コウイチ編 第二話「帰還」
警報音が鳴っていた。
低く。
長く。
止まらない。
《アサギリ》の操縦席。
赤い警告表示が暗い船内を照らしている。
コウイチは端末を見つめていた。
地球圏緊急通信。
断続的。
ノイズ混じり。
『――戦闘行為を確認』
『現在、地球圏各地で――』
『民間船は直ちに――』
音声が乱れる。
別の通信が割り込む。
『宇宙軍艦隊を確認!』
『避難を――』
途切れる。
静かな宇宙だった。
なのに、
遠い場所だけが壊れている。
コウイチは何も言わない。
操縦桿を握る指だけが、
少し強くなる。
地球まで、まだ遠い。
帰れない。
それが一番苦しかった。
数日後。
《アサギリ》は最短航路へ入っていた。
燃料消費警告。
船体負荷上昇。
それでも減速しない。
コウイチは何度も通信端末を開いた。
未接続。
また開く。
未接続。
カエデへ送った通信は、
まだ届いていない。
あるいは。
コウイチはそこで考えるのを止めた。
操縦席の横。
小さな箱。
中には、
青緑色の石が入っている。
あの星で拾ったものだった。
コウイチはしばらくそれを見つめ、
静かに箱を閉じる。
船内は静かだった。
エンジン音だけが響いている。
地球圏へ到着した時。
最初に見えたのは、
壊れた人工衛星だった。
次に、
焼け焦げた残骸。
軌道上に、
無数のデブリが漂っている。
見慣れたはずの地球。
でも違った。
青い星の周囲を、
戦争の傷跡が覆っている。
コウイチは小さく息を吐く。
地上では、
空港は避難所になっていた。
疲れた顔。
泣き声。
怒号。
知らない匂い。
コウイチは人混みを歩く。
足が止まらない。
走りたい。
でも、
走った先にある答えが怖かった。
通信記録。
避難区域。
生存者リスト。
何度も確認する。
そのたび、
胸の奥が冷えていく。
コウの名前が、
どこにもない。
カエデの名前だけが、
生存者欄にあった。
部屋の前で、
コウイチはしばらく立ち止まっていた。
扉の向こう。
気配がある。
でも、
どう入ればいいのか分からない。
何を言えばいいのか、
分からない。
指が止まる。
数秒。
ゆっくり扉を開けた。
薄暗い部屋。
カエデがいた。
窓際。
座ったまま、
何も見ていない。
コウイチを見ても、
すぐ反応しない。
数秒遅れて、
視線だけが動く。
「……おかえり」
小さな声。
コウイチは答えられなかった。
ただ、
そこへ立っている。
部屋の中。
小さな玩具。
描きかけの絵。
床へ転がったままの積み木。
壁に貼られた、
歪な星の絵。
小さな靴も、
そのまま置かれていた。
まるで、
少し出かけているだけみたいに。
コウイチの呼吸が浅くなる。
何も片付いていない。
片付けられなかった。
それだけで、
痛いほど伝わってしまう。
コウイチは隣にゆっくり座る。
少し距離がある。
何か言わなきゃいけない。
でも、
言葉が見つからない。
慰めも。
励ましも。
何一つ。
カエデが小さく言う。
「……最後まで、パパ待ってたよ」
コウイチの呼吸が止まる。
「ずっと」
「帰ってくるって言ってた」
静かな声だった。
責めていない。
だから余計苦しかった。
コウイチは俯く。
拳が震える。
でも、
泣けなかった。
泣くより先に、
胸の奥が空っぽだった。
それからの日々。
カエデは笑わなくなった。
食事は減った。
眠る時間も減った。
でも、
壊れないように生きていた。
コウイチは、
その姿をずっと見ていた。
朝。
静かな部屋。
コウのコップが、
まだ棚に置かれている。
小さな服も、
そのまま。
カエデは窓を見ていた。
コウイチは少し離れた場所から、
その背中を見る。
今、また遠くへ出たら。
もし、また何か起きたら。
今度こそ、
本当に一人にしてしまう。
長い沈黙。
コウイチは静かに視線を落とした。
数日後。
宇宙航行局。
退職届を提出した。
コウイチは無言で端末へ入力していた。
長距離航行士資格返納。
確認。
送信。
画面が静かに消える。
受付職員が驚いた顔をする。
「……本当に辞めるんですか?」
コウイチは少し黙る。
窓の向こう。
発着場。
宇宙へ向かう大型船。
遠くへ行く船。
昔なら、
胸が少し高鳴っていた。
でも今は違う。
コウイチは静かに言った。
「帰れる場所にいたいんで」
受付職員は何も言えなかった。
帰り道。
軍募集広告が、
街の大型モニターへ流れている。
地球軍。
新規入隊受付。
戦争はまだ終わっていない。
コウイチは立ち止まる。
空を見る。
あの日、
帰れなかった空。
コウを失ってからはじめて見る空。
そして。
部屋で、
一人になってしまったカエデを思い出す。
長い沈黙。
コウイチは静かに端末を開いた。
地球軍入隊申請。
入力。
確認。
送信。
小さく、
受付完了の音が鳴った。
もうこんな思いはさせたくない。
コウイチは目を閉じる。
それから、静かな夜道を歩き始めた。




