創作という旅
今回は、一人の父親が息子へ遺した「最後の創作」の物語です。
『白日の石刻』らしい、静かで温かな一話になりました。
最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。
蒸気機関車が、出発前の長い汽笛を鳴らした。
「わっ!!」
クラルは黒光りする蒸気機関車が大好きだった。
でもーー
「ぷおぉぉぉーー!!」
この大きな汽笛だけは、何度聞いても苦手だった。
白い煙が、春の空へゆっくりと溶けていく。
石畳の小さな駅。
まだ朝靄の残るリトスフェル村で、クラルは大きなカバンを抱えながら欠伸をした。
「……寒いし、ねむい」
「汽車の中で寝過ごすんじゃないよ」
ステラおばあちゃんが呆れたように言う。
「善処するつもりー」
「それ、しないやつの返事だねぇ」
焼きたてのパンが入った紙袋をステラと一緒に見送りに来たノアから渡される。
まだほんのり温かい。
「おばあちゃんのパン」
「ちゃんと食べるんだよ」
「うん!すぐ食べる…足りるかなぁー?」
「何個入れたと思ってるんだい!足りるわ!!」
クラルは笑った。
そしてノアは指先だけが落ち着かないようにクラルに渡した紙袋の端を何度も触っている。
「ノアも行きたいの?」
ノアはいつも通り無表情だった。
「今回は近いから次の石刻の時お手伝いに来てくれる?」
ノアは少し考える
「うん!行く」
「じゃ、そうしようね!」
クラルは一歩近づき、背の高いノアの胸へぎゅっと抱きついた。
「約束だからね」
朝の風が、亜麻色の二つのおさげを揺らす。
遠くには、石の丘と緑の草原。
その向こうを、白い蒸気がゆっくりと伸びていた。
ーー
客車は静かだった。
レールの継ぎ目を踏む、規則正しい車輪の音。
クラルは子供の頃から、その音を頭の中でなぞるのが好きだった。
窓の外を流れていく、色とりどりの春の景色。
クラルは依頼書を開く。
《依頼人名》
ノエル・グレイ
《死亡者》
アーヴィン・グレイ
備考欄には、短くこう書かれていた。
『父の石本を読むべきか迷っています』
この手紙を書いた日付は、一年以上前だった。
クラルは、その文字をしばらく見つめた。
ーー
昼過ぎ。
煤けた煙突の並ぶ街へ、汽車が到着した。
石造りの法律事務所。
そこで待っていたのは、黒髪の若く見える人だった。
「……石刻士の方ですか?」
「はい……いえ、国家書記官ではありませんので……」
クラルは軽く頭を下げる。
「クラリス・エピタフです。クラルでいいです」
青年は少し疲れたように笑った。
「ノエル・グレイです」
まだ三十代半ばほどだろうか。
きっちり整えられた黒髪。
机には法律書が何冊も積まれていた。
部屋の机には、白い石版が置かれていた。
閉じた本のような大きさの滑らかな石。
死者の記憶が、静かに眠っている。
ノエルは、それを見ながら静かに言った。
「父は……数年前に亡くなりました」
その声には、感情がほとんど乗っていなかった。
「酒を飲み、煙草を吸い、ギャンブルをして……女遊びも酷かった」
淡々と続ける。
「母を泣かせてばかりの人でした」
ノエルは一度だけ苦笑した。
「本当に最低な父でした」
クラルは何も言わない。
ただ静かに聞いていた。
「だから私は、弁護士になったんです」
ノエルは小さく笑う。
「父みたいな人間になりたくなかったんです」
沈黙。
窓の外で、雨が降り始めていた。
「……でも」
ノエルは少しだけ目を伏せた。
「父は、不器用な人でもありました」
雨音だけが、静かに響く。
「咲いた花とか、誰かが作った機械とか……そういうものを、本当に嬉しそうに眺める人でした」
「壊れた時計を直したり、知らない老人の荷物を運んだり……何でも首を突っ込むんです」
少しだけ笑う。
「そのせいで家計は酷かったですけど」
クラルは黙って聞いていた。
「でも父は、凡人でも何かを作れるって、本気で信じてた」
「夢みたいな事を、最後まで諦めなかった人なんです」
そして。
ノエルは石版を見た。
「どうしてか…」
その声だけが、少し揺れていた。
「最後に石版を残した」
「そして今の今まで本にできなかったんです…」
「本にする時は人それぞれの時間ですから…」
クラルは聞こえるか聞こえないかほどの小さな声で言った。
ーー
クラルが石版に手を翳す…温かい。
「迷っていると書かれていましたが、石刻を始めてもいいですか?」
「…お願いします」
クラルは石版に視線を落としてそれを抱き上げた。
石刻が始まる。
白い石に、温かなぬくもりを感じる。
クラルの一筋の涙が、石版へ静かに沁み込んだ。
石版が淡く震えた。
白い光が部屋いっぱいへ広がる。
雨音だけが遠くなっていく。
光も。
音も。
匂いも。
感情も。
そのすべてが、ノエルとクラルを包み込んでいく。
「ノエル、君が生まれてきてうれしい」
ノエルの指が止まった。
「君のような子に恵まれて私は幸せだったよ」
クラルは黙って石本を支えていた。
「君らしく生きてほしい」
「美しいものを愛し、人の手によって創られたすべての創作物を大切にできる人になってほしい…」
「あなたの人生が、そんな素敵を探す旅のようになる事を願っています」
ノエルは動かなかった。
でも。
「淋しくなったらなんでもいい。本を読むといい。自分と違う想いは何かしら学べるものだよ」
そこで、ノエルは小さく笑った。
けれどその笑いは、どこか泣きそうだった。
「この人が言うかよ…私が知っていた父とは、まるで別人みたいだ」
クラルは静かに答える…
「人の心って、外からじゃ分からない事も多いです」
ノエルは目を伏せる。
石本の光が、少しずつ弱まっていく。
「最後に」
「私が死んだら、君が子供の頃、私と作った音の鳴らなかったオルゴールを分解してみてください」
ノエルの目が揺れた。
「もう忘れていると思うけれど」
「それとも、もう無いかもしれないね」
「それならそれでいいんだ」
「ノエルに、お別れを言えたんだ。思い残す事はないよ」
その瞬間。
ノエルの表情が止まった。
ーー昔の記憶。
雨の日。
父と二人で、オルゴールを作った。
けれど結局、音は鳴らなかった。
幼いノエルは、その日初めて、人の言葉で傷ついた。
「もう学校に行きたくない」
そう言った自分に、父は工具を回しながら笑った。
「時間と、出来上がった創作物は戻らない」
「でもね」
「人の心は、戻れるんだ」
「いつか、今を懐かしく思える日も来る」
「今、お父さんが作ってるオルゴールを一緒に作ろうか?」
石本が、静かに砂になっていく。
白い粒が、指の隙間から零れ落ちた。
ノエルはしばらく動けなかった。
ーー
夕方。
クラルは、ノエルの家へ招かれていた。
古い棚の上。
埃を被った土台が木製で金属のゼンマイや歯車がむき出しのオルゴール…
埃を払うたび、幼い日の匂いがした。
ノエルは静かに、それを解体した。
ぱきり、と音がした。
中から現れたのは、古びた紙だった。
恐る恐るその紙を開く。
そこには、少し乱れた文字でこう書かれていた。
ーーーーーー
ノエルへ。
父さんは、あまり良い父親じゃなかったね…
でも、お前と見た綺麗なものだけは、本物だった。
春の花も。
本屋のカビ臭い匂いも。
掠れたオルゴールの音も。
全部、お前と共に経験したもの…
人生は、綺麗なものや創作物を探す旅だ。
人が作ったものにはね、必ず、その人が見てきた景色と想いが入ってる。
嬉しかった日も。
苦しかった日も。
誰かを愛した日も。
全部だ。
だから何かしら人は創作物に惹かれる。
だから父さんも創作が好きだった…
つまり、何かを探し求める旅の途中で見つける創作物は、誰かが過去に歩んできた人生そのものなんだよ…
私のように、ダメなものを見てきたお前なら、きっとこの先たくさんの何かを見つけられるよ。
あの時は言えなかったが、弁護士試験合格おめでとう。
ーーーーー
ノエルは、しばらく動かなかった。
その時。
壊れたはずのオルゴールが、何故だか一音だけ綺麗に響いた。
「……え?」
ぽつりと、ノエルが呟く。
「お父さんらしいや…」
その声は、少しだけ子供みたいだった。
クラルは、静かに微笑む。
「石本じゃなかったんですね」
「手書きのお手紙と、思い出の品…」
「お父さんがノエルさんに渡したかったのは、きっとこれだったんですね」
窓の外では、雨が止み始めていた。
ノエルは少しだけ目を細める。
「……石刻師さん」
「お茶でも淹れますね」
クラルは、小さく笑った。
「はい。いただきます」
ノエルは照れくさそうに目を細める。
春の光が、机の上のオルゴールを静かに照らしていた。
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金曜日20時10分にお会いしましょう!
クラルたちの旅を、これからもよろしくお願いいたします。




