第十二話「アカネ」
病院の個室。
静かな夜だった。
窓の外には、夕焼けの名残が残っている。
ベッドの上。
マユが小さな赤ん坊を抱いていた。
眠そうな顔。
でも、どこか安心した表情だった。
その隣で、コウセイが椅子に座っている。
少しぎこちなく、でもずっと赤ん坊を見ていた。
病室には、メイプルもいる。
アルも後から合流した。
メイプルは腕を組みながら、
まだ少し不満そうだった。
『出産の日に連絡つかないとか何考えてんの』
「……ごめん」
『研究は逃げない』
即答だった。
『でも今しかない時間は逃げるの』
コウセイは何も言い返せなかった。
静かな空気。
その時。
赤ん坊が小さく動く。
コウセイが視線を向ける。
「……名前」
マユが顔を上げる。
「ん?」
「名前どうする?」
マユは少し笑った。
「もうずっと前から決めてある」
コウセイが瞬きをする。
「え?」
マユは赤ん坊を見ながら、
静かに言った。
「アカネ」
その名前が、
病室へ静かに落ちる。
コウセイが小さく繰り返す。
「……アカネ」
不思議と、
最初からそこにあったみたいに馴染んだ。
少し間。
それから、コウセイが聞く。
「どうして?」
マユが小さく笑う。
「昔さ」
「地球で、綺麗な森見つけたじゃん」
コウセイが頷く。
楓の森。
「葉っぱがね」
「黄色からオレンジ、赤って色が変わってて」
「すごい綺麗だった」
静かな声だった。
「その時思ったの」
少し間。
「メイプルみたいだなって」
メイプルが少し目を丸くする。
「初めてメイプルの機体見た時も」
マユは続ける。
「光のせいかな」
「オレンジなのに、茜色に見えたんだよね」
マユは赤ん坊を見る。
「私ね」
少しだけ、
声が柔らかくなる。
「何回もメイプルに救われたんだ」
攫われた時。
怖かった時。
泣きそうだった時。
出産の日。
コウセイと連絡が繋がらなくて、
迷わず連絡した相手。
絶対来てくれるって、分かってた。
「だから」
マユが小さく笑う。
「茜色のアカネ」
静かな沈黙。
メイプルが、そっと顔を背ける。
『……ずるいなぁ』
小さな声だった。
アルは静かにその光景を見ていた。
数日後。
研究区画。
コウセイの机には、大量のデータが積まれていた。
コウセイが端末へ向かおうとした瞬間。
『座るな』
アルだった。
「え?」
『しばらく引き継ぐ』
静かな声。
「でも――」
『維持は可能だ』
即答だった。
アルは、既存研究データを開く。
一切変更しない。
ただ維持する。
コウセイが積み上げてきたものを、
そのまま未来へ繋ぐために。
『家族を優先しろ』
コウセイが少し黙る。
それから、小さく頷いた。
数週間後。
コウセイが研究区画へ戻る。
机は綺麗だった。
研究も維持されている。
進みすぎてもいない。
止まってもいない。
まるで、
“待っていた”みたいに。
そして机の端。
小さなメモが置かれていた。
短い走り書き。
「……なんだこれ」
その時。
格納庫から通信が入る。
『そろそろ帰るねー!』
メイプルだった。
宇宙港。
青い機体。
オレンジの機体。
二機が並んでいる。
『次来る時にはもっと青くなってるかな』
メイプルが笑う。
コウセイは頷く。
「うん」
アルは静かにコウセイを見る。
『あやとり、やったことあるか?』
短い言葉。
意味がわからない。
それだけ残して、
二機は浮かび上がる。
青とオレンジの光。
それが宇宙へ消えていく。
静かになった格納庫。
コウセイは研究室へ戻る。
そしてもう一度、あのメモを見る。
「あやとり……アルらしくないな」
数秒。
その後。
コウセイの目が見開かれた。
「……そっか」
小さく呟く。
長い沈黙。
それから。
再計算。
簡易シミュレート
コウセイは、少しだけ笑った。
“間に合うかもしれない”
希望が見えた。




