【セクション8】投影
どうでもいい事に対して、人はどうでもいいとは思わずに。どうでも良くない事に対して人はどうでもいいように振る舞う。矛盾していると思いがちなのも全てそう錯覚しているだけに過ぎないのかもしれない。
「ごちそうさま。やっぱりアナタの作った料理はちょっとしたものねぇ、他のアルバイトの子に作らせてもここまで美味しいものはなかなか揃わないわよぉ」
中華料理に洋食料理、和食料理の品々を平らげた伊多乃は、満足そうにいって口元をティッシュで拭う。透明感の強いルージュが剥がれ落ちて白い布地に付着した。
「やっぱり、おれがここを辞めてから他のバイトを雇っているみたいですね」
「ふふっ、妬いているの?」
「いいえ」
即答する。
「風呂場や脱衣所、台所もそうでしたけどきちんと掃除・管理が行き届いていたので」
「アナタと同じくらいの頻度でここに来てもらっているの、ちなみに男の子」
「‥‥‥最後の情報に関しては何のアピールなのかわかりませんが、合点がいきました」
「合点‥‥‥? なんのかしらぁ?」
「そこら辺の男を誘惑して安い賃金で働かせるってことです」
「あら、失礼な物言いねぇ。だけど仮に、今いったことがその通りだとしたら、アナタもそのワタシの魅力に誘惑された内のひとりに数えられないかしら、ねぇ?」
「それは‥‥‥」
そこまでいって、あとの言葉を飲み込む出雲。きれいに完食された皿を片す作業に意識を戻した。その様子を見ていた伊多乃は何もいわずに、立ち上がり居間を出ていく。
出雲が皿を洗い終わって片付けを済ませると、遅れて伊多乃も姿を現す。
「雨、やまないわねぇ。今日、仕事あるでしょう? 」
「ええ、でも遅番なので大丈夫ですよ」
時計を見ると午前10時を回っていた。
「それに所詮は週2日の契約社員なので、いつ切られても困りませんから」
出雲は飲食店のアルバイトを勤める傍ら、IT関連会社の契約社員としても働いていた。
「それよりも、手に持っているソレは何ですか?」
伊多乃が手に持っている円盤型の物体。興味を惹かれて質問をする。
「ホロスコープよ、聞いたことないかしらぁ?」
馴染みのない単語だったが、たしかに何かしら聞き覚えのある音質だった。
「簡単に説明すると命占‥‥‥つまり、占いを成立させるための一要素を担う補助器具といったところかしらぁ」
伊多乃がテーブルを挟んで目の前に座る。
「ひょっとして、今からおれに試そうとしていますか?」
「ええ、そうよぉ」
「結構です」
「遠慮なんてしないで」
「遠慮じゃないです。単純に、こういった心象を逆手に取ったような診断系統全般が苦手というだけです」
「非科学的な事象を毛嫌いしているのねぇ」
「曖昧で見えないものに縋るより、現実を直視して立ち回る方がよほど建設的でしょう?」
「ずいぶんと淋しいことをいうのねぇ、運命や奇跡って言葉は嫌い?」
「好ましく思えません」
「そう」
一言だけのようで残像のように妙に耳に残る返答。
憂いを帯びた表情の彼女。
これまで時間を共有してきた中で、初めて見せるその表情に時間が止まったような錯覚を覚える。
「ワタシに少し付き合うと思って受けていきなさい、せっかく蔵から出してきたのだから。それにバイトでもないのに手の込んだ料理を振る舞ってくれたお礼も兼ねて」
なぜか有無を言わせぬ迫力に押されて、断りきれずに出雲は承諾した。
そして伊多乃は前置きなしに話を始める。
「占いは一般的な広義の視点からっていうと、タロットカードや手相などが主流かしらねぇ。その中を類別して3つのカテゴリが存在するわけだけど、いま行うのはホロスコープを用いた『命占』というもの。そして『命占』の中でも長期的な運勢や宿命を占うのに適しているのが西洋占星術なのだけどぉ」
「西洋占星術というのは何らかの形で天体を利用するもの、と記憶していますが」
辛うじて記憶の奥底に引っかかる単語を拾う。
「なかなか博識ねぇ、こういってはあれだけれど占いなんていうのは神秘的なものに惹かれやすい女性が主流だからねぇ。どうしても男性としては偏見的に見えてしまうのも仕方のないことなのかもしれないわねぇ」
「皮肉ですか? まあ女性はスピリチュアルやプレシャスな物事に対して傾倒する傾向が強い、というのは賛同しますが」
「個人がどう考えようと自由よぉ、他人が干渉しようとするのは自己満足でしかないのだから」
「客観的な視点から、あくまでも男性側と女性側の考え方の違いを述べているに過ぎないので、自己満足のために一般論を振りかざしているつもりはありませんよ」
「希望や憧れを持つことはそんなにいけないことなのかしらねぇ?」
なぜか自問自答しているようにも聞こえる問い。
「さあ、どうでしょう? 生きるための原動力にはなるでしょうが、少なくともおれ個人としてはそこまで身近に感じたことは‥‥‥ないですね」
「そう。けれど———」
そう何かをいいかけた伊多乃は、どこか哀しそうに笑って首を振った。
咳払いを一つする。
「話を戻すわねぇ。ホロスコープには重要視する3つの位置・配置関係があって、さっきアナタのいったように一つ目は『天体』、それから『星座』と『ハウス』があるの」
出雲は聞き慣れない単語に首を捻った。
「『ハウス』はこのホロースコープを12個の小部屋に分けたもので、その人の出生時間と太陽との位置関係を基軸として、どのハウスに属するのかを決定するのよぉ」
目の前に置かれたホロスコープには、第1ハウスを基準として反時計回りになっている。
複雑に描かれた模様は、ペンタクルのような記号にも見えた。
おれの生誕時間をもとにして、細く長い指が円盤に干渉していく。
それが適切なのか、適切ではないのか出雲には定かではない。
だが、そんな事はどうでもよかった。それ以上に、なにか引き込まれるような違和感のようなものを感じてホロスコープをじっと見つめる。そうすることで、ありもしないその正体を掴めるのかと思ったのかもしれない。
しばらくして、位置を定めたかのようにその長細い指が動きを止める。
「第12‥‥‥‥‥‥冥王星の象徴‥‥‥‥‥‥陰の宮に太陽‥‥‥‥‥‥障害や隠れた場所、見えない世界と抑制‥‥‥。破壊と再生、変化そして発展‥‥‥。無意識化にある葛藤と矛盾‥‥‥」
そして大きく息をつく。
「‥‥‥近い将来、何か大きな『障害』を目の前にするでしょう。そして決断を迫られる。ただそう悪いことばかりではなく、しかしそれは目に見えない小さなものかもしれない。けれど大切にしてほしい。アナタ自身を突き動かす指針となり得る可能性を持っているのだから」
「‥‥‥‥‥‥」
そう告げられて、捉え所のないその言葉を頭の中で反芻していた。




