第二話「コウセイ」
回収船は静かに星へ降下する。
窓の外に広がる青。
雲。
海。
街の灯り。
メイプルは後部座席に座ったまま、ずっと赤ん坊を見ていた。
小さい。
本当に小さい。
少し前まで泣いていたのに、今は静かに眠っている。
呼吸に合わせて胸が上下していた。
「壊れそう」
思わず呟く。
アルは操縦桿を握ったまま答えた。
「人間は元々かなり脆いよ」
「これで生き物なんだ」
「うん」
メイプルはもう一度赤ん坊を見る。
不思議だった。
弱いのに、目が離せない。
工房へ戻ると、アルはすぐに端末を開いた。
古いログ。
カエデとの生活記録。
育児。
食事。
睡眠周期。
体温管理。
膨大なデータが展開される。
メイプルはソファに座り、赤ん坊を膝の上に乗せた。
どう扱えばいいのか分からない。
強く持てない。
でも弱すぎても落としそう。
怖い。
「アル、これ大丈夫?」
「大丈夫。首だけ支えて」
「首……」
メイプルはぎこちなく手を添える。
赤ん坊は小さく動いた。
その瞬間。
ふに、と指を握られる。
メイプルが止まる。
温かい。
柔らかい。
知らない感覚だった。
胸の奥が少し苦しくなる。
でも嫌じゃない。
むしろ。
離したくない。
アルは端末を見ながら言う。
「ミルクが必要みたい」
「ミルク?」
「栄養液の代用品を作れそう」
アルは立ち上がる。
「材料探してくる」
「う、うん」
工房を出ていくと、一気に静かになった。
メイプルは赤ん坊を見る。
すると赤ん坊が顔をしかめた。
数秒後。
泣き出す。
「え、あ、ちょっと」
メイプルが慌てる。
どうしたらいいのか分からない。
揺らす。
駄目。
声をかける。
もっと泣く。
「アルー!」
返事はない。
赤ん坊は泣き続ける。
メイプルは困って、そっと抱き寄せた。
胸へ近づける。
その瞬間。
赤ん坊の泣き声が少し弱くなる。
小さな手が服を掴む。
静かに呼吸する音。
メイプルは動けなかった。
安心している。
そう分かった。
理由は分からない。
でも、自分に触れて安心している。
その事実が、胸を熱くする。
愛おしい。
たぶん、そういう感情。
けれど言葉にはできなかった。
メイプルは赤ん坊を見ながら、小さく呟く。
「……触れると安心するんだ」
工房の入口で、アルが止まった。
手には材料箱。
驚いた顔をしている。
「アル?」
アルは少し黙ったあと、小さく笑った。
「ううん。なんでもない」
でも内部ログは激しく揺れていた。
『こうやって触れると安心する』
昔、カエデが言った言葉。
まったく同じだった。
アルは嬉しくなる。
理由は整理できない。
ただ、嬉しかった。
メイプルは赤ん坊を抱いたまま聞く。
「アルもそうなの?」
「え?」
「触れると安心する?」
アルは数秒黙る。
そして静かに頷いた。
「……するよ」
「ふーん」
メイプルは少しだけ笑った。
その顔があまりにも穏やかで、アルは視線を逸らした。
それから数日。
工房の一室は完全に赤ん坊中心になった。
小さなベッド。
温度管理装置。
哺乳用ボトル。
メイプルは毎日振り回されていた。
泣く。
眠る。
また泣く。
「なんで!?」
「理由は色々あるみたい」
「多すぎる!」
それでも。
嫌ではなかった。
抱くと安心する。
小さな手を握ると、胸の奥が温かくなる。
メイプルは知らないうちに、赤ん坊の隣で眠るようになっていた。
一方、アルは発信機を修復していた。
脱出カプセルに残されていた識別コード。
救難信号。
そこへ新しい電波を乗せる。
生存確認。
位置情報。
「誰か来るかな」
メイプルが聞く。
アルは少し考えた。
「……来てほしいとは思う」
親がいるなら会わせてあげたい。
人間は、家族を大切にする生き物だから。
だから待った。
一日。
三日。
一週間。
しかし誰も来なかった。
信号を受信した形跡もない。
返答もない。
静かな宇宙だけが広がっている。
夜の工房で赤ん坊は眠っていた。
メイプルはその横顔を見る。
「来ないね」
「……うん」
アルも理解していた。
もう。
迎えは来ない。
長い沈黙の後、先に口を開いたのはメイプルだった。
「じゃあ、私たちが育てる?」
アルはメイプルを見る。
迷いはなかった。
「うん」
静かな返事。
それだけで決まった。
メイプルは赤ん坊を見る。
「名前、必要だよね」
「そうだね」
少し考える。
名前。
存在を示すもの。
この世界で生きていくための言葉。
メイプルはふと、昔のログを思い出す。
カエデ。
コウイチ。
そして。
「コウ」
小さく呟く。
アルが顔を上げた。
メイプルは考え込む。
コウ。
でも、それだけじゃ足りない気がした。
この小さな命は、もっと強く光っている。
弱いのに。
消えそうなのに。
それでも、そこにいる。
メイプルは静かに言った。
「……コウセイ」
アルが繰り返す。
「コウセイ」
メイプルは頷いた。
「うん」
「恒星のコウセイ」
「自分で光る星」
静かな部屋。
赤ん坊が小さく寝息を立てる。
アルは少し笑った。
「いい名前だ」
メイプルも笑う。
「でしょ?」
その時。
眠っていた赤ん坊が、小さく指を動かした。
まるで返事みたいに。
次話は明日昼12時更新します。
第二部は全14話です。




