【セクション10】自殺事件
刑事同士のやり取りはまだ描きやすい。。。次は一人称視点の刑事ものでも書いてみようかな。
首都高8号新宿線を中野方面へ抜けた所に、発生した事件現場はあった。
沢城が到着したのは、匿名の通報を受けてから約3時間後のことである。公用車の中、運転席には神経質そうな仏頂面の25歳前後の男がいた。
フロントガラスに張り付いた小さな雨粒を低速のワイパーが拭き取る。
「沢城警視正、現場はこの近くです」
車を徐行運転させながら、カーナビと視線を行き来させる間戸場。
カーナビを確認するまでもなく、前方右手の視界には人集りができているため確認する必要もない。
「あれだろうな。運転ご苦労さま、間戸場警部」
車を通行の邪魔にならないように、近くの広い路肩スペースに乗りつけてからマスコミや野次馬の中を小走りにうねるように進む。
情報リテラシーが発展した昨今、マスコミが嗅ぎつけるのも一〇年前に比べて格段に速くなっている。
立ち入り禁止のテープが張り巡らされた、人垣の先頭へと這い出す。その間を門番のように目を光らせている人相の悪い警官に、警察手帳を提示する。
「はっ! お疲れ様です、どうぞ中へお入りください」
畏まった様子の門番を尻目に、沢城と間戸場は黄色いテープを潜る。
現場となったアパートの一室には、幾人もの目付きの鋭い刑事が入り浸って、現場検証ほか検証を行っていた。
殺伐とした空気が重くのしかかる。
遺体はすでに搬送されており、鑑識の姿もない。上々の手際だといっていいかも知れないが、仮に首吊り自殺という事案の観点からすればそうでもないだろう。
「都内近辺にて似たような事案が、今月でもう5件目ですか」
数人の刑事が視線を向ける。
間戸場が紺色の手帳を開きながら、ベテラン刑事のような素振りで続けた。
「6月3日、豊島区にて首吊り自殺。同8日、港区にて浴槽で出血多量による自殺。同15日、文京区にて煉炭自殺。同18日、杉並区にて過度の薬物摂取による中毒自殺。そして今回の首吊り自殺。明らかにどれも事件性のある事象ですね。特別捜査本部が設置されるのも、これでは時間の問題でしょうね」
「軽率な発言はやめておけ、口は災いの元だ」
「ですが署内のみならず警察組織、それも末端の交番勤務にまでこれらの話が拡散されているのですよ。今更でしょう」
「だからこそ早期解決のため、警視正である私に白羽の矢が立ったということだろう。我々が現場を乱すような真似をしてどうする?」
「あの、あなた方は?」
現場責任者と思しき中年の刑事が恐縮した様子で訊ねる。
沢城は名刺を渡しながら簡潔に挨拶をした。
「私は警視庁本部部長代理の沢城明彦だ。そしてこっちが部下の間戸場一樹警部。私たちは、本部意向の要請にて本件とは少々異なる形での調査を命令されている。申し訳ないが、一方的な調査の協力を頼みたい」
「はあ‥‥‥」
戸惑った様子の中年刑事。
それでも名刺と話の内容を理解して、どうやら素性に関する話は信じてはもらえたようだった。
「時間も惜しい。今回の自殺した人間の身元や回収した遺体から検出された各情報、あなた方が掴んでいる全ての情報を開示していただけるように取り図ってもらいたい」
「そ、それはあまりにも横暴な話ではないですか? こちらにも事情や面子といったものもありますし‥‥‥」
判断する立場にある責任者の中年刑事は、困ったような、迷ったような様相で受け答えする。
これは少し時間がかかりそうだな、と沢城が独りごちていると間戸場が予想外な内容を口にする。
「賢明な判断をお願いしますよ、葛西警部。こんなことで今まで地道に積み上げてきたキャリアに要らぬ傷はつけたくないでしょう? 降格や減給で奥さんや中学生のご子息を悲しませたくはないでしょうに」
間戸場の脅しとも取れるような詰問に、息を呑む葛西警部。
逡巡するような表情を一瞬だけ見せて、現場の人員に対して集合するように指示を出す。
「さすがに強引すぎじゃないか?」
「そうですか? 自分はむしろ警視正であらせられる沢城さんのやり方が緩い、もとい優しいように感じられましたが」
「軋轢は出来るだけ回避したいからさ。現場の混乱やトラブルこそ時間の無駄だからね。ロスを省けるだろう? どのみちある程度の手間はかかるだろうが、最終的には穏便にあの葛西っていう警部はすべての情報を開示したよ」
「自分のやり方には不服があると?」
「いや、そういう訳ではない。結果的に時間のロスをいくらか縮める事ができそうだ。それにしてもよくあの葛西って刑事の情報を把握していたね」
「あぁ、まあ一応同じ階級ですしね。今後何かの役に立つ可能性もありましたし。といってもあの様子だと、事なかれ主義でどっち付かずの人材だと判断できますが」
集めた刑事たちの顔色を窺いながら懸命に説得を試みる葛西を一瞥する間戸場。
「それに後3、4年もすれば自分は警視の階級に昇格するので。そして二〇年後には警視総監の椅子に収まる予定ですから」
「さすがキャリア入社の若手注目株はいうことが違うな」
「‥‥‥‥‥‥」
間戸場は沢城に対してわざと挑発するような言い方をするも、沢城はまったく相手にせずにいなすように受け流した。
沢城明彦。間戸場と同じ東大卒のキャリア採用の先輩。
前職は弁護士で、採用当時の同期たちを置き去りにして出世街道を独走している状態の、署内でも異端児として扱われている存在である。頭の回転が速く、抜け目のない性格をしていて、現警視総監や上層部の幹部連中にも一目置かれているとの噂もある。
こうして本庁から直々に、今回のような極めて特殊なケースの連続自殺についての調査に抜擢されている所から見ても期待されているという裏付けもできる。
間戸場は沢城に対して妙なライバル意識を持っていた。
それは以前、採用同期から聞かされた話に起因する。
来月から、本庁でも有名な沢城警視正の部下になるという話を皮切りに、その採用同期から聞かされた何でもない話の一つだった。
「沢城警視正って東大にストレートで合格しましたか?」
「ん? あぁ、そうだったなぁ」
「そう、ですか」
「それよりも昼飯何にする?」
「‥‥‥日替わりで」
配属初日。どうしてもこの事実確認だけは済ませたかった間戸場。
だが、心底なんでもないようにそう答えられた。浪人生の苦しみを全く知らない者の顔だった。
劣等感に針をチクリと突き刺せられたようであった。
それ以降、妙に突っ掛かるようになったのを今でも覚えている。
「おい、間戸場警部。携帯が鳴っているぞ」
「えっあ、はい」
着信音を頼りに胸ポケットを弄りながら公用ではなく、個人用のスマホ端末を取り出す。
「公用ならまだしも個人用の方は、現場に入る前にマナーモードにしておけよ」
神経質の間戸場らしくない小さなミスに対して、あまり口煩くいっても意味がない。ヒューマンエラーは日常茶飯事で起きている。だからこそ、少し気になった。
「すみません、お待たせしました」
葛西がほか2名の刑事を連れて戻ってくる。
「巡査部長、おふたりに説明を」
連れられた内の、メタルフレームのメガネをかけた刑事が答える。
「遺体で発見されたのは、精肉加工会社を営む中小企業の社長で名前は夢原一郎、58歳です。当時、この部屋のベランダに設置されている窓ガラスには鍵が掛かっていなかったと大家と突入した警官が証言しています。遺書などは今のところ発見されていません。それからこの夢原という男は、昨晩からの足取りが今のところ不明。遺体で発見されるまでの約19時間、何があったのか只今捜索中です。またアパートのエントランスに設置されている防犯カメラには、ここ24時間の映像が一切録画されていなかった模様です。業者に問い合わせた所、機材の何らかの不具合もしくはトラブルが原因とのことで、現在調査・解析中との回答を受けました」
「遺書もなし、か。中々にきな臭いな」
沢城は部屋を出てベランダから地上4階の景色を眺める。奥まった景色でもなく、合わせて周囲には建物が密集しているためお世辞にも眺めがいいとは到底思えない。
「ここ数時間で、この近辺に不審な人影や怪しい動きがあったとの報告は?」
「聞き込みはいま現在も行っていますが、それらしい情報はまだありません」
「ベランダから侵入した何者かの形跡は?」
「特にありませんでした」
「まあ、そうだろうな」
「‥‥‥?」
何かに納得するような素振りを見せる沢城に、現場を指揮する立場の3人の刑事は首を捻る。
「この部屋の賃貸契約者は、遺体で発見された夢原一郎ですか?」
「は?」
間戸場の予期せぬ質問に対して、葛西が声を上げる。
「だからこの物件の賃貸契約者の名義ですよ」
「あ、あの‥‥‥おいっ、どうなんだ?」
「えっ? あ、あの少し待ってください」
メタルフレームのメガネをかけた刑事が、慌てた様子でバインダーに挟まれた資料を次々捲る。その間にもう一人の短髪の刑事が後ろへ下がる。
「まだ見つかりませんか? 早くしてくださいよ」
「も、もう少しお待ちを‥‥‥」
威圧的な苛立つ態度を見せる間戸場と、懸命に該当箇所を探す刑事。
そんなに急かさなくてもいいだろうに、とは心の中だけに留めておく沢城。
現代社会において癌として扱われつつあるパワハラなどのハラスメント行為は、その実、署員の練度や職員の質が低下する事を副次的に防いでいる面もある。だが同調社会はそれをよしとはしないのが現代の常識だ。
勿論、ハラスメント行為によって被害を受けている人間に対しては同情や憐れみといった感情が生まれないかといわれればそうではないと言い切れるだろう。
難しいところではあるが、ここは口出ししない方が良いと判断した。
しばらくして短髪の刑事が戻ってきて報告する。物静かな硬い声をしていた。
「この部屋の賃貸契約者の名前は、出雲亮平。24歳のフリーター。飲食店のアルバイトと、IT関連の派遣契約社員を掛け持ちでやっています。大家からの情報では、対して話をしたこともなく会釈だけするような付き合いだった、と。ご近所付き合いやトラブルもなく、淡白な人柄のように思えます」
「出雲亮平、か。この男とは連絡はついているのか?」
「いえ、今のところ連絡は取れていません。携帯の電源が切れているようで」
沢城は目を細める。
「出雲亮平のアルバイト先の飲食店と、IT関連の派遣先の会社は分かるか?」
「それについては、後ほど追って連絡します」
「よろしく頼むよ。この名刺に書かれてある番号に連絡をもらえるとありがたい」
「了解しました。それから追加情報もあります」
「ほお、どのような情報ですか?」
言葉尻に食い付いた間戸場が、凄みをきかせて短髪を注視する。
「昨晩、夢原一郎氏は誰かと会う約束をしていたようです。つい先ほど、同社社員からの聞き取り調査で判明しました」
「その誰かとは?」
「実体までは掴めていませんが、取引先相手もしくは不倫相手かと」
「不倫相手?」
「夢原一郎氏には妻と子供2人の家族がいますが、女性関係はだらしなく複数の女性と肉体関係を持っていた、と複数の同社社員から証言を得ています。昨晩から遺体発見までに、捜索願が出なかったところを考慮すると夢原氏の家族は、その事については知っていたものかと」
沢城は、なんともやり切れない気持ちを押しとどめる。
「冷え切った家族愛、か。他所の女のところへ行っているものと思っていたのだろう。家族には夢原が亡くなられた事は伝えたのか?」
「それはほかの管轄の担当刑事が伺っているものだと思われます」
「そうか」
培ってきた勘が囁く。やはりこれもただの自殺ではない、と。
「出雲亮平のアルバイト先の飲食店と、IT関連の派遣先への事情聴取は私たちに任せてくれないか? 勿論、聴取した内容については共有することを条件に」
「沢城警視正、いいんですか?」
「これくらいは構わないよ、間戸場警部。許容の範囲内だ。それにそうでもしないとこちらの刑事たちも収まりがつかないでしょ」
いいながら顎を使って指し示す先には、浅く血の気の多い刑事たちの疎むような視線があった。
「兎も角、まずは情報の収集が先決だ。まずは、この近辺一帯に設置されている防犯カメラに何か有力な情報に繋がる映像がないか当たってみるのが本筋だろう。それから夢原一郎が昨夜から未明にかけて接触した人物の洗い出しと、人間関係・身辺調査、ここ最近の出来事など。これらの調査をあなた方にはよろしくお願いするよ。もし仮に事件性に繋がるような情報があっても私の判断なしで、たとえ警察内部関係者であっても口外はしないように徹底させろ、これは警視正である私からの『命令』だ。従わなければ当然、処分・厳罰もあり得る」
手早く指示を出しているのとは対照的に、その言葉の重みに周囲の空気が2度、3度下がる。
葛西が、喉から出かかった言葉を飲み込みながら、やや緊張した面持ちで肯定の返事をした。
風の噂程度、大して事情を知らない者からすれば、こういった特殊な形態での捜査に疑問が残るのも当然だろう。
だが一切の質問を許さない姿勢を見せた沢城に、従うしか選択肢はないと思わせるには十分な効果を発揮した。
「私たちは一度、用事があるので本庁へ戻る。出雲亮平の勤めていた飲食店と、派遣先の会社が分かり次第、連絡を寄越してくれ。それでは後の処理はよろしく頼む」
その場を後にする沢城の背を、間戸場は黙ってついていく。
外は、本格的な土砂降りへと変貌していた。
雨に濡れながらも、急いで路肩に停めてある公用車へと乗り込む2人。
運転席に入ってエンジンをかけた間戸場は、ハンカチでスーツに付着した水滴を払いながら問いかける。
「痴情のもつれって線も可能性としてはあるように感じませんか?」
「これまでに起こった連続不審死事件には該当しないと考えている、ということか?」
一連の連続して起こっている自殺について、沢城の頭の中ではずいぶんと前から連続不審死事件へと切り替わっていた。
「いえ全面的に否定しているのではなくて、そもそも単純に偶発的に同じような事象が重なっただけではないかとも考えているわけですよ」
一度、言葉を切って再度語りかける間戸場。
「一家が、夢原一郎の持つ資産を狙って計画的犯行を実行した。自殺であれば保険金は降りないにしても、中小企業の社長であれば遺産相続はかなりの額が手元に入ってくるはずです。それに夢原一郎は家族を裏切って複数の不倫相手とよろしくやっていたわけですし、動機は十分にあります。そして警視正のいう連続不審死事件というのは実際の所、こういった私怨もしくは事故が不運にも重なっているだけではないのかと」
「つまりは連鎖的な偶然が重なって、一連の自殺という形に帰結しているということか? 遺書も見つかっていないのに?」
薄笑いを浮かべる沢城に、間戸場は首を振った。
「たしかに遺書などは発見されてはいませんが、珍しくもないでしょう? むしろ警視正の方が、なにかこだわりというか意固地になっていませんか? それともこれまでに起こった警視正が言う所の“連続不審死事件 ”について、その連続不審死事件と位置付けるような何かしらの明確な証拠でも掴んでいるのですか?」
車体に叩きつけるような大粒の雨音が、静寂と共に車内に広がる。
沢城は一度、遠くの物を見つめてから再び焦点を戻した。
「直感だよ、私の」
その返答。
間戸場は一瞬虚をつかれたように呆気に取られる。
「もしかして刑事の直感とかいう、論理性や整合性を持ち合わせていない非合理的解釈といったやつですか?」
「直感をバカにしてはいけないよ。特に私の場合は、ね」
「どういう意味ですか?」
「物事を対極に見ること、物事を客観視できることで論理的な思考を超えた直感が働く。ただまあ、中には刑事ドラマの見過ぎかなにかで刑事を長年やっていれば第6感的な何かが働くと思っている勘違いした者もいるがね」
「自分には、その勘違いした人が今目の前にいるというわけですが」
「うまい返しをするじゃないか、さすがは若手注目株だ。さあお喋りはここまでにして一度、本庁へ戻ろう」
促されて間戸場は釈然としない面持ちでアクセルを踏みこんだ。




