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第二十二話:夢の続きのファンタジア

そんなに大きくない(実際小さいw)音響会社を営むPAエンジニアおじさんの、ほぼ実話を元にした小説です。フェスや様々なイベントに出かけられることがあると思いますが、そのフェスやイベントの運営には、実際に数多くの人たちが関わっています。その中で、ステージなどで必ず必要とされる音響という仕事に関する小説です。

 日曜の朝。都立公園の空には雲ひとつない。気温は少し肌寒いが、動いていればちょうどいいくらいの清々しい空気だ。


 8時少し前、上条、輿水、清水の三人が会場入りした。昨日から設営されているステージとPAブースは、ブルーシートでしっかり覆われ、ミキサー卓にも防水カバーがかかっていた。


 「さすが、昨日のうちに全部シートかけておいて正解だったな」


 上条が言いながら、ブルーシートを剥がしていく。輿水はステージ側、清水はPAテントのまわりを手際よく片付けていく。


 「昨日の夜、風も強くなかったから、めくれたりしてないですね」


 「うん、この感じなら、機材も無事そうだな」


 PAブースとステージの準備が進み、9時前には音出しの準備が整った。


 「じゃ、朝イチは俺の曲で」


 上条が自作のインストゥルメンタルを流す。爽やかなギターの旋律が公園の朝にしっくりと馴染む。


 「けどやっぱり……イベントと言ったらこの曲なんだよな」


 そうつぶやくと、MacBook Pro 16のミュージックアプリを起動し、SandyTripの『ドライブ日和』を再生する。軽快なリズムと心地よいボーカルが会場全体に流れ、ここでまもなくイベントが始まる予感を漂わせた。


 PAテントの中では、上条が身体を揺らしながら、AYUMIのボーカルに合わせて小声で歌っている。


 「……楽しそうですね」


 不意に声をかけられ、上条は振り返る。そこには司会の鈴木さやかが立っていた。


 「うわ、見られてた……」


 上条が照れたように笑うと、清水がすかさず突っ込んだ。


 「可愛いところもあるんですね、上条さん」


 「ほっとけ」


 笑いがテント内に広がる。


 10時のイベント開始を前に、今日の出演者のマイクチェックと進行確認が始まる。最初の出し物は、地元の読み聞かせサークルによる朗読会。


 「去年はラベリアだったけど、風切り音がひどかったからね。今年はヘッドセットに変えて正解だったよ」


 と、上条がつぶやく。さやかも頷きながら補足する。


 「しかも今年はステージ上でやってもらえるようにお願いしました。おかげでハウリングもなくて助かりました」


 読み聞かせは順調に進み、続く人形劇も同様に、子供たちの目はキラキラと輝きっぱなしだった。


 「……子供たち、素直に喜んでくれているな」


 「ですね。こっちまで癒されます」


 昼になると、昨日も登場したJAZZサークルが再びステージに立つ。今度は青空の下、ノリのいい曲で観客を沸かせた。


 「昨日とは全然雰囲気が違いますね」


 「だろ? 昼間の野外は、テンポ早めの方が合うんだよ」


 上条もフェーダーを操りながら、ここぞという場面でリバーブを効かせていく。


 演奏が終わると、出展ブース紹介の時間。司会ともう一人のレポーターが会場を巡る。


 「M40、ほんとに優秀ですね」


 「これだけ距離あっても途切れないからな。うちの現場じゃ鉄板だよ」


 ただ、慣れていないリポーターは、自分の声が少し遅れて聞こえてくることに戸惑っていた。


 「音ってのは毎秒340mぐらいなんだよ。あの一番奥までは100mぐらいだから、自分が喋った声が0.3秒ぐらい遅れて聞こえるんだよ」


 上条が軽く説明する。


 「さすが、元塾講師!」


 清水が茶化すように言うと、上条が苦笑いしながら返した。


 「からかうのはやめろって」


 15時、地元大学の応援団による演舞がスタートする前、上条は応援団の団長、リーダー、ブラスバンドの責任者、チアリーダー部の代表を集めて、簡単な打ち合わせを行っていた。


 「マイクを設置させてもらうことで、会場の後方まで声や音を届けやすくなります。演舞の妨げにならないように注意は払います」


 団長もリーダーも、そしてブラス側の代表も快く了承してくれた。しかし、チアリーダー部の代表から思わぬ指摘が入る。


 「すみません。チアの演舞のとき、エール用のマイク位置にスタンドがあると、ちょっと危ないかもしれません」


 団長が思わず頭をかいた。


 「団長としてはマイクがあっても問題ないと思ってるんだけど、チアの動き見たら……そりゃまあ、言われたらそうだよな」


 「了解しました。チア演舞のタイミングだけ、こちらで回収に入ります」


 上条は即座に判断を下し、輿水に指示を飛ばした。


 「輿水、今の話のタイミングでマイクとスタンド、頼む」


 「了解」


 こうして打ち合わせは無事に終わり、あとは演舞開始を待つだけになった。総勢100人をゆうに超える団員たちの動きはキビキビとしている。見ているだけでも気持ち良くなる。


 だが上条は、PAブースの前を通る団員が、一人一人『失礼します』『押忍!』と挨拶をして通っていくのが苦手なようだ。


 「そりゃ、向こうは礼儀を尽くしているんだろうけど、こっちは100人に返事するのかよ」


 と言いながらも、100人に返事をしているのが上条の人情深いところかもしれない。


 その様子を見ていた清水が、上条にささやく。


 「上条さん、団長と話すとき、なんかスイッチ入りましたね」


 「体育会のさ、こういうのは慣れてんのよ。俺は俺たちの大学の体育会や応援団とも交流あったからさ。上位下達の命令系統がしっかりしてんのよ。話が決まれば、あとは一瞬で下級生に伝達完了だよ」


 やがて演舞が始まり、応援団のキレッキレの動きに加え、ブラスバンドの演奏もまた見事な連携で進んでいく。さすがの上条も圧倒されている。圧倒されてはいるが、ステージ上に仕込んだ4本のワイヤレスマイクの音を的確にミックスし、会場全体にキレのある音を届けているのも上条だ。


 そして、チアリーディングの演舞に入るタイミングで、輿水が素早く会場中央へと動き、マイクとマイクスタンドを撤収したのだが……


 「危なっ……」


 あわや大惨事と、つまずきそうになった輿水だったが、すんでのところをチアリーダーの女子学生がさっと支える。


 「……ありがとうございます」


 というのが精一杯の輿水は、なんとかその場を後にして、マイクスタンドを持って規制線が張られた三角コーンの先の待機位置まで移動を完了した。


 最後のエール時に再びマイク設置に向かった輿水だったが、マイクスタンドを置いた戻り際、さっき助けてくれた女子学生にニコッとウィンクされ、顔を赤らめて戻ってくる。


 「……モテるじゃないですか、輿水さん」


 「いやいやいや……」


 応援団の演舞が終わり、イベントは終幕へ。司会が最後の挨拶を行い、その背後で、SandyTripの『白い雲と太陽』がうっすらと流れ始める。


 「この曲、やっぱりラストにふさわしいな」


 上条がつぶやき、清水が小さく頷く。


 司会の挨拶が終わると会場からはまばらながらも拍手が起こった。その拍手のボリュームを合わせるようにフェーダーをゆっくりと上げる。会場にAYUMIの声が響き渡る。


 上条は曲が終わったタイミングでマスターボリュームを落とす。アンプの電源が切られる。


 DASエイジェンシーからの仕事のうち、大規模なステージの場合はステージそのものの撤去が翌日になることが多い。だが、今回のような中規模ステージの場合は当日撤収が基本になる。15時半頃にはテントの裏側にはステージ撤収のスタッフたちが今か今かとスタンバイしているのだ。


 すぐに三人は撤収作業へ。まずはステージ上の機材とケーブルをステージから降ろす。すぐに輿水はワンボックス脇に大物機材の移動を開始し、上条はPA機器を次々と運び出す。清水はケーブル巻きに専念。


 「あれ、ワイヤレスもう片付いてる?」


 「はい、やっときました」


 「……助かるわ、ほんと」


 機材を積み終えた頃、公園の管理者・鈴木喜代美が挨拶に来る。


 「今年で退職なんです。後任には引き継ぎますが、来年の開催は未定で……」


 「えっ、そうなんですか……」


 と、そこへさやかが合流する。


 「さやかさん、またよろしくね」


 「はい。けど、来年は母がいないのでどうなるか……あ、言ってませんでしたっけ。私、鈴木の娘なんです」


 「ええええっ!?」


 一同が目を丸くする中、さやかが軽やかに笑う。


 「またどこかで、お会いできたら嬉しいです」


 イベントはこうして、大団円を迎えた。


 応援団の団長が挨拶に現れ、改めて感謝を述べて帰っていく。


 「ありがとうございました! 押忍!」


 ついつい釣られて上条も


 「押忍! お疲れ様!」


 と言ってしまうのであった。


 「よーし、とっとと戻って機材倉庫入れだ!」


 日が暮れた公園の中を、二台の車が鈴木喜代美の自転車の先導付きで、ゆっくりと走り出す。


 会場では、まだテントの撤収作業が続いている。場内をぐるりと回る途中、田渕に全員で声を掛ける。


 「田渕さん、お先です!」

 「上条さん、みなさん、また!」


 今年の秋のシーズンの仕事はひと段落した。例年、年末の仕事は受けないことにしているので、次の仕事は年明けになる予定だ。


 その間は、機材のメンテをゆっくりと行いながら、過ごす予定だ。


 またこのメンバーでの仕事もいいなと思う上条であった。


 「あの、上条さん」


 シトロエンXmの助手席にいる清水が上条に上目遣いで声をかけた。


 「ん? どうした?」


 「あの。わたし……」


 「?」


 「おなかすきました!」


 上条は思わず吹き出しそうになるのを堪えながら、にやりと笑った。


 「ははは、了解だ」


 信号待ちの間にiPhoneを取り出し輿水に電話を入れる。


 「途中で飯、食うぞー」


 上条は清水の頭を軽くポンポンと叩き、青信号になったシトロエンを加速させる。


 いつもならどっぷりと疲れてやや不機嫌になっているタイミングなのに、何故か上機嫌になっている上条だった。


 助手席の清水は、そんな上条の様子を横目で見ながら、小さく笑った。


 こんな音の現場にもっと関わってみたい。


 あのミキサー卓の前で、もっと音を作ってみたい。


 ──その思いが、少しずつ自分の中で大きくなっていることを、清水自身も感じていた。

実際に筆者が体験した出来事を題材にしていますが、物語に登場する企業名やイベント名は、全て架空のものです。登場人物もモデルは全て実在の人物がいますが、あくまでもフィクションとしてお読みください。


〜登場人物紹介〜


上条一郎かみじょういちろう:58歳。大学生の息子がいるが、遠方にいるため作品には滅多に登場しない。妻とは離婚していて、現在は独身。車好きで中古のCitroen Xmのブレーク(ステーションワゴン)に乗っている。小さめのイベントにはこのステーションワゴンに音響機材を積んで現場に入り、大きめのイベントの場合にはワンボックス車や2T〜4Tのアルミパネル車をレンタルしている。


清水美奈しみずみな:同じく大学の後輩。21歳。経済学部に通う大学3年生。アルバイト先の仕事で音響に携わることがあり、現場で知り合った上条が大学の先輩だと知り、押しかけアルバイトをしている。


興水康友こしみずやすとも:柚木真由美のイベントの手伝いをしている時に上条と出会う。いつも車で移動して滅多に公共交通機関を使わないという点が上条と共通している。映像カメラマンであったり物書きであったり、様々な仕事をしているが、スケジュールが合えば、上条の仕事を手伝うことも多い。


鈴木喜代美すずききよみ:公園の管理者。人員不足のため、イベントに関してはほぼ一人で取り仕切る。だだっ広い公園を自転車に乗って縦横無尽に駆け巡る。


鈴木さやか(すずきさやか):劇団員。普段は劇団員をしながら芸能界デビューを目指す。時々、公園でのイベントの司会を担当。食いしん坊で、気がつくと飲食店のブースに並んでいる。


〜用語解説〜


PA:Pablic Addressの略。電気的な音響拡声装置やそれに携わる人たちのの総称。


インストゥルメンタル:ボーカルのない楽曲。主にポピュラーミュージックに対して使うことば。当然だが、クラシックの大半である交響曲などは、当然インストゥルメンタルであるが、わざわざインストゥルメンタルとは言わない。


MacBook Pro 16:Apple社が発売しているポータブルPCの中での最上位機種。上条が使用しているのはMacBook Pro 16の中でのM1という機種。どのタイミングで新型にするかを悩んでいる。


SandyTrip:長崎県佐世保を中心に全国で活動している男女ユニット。Sandy(KAZUの飼っていた猫の名前)とTrip(AYUMIが好きな言葉)を名づけ活動を始める。上条とはMacintoshというパソコン繋がりで旧知の中である。東京でのイベントでは上条がPAを担当したこともある。


M40:正式にはUTX-M40。日本が誇る音響機器および総合家電メーカーのSONYが製造販売するワイヤレスハンドヘルドマイクロホン。販売されるパッケージ名はUWP-D22となっているのがややこしい。価格の割には非常にクリアな音がする。


毎秒340m:音速はだいたい毎秒340mである。これを知っていれば、大規模会場でスピーカーを複数設置する際に、コンマ何秒遅らせて音を出せば良いかなどを計算できる。


塾講師:文字通り、塾の講師のことである。上条は東日本大震災直後、震災発生日以降10月末までの全てのイベント仕事が中止になり、妻子を養うべく、塾講師をしていたのである。ちなみに、中高の知識を元に学生時代も塾講師や家庭教師をやっていたため、上条にとってはPAエンジニアと同等の天職であった。


ブラスバンド:通常、ブラスバンドの演奏ではPAを通さないのが通例であるとは思うが、それでも上条はPAを通すことは悪くないと思っている。30人を超える大編成であればそれぞれのパートごとの人数も適切になっているものの、小編成の場合、楽器の偏りが出ることは多い。その場合は、マイクでの収音をしても良いではないかと考えている。


ミキサー卓:単にミキサーというと料理器具と混同されるため、ミキサー卓と呼ぶことが多い。省略してミキ卓、あるいは卓ともいう。


フェーダー:ミキサー卓で音量を調整するスライド式のコントローラー。PFL(Post Fader Level)に設定されているAUXへの送りには影響しないが、AFL(After Fader Level)に設定しているAUXの送りの場合、このフェーダーの動きが送りチャンネルのレベルに影響する。


シトロエンXm:上条の愛車。フランスのシトロエンと言うメーカーの車。20年以上前に生産を終了しており、もしもどこかが壊れても、その交換パーツを入手するのはかなり難しい。だが、乗り心地は抜群であり、上条としては機材を積んでも車高が下がらない上、優れたサスペンションで機材が傷まないと言う点でこの車を乗り続けている。本文中にもある通り、リアシートを折りたたむと、トランクルームとつながる広大な積載エリアが出現するのである。そのため、小規模PAの現場であれば、この車1台で事足りるのである。


ミキサー卓:単にミキサーというと料理器具と混同されるため、ミキサー卓と呼ぶことが多い。省略してミキ卓、あるいは卓ともいう。

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