


「いえ…」


「この家、少し息苦しい気がする」

小さな声で呟いた…


クラルには意味がわからない。




その奥で二人の男女が待っていた。


「お父様、お母様」


「石刻士のクラルさんと、灰読士のノアさんです」


リリーが紹介する。


すると二人はすぐに頭を下げた。


「はじめまして」


「遠いところをお越しいただきありがとうございます」


「本日はよろしくお願いいたします」


丁寧だった。


驚くほどに。


クラルは少しだけ戸惑う。


この人達は王国でも有数の学者だ。


本来なら、自分のような田舎の石刻師見習いに頭を下げる立場ではない。


それなのに。


まるで対等な相手に接するような礼儀だった。


「こちらこそよろしくお願いします」


クラルもノアも慌てて頭を下げた。




「リリー」


母親が制服の襟をそっと直す。


「髪が少し乱れているわ」


「ご、ごめんなさい」


「王立魔術学会代表の娘なのだから」


「いつ誰に見られても恥ずかしくないようにね」


「気をつけます…」




――



客室に向かう途中…


「リリー?」

父親が静かに声を掛ける。


「先日の魔術理論の試験は?」


「……九十八点でした」


「そうか…」


父親は頷くだけだった。


「残り二点は何を間違えた?」


リリーの肩が小さく震える。

「応用問題です……」


「基礎が完璧なら応用は解ける」


短い一言だった。


責める声ではない。


怒鳴るわけでもない。


それでもリリーは小さく


「……はい」


と答えた



ーー客室に案内され、美味しい紅茶と見たこともない煌びやかなお菓子が並ぶ。

(心の中でクラルとノアはこの美しいお菓子を全部食べたいと思った…)



「どうぞ召し上がってください」


綺麗なお菓子が並ぶ。


クラルの目が輝く。


すると。


「リリー」

父親が静かに言う。


「君は午後から実技試験だ」


「甘い物は控えなさい」


「あ、はい…」


リリーは手を引っ込めた。


クラルは思わずその手を見た。

(食べたかったんだ…)



「魔法学校へ行かれているんですね。楽しいですか?」

とクラルが聞く。


するとリリーは笑って、


「はい! お父様もお母様も私の事を応援してくれているので」


そう答える。


でもその笑顔が、ほんの少しだけぎこちない


ーー


しばしの雑談の後…


やがて石本が運ばれてきた。


大きな本ほどの白い石。


静かな存在感。



クラルはそっと触れた。



「……なんだろ。」


クラルは目を閉じた。


「すごく……安心します。」


もう一度触れる。


「……春の日なたみたい。」


少し笑う。


「優しい人だったんですね」



「分かるんですか?」


「なんとなくですけど」

クラルは少し笑った。


そして石本を胸に抱きしめる。


伝わってくる。


孫を想う優しい気持ち。


家族を見守り続けた温かな時間。


石刻の時に感じる張り詰めていたクラルの心が少しだけほどけた。


一粒…


涙が落ちる…



世界が変わる。


潮風。


笑い声。


港町。


まだ若かった頃のおばあちゃん。


小さなリリー。


転びながら魔法の練習をする姿。


夜遅くまで本を読む姿。


失敗して泣く姿。


それでも諦めない姿。


たくさんのおばあさんの記憶が、映像になり音になり光になって部屋中に広がる…


「リリー?」


「あなたは昔から頑張り屋さんだったわ」


「何かに真剣になれること」


「逃げずに向き合えること」


「それは本当に素晴らしいことよ」


「私はそんなあなたを誇りに思っています」


リリーが俯く。


クラルから部屋全体へ温もりが広がっていく。


――


「でもねリリー」


「一生懸命になりすぎたら駄目…」



「頑張りすぎるとね」


「視野が狭くなる」


「自分だけが正しいと思う」


「周りの声が聞こえなくなる」


「心配してくれる人たちの声も…」


「そして、自分が疲れていることにも気付けなくなる」


「頑張ることを手放せなくなってしまう」


「一生懸命なのと、正しいことは同じじゃないの」


静かな声だけが部屋に響く。




そしておばあさんの声色が変わった


「今一緒に聞いているかしら?」


「あなた達がリリーのために大切にするものと」


「手放してもいいものを」


「考えてみてもいいのかもしれないね」


父親と母親が顔を伏せた。


その言葉は、確かに二人へ向けられていた。


――


「時々立ち止まりなさい」


「空を見なさい毎日違うんだから」


「海を見なさい悩みなんて忘れてしまうから」


「美味しいものをお腹いっぱい食べなさい」


「だからもう一度言うよ」


「立ち止まりなさい」


「それがいちばんの近道よ」


――


そこで石本の空気が少し変わった。


クラルは思わず微笑む。


懐かしい思い出を見た時のように。


――


「最後に一つ」


「内緒話」


「お父さんとお母さん」


「昔はね」


「この港町で悪いことばかりしていたんだよ」


「えっ」


リリーが思わず声を漏らした。


父親が頭を抱える。


母親も顔を覆った。


――


「結婚も反対されたの」


「だから駆け落ちしたの」


「それはもう大騒ぎだったんだから」


真っ赤になった両親に部屋の空気が少しだけ和らぐ。


――


「でもね」


「二年後」


「赤ん坊のリリーを連れて帰ってきた」


「二人とも本当に幸せそうだった」


「世界中を敵に回してもいいって顔をしていたよ」


「そしてその当時の二人の様子は希望に満ちて、繋いだ手はどんな困難にも離さない意志を感じた」



それを映像で見ていたリリーの目から涙が零れる。


石本のおばあさんは続けた。


――


「あなたのお父さんも」


「あなたのお母さんも」


「あなたのことが大好きだよ」


「大好きだから心配して」


「大好きだから期待して」


「大好きだから見えなくなってしまう事もあるのかも…」


「それだけなんだよ」


誰も言葉を発しない。


――


「私はね、リリー?」


「あなたが思う立派な魔法使いになんてならなくてもいい」


「あなたが思う偉い学者になんてならなくてもいい」


「すでにあなたは私の自慢の孫で素敵な魔法使いよ」


「そして立派な学者さんです」


「あなたはちゃんと優しい子に育ったね」


「おばあちゃんは幸せでした」


「ありがとう」


――


そこで石本は閉じた。


静寂。


誰も動かない。


やがて。


ぽたり。


リリーの涙が石本へ落ちた。


「……おばあちゃん」


震える声だった。


その声を聞きながら、クラルは静かに石本をリリーへ渡した。


「優しいおばあちゃんでしたね」


リリーは何度も頷いた。


その隣では、お父さんとお母さんがリリーを抱きしめていた。


何かきっと思うことがあったんだろう…



石本は役目を終えた…


記憶は届いた。


想いも届いた。


もう、この石本は残らない。


次の瞬間。


石本はさらさらと砂へ変わり始めた。


白い粒子が静かに崩れていく。


どれほど慣れても。


この瞬間だけは好きになれない。


クラルはいつもそう思う。


――


静かな空気の中。


ふいにノアが口を開いた。


「最後の言葉、読みましょうか?」


部屋にいた全員が顔を上げた。


「え?」


「お、お願いします…そうか、灰読師さんでしたね…」

父親が戸惑いながら答える。



「わかりました」

ノアは静かに頷いた。


そしてテーブルに残った砂を両手で集める。


淡い灰色の光がノアの手のひらから漏れた。


「アルバート?、エレノア?」おばあさんの声…


二人の肩が揺れる。


「あなた達がいなくなって、本当に何もなくなったと思った二年間…」


「私は何も手につかなかった…」


誰も動かない。


「でも、リリーを産んで帰ってきてくれた時、」


「昨日までの気持ちが伏せていた自分との落差に驚いたことを覚えています」


「あなた達が幸せなら、笑ってご飯が食べられるなら、それでいいと思ったの」


母親が口元を押さえた。


父親は俯いたままだ。


「ありが…とう………」


そこで言葉は途切れた。


父親が

「母さん!」と言った…


光が消える。


砂はただの砂へ戻っていた。


部屋には静寂だけが残る。


けれど。


その「ありがとう」の続きは、きっと誰もが分かっていた。


ノアは静かに目を開く。


クラルと目が合った。


言葉はない。



父親が黙ってリリーの頭を撫でた。


母親も手を握っている。


リリーは驚いたように目を丸くし。


少し嬉しそうに見えた。


そして差し込む夕陽がこの親子を照らした。


最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!


明日の20時10分…えらい事が起こります…。


『白日の石刻』は毎週 金・土・日 20時10分 に更新しています。


「続きが気になる!」と思っていただけましたら、ぜひブックマークや評価(★★★★★)で応援していただけると、とても励みになります!


皆さまの応援が、この物語を書き続ける大きな力になっています。


次回もどうぞよろしくお願いいたします!

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