第二十一話:星空の下のファンタジア
そんなに大きくない(実際小さいw)音響会社を営むPAエンジニアおじさんの、ほぼ実話を元にした小説です。フェスや様々なイベントに出かけられることがあると思いますが、そのフェスやイベントの運営には、実際に数多くの人たちが関わっています。その中で、ステージなどで必ず必要とされる音響という仕事に関する小説です。
清水がワイヤレスマイクレシーバーのアンテナを掲げた瞬間、ちょうど司会者の鈴木さやかがPAブースに現れた。
「こんにちはー。今日、進行を担当する鈴木さやかです!」
パッと明るい笑顔と張りのある声。上条と輿水は彼女を何度か見たことがあるが、清水にとっては初対面だ。
「こちらこそよろしくお願いします。上条です。一年振りですね。」
「輿水です。映像もちょっと撮ります。」
「清水です! 音響のお手伝いで来ました!」
「うわ、学生さん? 若いっていいなあー!」
さやかは目を輝かせて清水を見つめると、にっこりと笑った。
「さっそくですが、進行台本の最終版をお渡ししますね。多少順番の変更があるかもですが、MCのコメントタイミングや曲紹介の cue を合わせておきたいので、音出しのタイミングは柔軟に対応いただけると嬉しいです。」
「了解です。マイクはワイヤレスを2本。どちらもオンにしておくので、曲紹介や司会進行で自由に使ってください。」
「ありがとうございます。あ、BGMのCDはこちらです。1曲目の冒頭にだけ、コメント入れるので、少しだけ絞ってもらえると助かります。」
「任せてください。」
清水が黙って聞いていたが、資料を受け取りながらうなずいている。
「じゃあ、ステージチェック入ります!」
さやかがそう言うと、上条は目配せして清水に合図を送った。
「じゃあ、マイクのチェック、お願いできる?」
「はい!」
清水は少し緊張しながらも、ワイヤレスのチャンネルのフェーダーを上げていく。
「マイク1、チェック。マイク2、チェック……モニターお願いしまーす」
上条は清水にモニターへの音の返し方を説明しつつミキサー卓を操作する。
「チェック、ワンツー! チェック……あ、返ってきました。チェック! もう少し、あ、OKです」」
「はい、PA側も確認しました。ありがとう!」
少し離れた場所から、輿水が手を挙げた。
「じゃあ、BGMの試しもいける?」
「CDセットしてます。トラック1、再生します。」
MDCDプレイヤーが静かに回転し、会場に心地よいアコースティックギターのBGMが流れ始めた。ステージ上でモニタースピーカーから流れる曲に耳を傾けながら、さやかがタイミングを測る。
「……この辺りでコメント入ります!」
清水がその少し前で音量をほんの少し下げる。音が自然に溶け込む。
「バッチリ! 完璧です!」
上条が無言でサムズアップを出す。清水は小さくガッツポーズを返した。
その後、大学サークルのバンドがステージ入りし、楽器のチューニングを始める。ドラム、ギター、キーボード……。学生たちの表情は真剣そのものだが、どこか緊張と高揚が入り混じっている。
「去年のバンドに新メンバーが加入した感じだな……」
その直後、バンドのリーダーがステージ袖にいる上条に近づいて挨拶をする。
「去年もお世話になりました。今年もよろしくお願いします!」
「ああ、覚えてるよ。去年の演奏、なかなか良かった。今日は時間に余裕あるから、セッティングも焦らなくていいよ。じっくりいこう。」
「ありがとうございます!」
ドラムセットのセッティングが終わると、小清水の指導の下、清水がドラムへのマイクセッティングを始めた。
「じゃあ、キックから立てていこうか」
清水は一つひとつ丁寧にマイクを配置していく。ドラマーがそれを見て目を丸くする。
「え、こんなにマイク立てるんですか?」
清水は一瞬戸惑った顔を見せる。
「……そういうものだと思ってたんですが……」
その様子を見ていた上条が笑いながら助け舟を出す。
「今日はセッティングの時間がたっぷりあるので、ドラムは全部マイクで拾います。ついでにエアも2本立てちゃいますね。」
「なるほど、よろしくお願いします!」
ベースアンプにはDIが備わっていたため、ライン出力から直接マルチのコネクタボックスへ接続。
続いてエレピも同様に、出力端子からDIを通してマルチのコネクタボックスへ。
ギターアンプには定番のMC57を立てる。
その間、スタンドの長さで迷っていた清水に、輿水がさっと寄って小声でサポートする。
「ここは短い方が見栄えもいいし、安全だよ。」
「なるほど……ありがとうございます!」
さらに、サックス奏者が立ち位置を移動するとのことで、ワイヤレスマイクの準備が必要になる。用意したのはSONYのM40。楽器の音も難なく拾えるタイプだ。
「MC用にももう一本。サックスの脇に置いておこうか。こっちもM40で。」
上条が清水にそう伝えると、清水は頷きながら準備を進めていく。
一通りのワイヤリングが終わり、いよいよリハーサルがスタートする。
上条はトークバック用のマイクを手に取り、ステージに向かって声をかけた。
「曲調がわからないので、必要に応じてサックスやスネアには軽くリバーブを掛けておきますね。」
上条がそうつぶやきながら、モニターのバランスを調整する。
「学生バンドって、リハの時がいちばん面白いんだよな。」
「わかる。素が出ますよね。」
そう答えた輿水が、ギターのチューニングに手間取るメンバーを見つけて小声でつぶやく。
「……ギターの子、チューニングできてないな。」
「おーい、ステージ上! そのギター、チューニングしてから音を出そうかー?」
上条の柔らかな声が飛ぶと、ステージの若者が「あ、すみません!」と小さく頭を下げた。
「いい音にするには、まずそこからだぞー!」
和やかな空気に、ステージ袖のさやかも笑っている。
「お前、いつも言われてんだろー」
と、ベーシストが大笑いしながら突っ込みを入れる。
演奏が始まると、上条はフェーダーを見ながらサックスやスネアに軽くリバーブを足していった。曲ごとに空気感が変わるのを見越して、時にはエコーも加える。
ベーシストから「モニター、もう少しだけ上げてもらえますかー」と声が飛ぶと、上条は下手側のサイドモニターのボリュームを上げて対応した。
「ドラムはどう?」
「バッチリです!」
上条の問いに、ドラマーが親指を立てて応える。
曲によってサックス奏者が立ち位置を変えながらMCも担当している。自然なトーンで観客とのやり取りが生まれ、雰囲気はどんどん良くなっていく。
ステージ袖では、JAZZ研の先輩が腕組みしながら音のバランスを聞いていたが、思わず声を上げた。
「PAさん、最高です!!」
その言葉に、サックス奏者がほっとしたような表情を見せた。
こうしてリハーサルは無事に終了し、本番開始まで残り30分ほど。
ステージ上は一旦静まり返り、BGMだけが会場に流れる。
上条は、著作権の問題を避けるため、市販曲ではなく自作の曲や友人の音源を使うようにしている。この日は、友人でもあるSandyTripの曲をチョイスしていた。アルバムBridgeに収録されている3曲から5曲目をリピート再生している。ふるさと、白い雲と太陽、真実の種の3曲は、夕方になると上条が好んでかける楽曲だ。そしてありがたいことに楽曲使用の許可をもらっているのだ。
「いい曲ですね」
清水がぽつりとつぶやく。
「ああ、長崎に住んでいる友人がやっているユニットなんだ」
「SandyTripさんですよね。存じ上げております。AYUMIさんの声がいいんですよね」
と、輿水が頷いた。
「KAZU君のアレンジがまた良いんだよ」
と、上条が付け加える。
やがて陽が沈み、空が深い青に染まっていく。会場のあちこちでキャンドルに火が灯され始めた。
ステージの準備は整っている。司会のさやかがマイクを持ち、開演の挨拶を始めた。
その声と同時に、メインキャンドルにも火が灯され、会場からは大きな歓声と拍手が自然と沸き起こる。
その拍手に迎えられるように、心地よいJAZZの音が、夕闇迫る都立公園に静かに溶けていく。
PAテント内では、上条がミキサー卓に向かって集中していた。清水はその様子をすぐ隣で見守っている。司会のさやかも、しばらく出番がないため椅子に腰掛けて休憩していた。
この会場ではPAブースがステージの真横にあるため、メインスピーカーから出ている音を正確に聴くことができない。そこで輿水は客席の中に入り、演奏のバランスを確認しては、上条にジェスチャーで指示を送っていた。
たとえばギターの音が小さいときにはエアギターのような動きをしてから指を上に向け、逆に大きすぎるときには下向きに指を振る。上条はそのジェスチャーを見ながら、フェーダーを上げたり下げたりして応えていく。
そのやりとりを知らずに、清水が何気なく声をかけた。
「上条さん、今の曲って……」
しかし上条は無言のまま、ミキサー卓のメーターを見つめ続けている。返事が返ってこない。
「……あれ、無視された……?」
清水は少しむくれたように頬を膨らませた。その様子に気がついた上条がようやく顔を上げた。
「どうした? ハムスターの真似か?」
「えっ、そんなつもりじゃ……」
「冗談だよ。今、輿水とやりとりしてた。ほら、客席の中にいるだろ?」
清水が客席側に目をやると、確かに輿水がギターのジェスチャーをしながら上条に向かって手を動かしていた。
「す、すみませんっ……邪魔しちゃってました……」
清水があわてて頭を下げると、上条は笑いながら軽く手を振った。
「大丈夫。ちゃんと見てるなって思っただけだよ」
その言葉に、清水の顔がパーッと明るくなった。
「……客席で聴いてきてもいいですか?」
「もちろん。音の違い、ちゃんと覚えてこいよ」
「はいっ!」
清水は小さく会釈してPAテントを後にすると、そっと客席のほうへと歩いていった。
PA卓からさほど離れていない観客席で演奏に耳を傾けながら、清水はふと考える。このバンドがうまいのか、それとも……。
視線を客席からPAテントに向けると、上条がヘッドフォンを片耳に当てたまま、フェーダーを微調整していた。その目は真剣で、細かな音のバランスを見逃さない。
ふと輿水のジェスチャーが飛ぶ。ギターを示すように両手を動かし、次いで指を上に向ける。それを確認した上条は即座に対応し、ギターのフェーダーをわずかに持ち上げた。
その直後、サックスが盛り上がるサビに差しかかり、リバーブがさりげなくかかる。音に深みが生まれ、公園全体が楽器の響きに包まれていく。
清水は、ステージではなく、その卓の前にいる男の指先の動きに目を奪われた。
「……私も、いつか、あんなふうに音を出せるようになりたい」
心地よいジャズの音楽に包まれながら空を見上げると、そこには都心とは思えないほどの星空が広がっていた。
実際に筆者が体験した出来事を題材にしていますが、物語に登場する企業名やイベント名は、全て架空のものです。登場人物もモデルは全て実在の人物がいますが、あくまでもフィクションとしてお読みください。
〜登場人物紹介〜
上条一郎:58歳。大学生の息子がいるが、遠方にいるため作品には滅多に登場しない。妻とは離婚していて、現在は独身。車好きで中古のCitroen Xmのブレーク(ステーションワゴン)に乗っている。小さめのイベントにはこのステーションワゴンに音響機材を積んで現場に入り、大きめのイベントの場合にはワンボックス車や2T〜4Tのアルミパネル車をレンタルしている。
清水美奈:同じく大学の後輩。21歳。経済学部に通う大学3年生。アルバイト先の仕事で音響に携わることがあり、現場で知り合った上条が大学の先輩だと知り、押しかけアルバイトをしている。
興水康友:柚木真由美のイベントの手伝いをしている時に上条と出会う。いつも車で移動して滅多に公共交通機関を使わないという点が上条と共通している。映像カメラマンであったり物書きであったり、様々な仕事をしているが、スケジュールが合えば、上条の仕事を手伝うことも多い。
鈴木さやか:劇団員。普段は劇団員をしながら芸能界デビューを目指す。時々、公園でのイベントの司会を担当。食いしん坊で、気がつくと飲食店のブースに並んでいる。
〜用語解説〜
PA:Pablic Addressの略。電気的な音響拡声装置やそれに携わる人たちのの総称。
レシーバー:上条は主にSONY製のワイヤレスマイクを使うため、ラックにMB-X6というチューナーベースユニットを使用している。生産終了品のため、現在では入手困難である。そのため、上条は内包するチューナーユニットともに複数台を所有している。
MC:Master of Ceremoniesの略で、日本においては司会進行を意味します。本来は『マスター・オブ・セレモニー』つまり『儀式の支配者』なので、イベントの進行管理などを指します。
Cue:舞台用語では、役者の動きやセリフ、舞台進行、音響、照明操作などのタイミングを表す言葉、または、それを知らせる合図。
ミキサー卓:単にミキサーというと料理器具と混同されるため、ミキサー卓と呼ぶことが多い。省略してミキ卓、あるいは卓ともいう。
フェーダー:ミキサー卓で音量を調整するスライド式のコントローラー。PFL(Post Fader Level)に設定されているAUXへの送りには影響しないが、AFL(After Fader Level)に設定しているAUXの送りの場合、このフェーダーの動きが送りチャンネルのレベルに影響する。
モニタースピーカー:ステージ上に置かれ、出演者に対して音を伝えるスピーカー。ミキサー側で設定することにより、好みのバランスで音を聞くことができる。
DI:ダイレクトボックスのこと。Diと書くことも。楽器のアンバランス信号をバランス信号に変換する機器。
SandyTrip:長崎県佐世保を中心に全国で活動している男女ユニット。Sandy(KAZUの飼っていた猫の名前)とTrip(AYUMIが好きな言葉)を名づけ活動を始める。上条とはMacintoshというパソコン繋がりで旧知の中である。東京でのイベントでは上条がPAを担当したこともある。
マルチケーブル:複数の独立した回路を接続するケーブルを一つのシース内に納めて一本化した物。マルチケーブルを使用することにより、ステージとPAの間を細い複数のケーブルで繋ぐ必要がなくなる。スネークケーブルとも呼ばれる。某大学の大学祭実行委員会や音楽サークルの間では大蛇と呼ばれている。




