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イーシスの胚  作者: ozoo39
17/19

第十六章 亀裂から現れた光


 すべてを失った。


 故郷も。

 私が守ろうとしたものも。

 残ったのは、冷たい大地と、消えない記憶だけだった。


 北は静かだ。


 風は鳴る。けれど、何も語らない。

 雪は積もる。けれど、何も埋めてはくれない。


 私は、その大地に閉じこもっていた。


 逃げていたのではない。

 隠れていたのでもない。


 壊れていたのだ。


 何を思い出しても、最後には同じ場所へ戻る。


 燃える故郷。

 失われた名。

 届かなかった手。

 そして、私が選んだはずの道の果てに残った、空っぽの静けさ。


 私は、人類と魔族の平和を望んだ。

 憎しみの連鎖を終わらせたかった。


 それでも、すべてはこぼれ落ちた。


 私は、何を間違えたのだろう。


 何を捨てれば、守れたのだろう。

 何を憎めば、救えたのだろう。

 何を許せば、失わずに済んだのだろう。


 答えは返らない。


 ただ、雪だけが降っていた。


 そんなある日、胸の奥に違和感が生まれた。


 風の音ではない。

 雪の軋みでもない。

 私の中に、別の鼓動が混ざっていた。


 懐かしい。

 けれど、触れてはならないもののように冷たい。


 それは、遠い昔に置いてきたはずのものだった。

 忘れたくても忘れられず、思い出そうとすると形を失うもの。

 私の奥で、ずっと沈んでいたもの。


 気がつけば、私はそこにいた。


 幼い私がいた。


 小さな身体。

 銀の髪。

 まだ何も知らない目。


 その子は、私を見ていなかった。

 私の存在に気づいていない。

 声をかけようとしても、声は出なかった。

 手を伸ばそうとしても、指先ひとつ動かせなかった。


 私はすぐに理解した。


 ここは過去ではない。

 記憶でもない。


 幼い私の内側だ。


 私は、黒い塊の中に閉じ込められていた。


 檻のようで、棺のようで、けれど鉄でも石でもない。

 感情そのものを固めたような、重い球だった。


 動けない。

 声も出せない。

 幼い私に触れることもできない。


 ただ、感情だけが流れ込んでくる。


 笑い。

 驚き。

 怯え。


 そして、怒り。


 幼い私は、森にいた。


 サラディオの森。

 薬草の匂い。

 湿った土。

 木漏れ日。


 その中を、小さなイタチが走っていた。


 ポレロ。


 私は、その名を見た瞬間に思い出した。

 思い出したというより、幼い私の心がその名を呼んだ。


 大事なもの。

 小さくて、温かくて、守りたいもの。


 そのポレロが、リザードに襲われた。


 幼い私の中で、恐怖が跳ねた。

 次に怒りが来た。

 まだ言葉にならない、ただの拒絶。


 やめて。

 返して。

 傷つけないで。


 守りたいという衝動が、何より先に走った。


 その瞬間、黒い檻が開いた。


 私は解放される。


 どうやったのかは分からない。

 けれど、力が溢れた。


 火でもない。

 風でもない。

 氷でもない。


 ただ、黒いものが幼い私の内側から噴き出し、リザードを潰した。


 一瞬だった。


 次の瞬間には、私はまた黒い檻の中へ戻されていた。


 暗い。

 重い。

 何もできない。


 けれど、その一瞬で理解した。


 私は、幼い私の憎悪が芽生えた時だけ解放される。


 私が憎んでも、駄目だった。

 私が叫んでも、届かなかった。

 この檻を開けるのは、幼い私の感情だけだった。


 それから私は、見続けた。


 幼い私の日々を。

 ヘルザと笑う時間を。

 笛を吹く時間を。

 本を読んでもらう時間を。

 まだ失われていないものたちを。


 私は何もできなかった。


 ただ、見ているだけだった。


 それは拷問よりも静かで、復讐よりも苦しかった。


 手を伸ばせば届きそうなのに、届かない。

 声を上げれば変えられそうなのに、変わらない。


 幼い私は笑っていた。

 ヘルザも笑っていた。


 私は、その光景を檻の中から見ていた。


 シドがシェルカエンに来た日も、そうだった。


 人類の学者。

 静かな声。

 読めない目。

 魔動器という、不思議な道具。


 幼い私は興味を示した。


 知らない人間。

 知らない技術。

 外の世界の匂い。


 私は内側で叫んだ。


 近づいてはいけない。

 その男を信じてはいけない。

 その男は、すべてを奪う。


 だが、声は届かない。


 幼い私は、シドを見ていた。

 怖がってはいなかった。

 ただ、不思議そうに見ていた。


 あの男は、そういう顔をする。

 害意を隠しているわけではない。

 優しさを装っているわけでもない。

 ただ、世界を見ている。


 人も。

 痛みも。

 願いも。

 すべてを、現象として。


 それがどれほど恐ろしいことなのか、幼い私は知らない。


 ヘルザも、まだ疑いきれていなかった。


 私は何も変えられなかった。


 日々は進んだ。

 私の知る過去と同じように。

 私の望まない結末へ向かって。


 やがて、夜が来る。


 あの夜だ。


 部屋の中には、幼い私とヘルザがいた。

 笛。

 寝台。

 薄い灯り。

 何もかもが、覚えているより穏やかだった。


 だからこそ、胸が裂けそうだった。


 来る。


 あの者たちが来る。


 扉が開いた。


 人間たちが入ってくる。

 魔族の気配をまとった人間。

 魔封石を持った人間。


 幼い私の力が膨れ上がる。

 けれど、次の瞬間には封じられる。


 魔封石。


 冷たい力が、幼い私の奥へ降りてくる。

 あの大きすぎる力を、無理やり押さえ込む。


 私は動けない。


 ヘルザが前に出る。

 幼い私を守ろうとする。


 やめて。


 私は叫んだ。


 やめて。

 行かないで。

 その人たちの前に立たないで。


 だが、届かない。


 刃が走る。


 ヘルザが倒れる。


 血が広がる。

 幼い私が叫ぶ。

 名前を呼ぶ。


 それでも、私は解放されなかった。


 幼い私は、まだ理解していなかった。

 何を奪われたのか。

 誰を失おうとしているのか。

 これから何が始まるのか。


 憎悪が足りない。


 恐怖では足りない。

 混乱では足りない。

 叫びでは足りない。


 この檻は、まだ開かない。


 そのまま、幼い私の意識が落ちた。


 私は何もできなかった。


 見ているだけだった。

 知っているだけだった。

 それなのに、何も変えられなかった。


 次に目を覚ました時、そこはシドの研究室だった。


 冷たい台。

 拘束。

 灯り。

 知らない器具。

 乾いた声。


 そこには、私を姫として見る者はいなかった。

 子どもとして見る者もいなかった。


 ただ、素材として見ていた。


 痛みがあった。

 繰り返される実験があった。

 削られていく感覚があった。


 幼い私は泣いた。

 怯えた。

 助けを求めた。


 けれど、まだ檻は開かなかった。


 痛みでは足りない。

 恐怖では足りない。

 孤独でも足りない。


 そして、ヘルザが死んだ。


 その事実が、幼い私の中へ落ちた。


 もう戻らない。

 もう声をかけてくれない。

 もう手を引いてくれない。

 もう、私を守ってはくれない。


 その瞬間、幼い私の中で、すべてが崩れた。


 憎悪が満ちる。


 黒が、何もかもを塗り潰す。


 檻が砕けた。


 私は解放される。


 ようやく。


 あまりにも遅く。


 私は、シドを殺した。

 ネローランを殺した。

 研究員たちも、何もかも殺した。


 止める者はいなかった。

 止まる理由もなかった。


 憎かった。

 奪った者が。

 笑った者が。

 見ていた者が。

 何もしなかった世界そのものが。


 けれど、どれだけ壊しても、ヘルザは戻らなかった。


 血を流させても。

 叫ばせても。

 すべてを終わらせても。


 ヘルザは戻らなかった。


 私はその時、ようやく理解した。


 遅いのだ。


 憎悪が満ちた時には、いつも遅すぎる。

 私が解放される時には、もう取り返しがつかない。


 私は、復讐ならできる。

 破壊ならできる。

 奪われた後で、奪い返すように壊すことならできる。


 でも、それでは救えない。


 ヘルザは戻らない。

 故郷も戻らない。

 私が失ったものは、何一つ戻らない。


 ならば、もっと前に戻るしかない。


 失ってからでは遅い。

 憎んでからでは遅い。

 壊してからでは、何も救えない。


 漆黒魂は、過去と未来を繋ぐ。


 ならば、私は戻る。


 もう一度。


 ポレロが襲われる、その瞬間へ。

 幼い私の憎悪が、最初に檻を開いたあの瞬間へ。


 今度は、同じでは終わらせない。


 ポレロが鳴いた。


 リザードの牙が、小さな身体へ食い込もうとしていた。

 幼い私の恐怖が跳ねる。

 怒りが生まれる。

 守りたいという衝動が、また檻を開く。


 私は解放される。


 リザードは潰す。

 それは変えられない。

 あの一瞬の解放は、そこから始まるのだから。


 けれど、それだけでは終わらせない。


 私は、溢れた力のほんの一部を裂いた。

 リザードを潰す黒の流れから、細い糸のようなものを引き抜く。

 それを、幼い私のそばにいるヘルザへ向けた。


 ヘルザ。


 私を育ててくれた人。

 私を叱り、私を守り、私の中にあるものを恐れながらも、最後まで私から目を逸らさなかった人。


 あなたなら耐えられる。


 私は、そう信じるしかなかった。


 ヘルザには、普通なら触れられないものに触れるだけの器がある。

 私はそれを、かつてのやりとりの中で知っていた。


 あなたには器がある。

 私の力を受け入れるための器ではない。

 私のすべてを背負わせるための器でもない。


 ただ、ほんのわずかな違和感を宿すだけの器。


 それでいい。


 私はヘルザの中へ、もう一つの私を沈めた。


 声にもならないほど小さく。

 記憶にもならないほど深く。


 ヘルド。


 そう名づけたのは、私だったのか。

 それとも、ヘルザの中で形を得たあれ自身だったのか。

 今でも分からない。


 けれど、確かに生まれた。


 ヘルザの中に、私の願いが沈んだ。


 次の瞬間、私はまた黒い檻へ戻された。


 暗い。

 重い。

 けれど、前とは違っていた。


 何かが変わった。


 大きな変化ではない。

 世界が音を立てて崩れたわけでもない。

 ヘルザがすぐに何かを思い出したわけでもない。

 シドが消えたわけでもない。


 ただ、見えない場所に小さな歪みが生まれた。


 ヘルドは、ヘルザを操るものではなかった。


 命じることはできない。

 未来を語ることもできない。

 何をすれば何が変わるのか、正確に示すこともできない。


 ただ、違和感を与える。

 引っかかりを残す。

 見過ごすはずだったものを、見過ごせなくする。


 それだけだった。


 それでも、私にはそれしかなかった。


 ヘルザは変わった。

 ほんのわずかに。


 ミーナ様の中にあるものを、ただの才能として片づけなくなった。

 シドの静けさを、ただの知性として受け取らなくなった。

 胸の奥で聞こえる声に、苛立ちながらも、どこかで耳を澄ますようになった。


 だが、それでも運命は進む。


 シドはシェルカエンに来る。

 ヘルザは迷う。

 私は叫ぶ。

 声は届かない。


 そして、あの夜が来る。


 扉が開く。

 魔封石が向けられる。

 ヘルザが前へ出る。

 刃が走る。


 私はまた、何もできない。


 けれど、一つだけ違った。


 魔封石に、亀裂が入った。


 私が知る過去にはなかった亀裂。


 白く濁った石の表面に、細い線が走る。

 それは小さかった。

 見逃そうと思えば見逃せるほどの傷だった。


 だが、シドは見逃さない。


 あの男は、そういうものを見逃さない。


 私には分かった。

 その亀裂が、ただの破損ではないことを。


 ヘルドが生んだ歪み。

 私の願いが、過去の内側に残した異物。

 幼い私の力に混ざった、私が知る過去にはない揺らぎ。


 魔封石は、それに耐えきれなかった。


 私は、まだヘルザを救えていない。

 幼い私も救えていない。

 研究室へ向かう運命も、止められていない。


 それでも、世界には亀裂が入った。


 たった一本の、細い亀裂。


 だが、その亀裂を、シドは恐れた。


 いいえ。


 恐れただけではない。


 喜んだのだと思う。


 想定と違うもの。

 計算から外れたもの。

 未知の中にさらに潜む、未知。


 あの男は、それを見つけた時、いつも同じ目をする。


 そして、行動を変えた。


 魔封石だけでは足りない。

 通常の封印では保たない。

 この個体には、もっと強い檻が必要だ。


 覇鉱石。

 アダマンタイト。

 魔力を封じ、外界との干渉を断つための、冷たい部屋。


 私が知る過去にはなかった檻が作られる。


 そして、そのための任務が生まれる。


 覇鉱石採取任務。


 そこで、本来なら交わるはずのなかった者たちが交わった。


 リアム。

 ペルナ。

 ルシア。

 ガレット。


 その時の私は、まだ彼らを知らない。

 黒い檻の中で、ただ流れを見ているだけだった。


 けれど、後になって分かる。


 あの亀裂から、彼らは現れた。


 ヘルドがリアムを生んだのではない。

 私がペルナを選んだのでもない。

 彼らは最初から、この世界のどこかにいた。


 ただ、私の運命とは交わらないはずだった。


 亀裂が、その道を変えた。


 私が入れた小さな傷が、シドの警戒を生み、覇鉱石を求めさせ、アダマンタイトの檻を作らせた。

 そのための任務が、リアムをペルナたちと結びつけた。

 そしてシドは、ペルナを知った。


 精神魔法。

 学徒集団昏睡。

 幼い頃に起こした、彼女の過去。


 シドはそれを見逃さない。

 あの男は、使えるものを見逃さない。


 だから、研究室に彼らは呼ばれた。


 本来、来るはずのなかった四人が。


 あの冷たいアダマンタイトの部屋へ。


 私は、そこで彼らを見た。


 記憶にない人間たちだった。


 リアム。

 ペルナ。

 ルシア。

 ガレット。


 知らない。

 私は、この人たちを知らない。


 この場所に、人間が来るはずがない。

 この部屋に、外から誰かが入るはずがない。

 幼い私の前に、シドとネローラン以外の人間が立つはずがない。


 なのに、彼らはいた。


 リアムは、幼い私を殺さなかった。


 シドは、処理しろと言った。

 あの子を殺せと言った。

 けれど、リアムは剣を向けなかった。


 膝を折った。


 目線を合わせた。


 名を名乗った。


 幼い私は怯えていた。

 それでも、リアムの声にわずかに心を動かした。


 私は檻の中で、その光景を見ていた。


 分からなかった。


 人間が、私に手を伸ばしている。


 憎むべき人間が。

 奪う側の人間が。

 私のすべてを壊した種族の一人が。


 幼い私へ、静かに話しかけている。


 リアムは、投影石を渡した。


 いま一番ほしいものを思い浮かべろ、と。


 幼い私は、それを握った。


 光が溢れる。


 そして、庭園が現れた。


 シェルカエンの庭園。

 噴水の音。

 風。

 花。

 あの場所。


 そして、ヘルザ。


 赤い髪。

 優しい目。

 私を見てくれていた人。


 幼い私の心が揺れた。

 同時に、私の檻も揺れた。


 憎悪ではない。


 悲しみ。

 恋しさ。

 帰りたいという願い。


 それが、黒い檻の内側を揺らした。


 私は初めて知った。


 憎悪だけではないのだと。


 私を縛るものも、私を揺らすものも、憎悪だけではないのだと。


 そして、ペルナが来た。


 精神世界へ。


 ミーナほどの魔力を持つ者の内側へ、人間が入り込んできた。


 ありえない。


 普通なら、触れた瞬間に弾かれる。

 沈むことすらできない。

 壊れる以前に、門の前へ立つこともできない。


 けれど、ペルナは入ってきた。


 泉のほとりへ。

 幼い私の内側へ。


 私は彼女を見た。


 強い術者だった。


 脆いからではない。

 穴があるからではない。

 壊れやすいから、私が入り込めると思ったのではない。


 違う。


 彼女の精神魔法は強かった。


 恐れながら、それでも奥へ踏み込める強さ。

 自分の過去に傷つきながら、それでも他人の心を覗く覚悟。

 壊してしまう恐怖を知っていながら、それでも正しいことをしようとする意志。


 だから、私は賭けた。


 この人間なら。


 私の力のごく一部を忍ばせても、耐えられるかもしれない。


 私は彼女へ触れた。


 ごめんなさい。


 その言葉は、声になったのか分からない。


 ペルナ、ごめんなさい。


 私はあなたを利用する。

 あなたの意志に、私の願いを混ぜる。

 あなたの身体に、あなたの心に、私の黒を忍ばせる。


 それでも。


 あなたしかいない。


 私は、私の一部をペルナへ預けた。


 ペルナは苦しんだ。


 当然だ。


 私の力は、優しくない。

 人に宿るためのものではない。

 誰かを癒すものでも、守るために整えられたものでもない。


 憎悪の底で生まれ、奪われ、兵器にされた力だ。


 それを受けたペルナの心と身体が、無事で済むはずがない。


 それでも、彼女は耐えた。


 耐え抜いた。


 なぜ耐えられたのか、私はすぐには分からなかった。


 ペルナ一人の強さだけではない。

 精神魔法の才だけでもない。


 彼女を繋ぎ止めていたものがあった。


 リアム。


 リアムを守りたいという想い。

 リアムの前で壊れたくないという意地。

 あの少年が差し伸べた手を、無かったことにしたくないという願い。


 それが、ペルナを現実に繋ぎ止めていた。


 ネローランがリアムの首を潰そうとした時、ペルナの中で何かが噛み合った。


 恐怖ではない。

 憎悪だけでもない。


 守りたい。


 その意思が、私の力と結びついた。


 ネローランの腕が落ちた。


 私は、その瞬間を見ていた。


 私の力が、私ではない誰かの願いで動いた。


 それは、奇妙な感覚だった。


 私にとってこの力は、ずっと憎悪と結びついていた。

 奪われた痛み。

 失った怒り。

 壊したいという衝動。


 それだけが、檻を開ける鍵だった。


 けれどペルナの中で、私の力は違う形を取った。


 リアムを守るために。

 正しいことをするために。

 これ以上、目の前で誰かを奪わせないために。


 黒い力が、誰かを守るために動いた。


 私は、その意味をすぐには受け止められなかった。


 そして、精神世界が繋がる。


 それは、私が一方的に引き込んだのではない。


 ペルナの意思があった。


 正しいことをしたい。


 その痛いほど単純で、愚かで、強い願いが、私の力と結びついた。


 私は憎悪で檻を開ける。

 ペルナは願いで道を開く。


 その二つが重なった時、閉じていた場所に穴が開いた。


 シド。

 ネローラン。

 幼い私。

 ヘルザ。

 ヘルド。

 ペルナ。

 そして、私。


 それぞれの精神が、同じ場所へ繋がった。


 そこは、もはや幼い私だけの内側ではなかった。


 私が知っている過去と、変わり始めた時間。

 憎悪と、願い。

 過去と、未来。


 そのすべてがぶつかる場所だった。


 シドは、そこでも笑っていた。


 いいえ、笑っていたように見えた。


 私の力を奪った時も。

 私に殺された時も。

 そして今回も。


 あの男は、恐怖より先に興味を抱く。


 未知がある。

 ならば見たい。

 壊れるものがある。

 ならば確かめたい。


 そのためなら、誰が泣いても構わない。


 私は、その男を殺せる。


 今なら殺せる。


 ネローランも。

 シドも。

 私からすべてを奪った者たちを、ここで終わらせることができる。


 そうすれば、胸の奥に沈んだ黒は少しだけ静まるのかもしれない。


 けれど。


 私は見てしまった。


 ダインが、正しいと思ったものを選ぼうとしたことを。

 リアムが、知らない私に手を伸ばしたことを。

 ペルナが、壊れながらも正しいことをしようとしたことを。


 私が開けられなかった道を、この人たちは開こうとしている。


 憎悪ではなく。

 復讐ではなく。


 ただ、間違っていることを間違っていると言うために。


 私は、ここで何を選ぶのだろう。


 殺すのか。

 殺さないのか。


 憎悪に従うのか。

 それとも、亀裂の向こうから現れたこの光を信じるのか。


 まだ、答えは出ない。


 けれど、一つだけ分かる。


 私が望んだ改変は、私の憎悪だけでは始まらなかった。


 ヘルドが入れた小さな亀裂。

 シドが作った冷たい檻。

 リアムが伸ばした手。

 ペルナが抱いた、正しいことをしたいという願い。

 ダインが捨てきれなかった良心。


 そのすべてが、ここへ繋がっている。


 私は、黒い檻の中でずっと思っていた。


 私だけが、過去を変えようとしているのだと。

 私だけが、失ったものを取り戻そうとしているのだと。


 違った。


 私の知らないところで、未来はもう動き始めていた。


 あの亀裂から、光が差していた。

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