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第十九話:任される喜び

そんなに大きくない(実際小さいw)音響会社を営むPAエンジニアおじさんの、ほぼ実話を元にした小説です。フェスや様々なイベントに出かけられることがあると思いますが、そのフェスやイベントの運営には、実際に数多くの人たちが関わっています。その中で、ステージなどで必ず必要とされる音響という仕事に関する小説です。

 昨日のリハ入りは午後一時とゆったりしていたが、本番の今日は朝七時半入りだ。


 上条は前夜、早めに寝床に入り、たっぷり睡眠をとったおかげで目覚めは快調だった。朝六時に清水を迎えに行き、途中マクドナルドのドライブスルーで朝食を買った。上条はいつもソーセージエッグマフィンのセットを注文する。こんな時間にマクドナルドに来たことがない清水は同じものを注文した。


 会場である日野電気工業には七時二十分に到着したが、まだDASエイジェンシーの田渕や映像会社のスタッフは到着していなかった。受付でパスをもらって中へ入る。


 「こんなにたくさんの社員さんがいるんですね」


 社員の出勤時間と重なり、社屋内は通勤する社員たちであふれていた。


 「昼間はみんなそれぞれのデスクだったり、工場の中だったりするからな。こうして見ると多く感じるよな」


 そんな会話をしながら、エレベーターで上がり、大会議室へ向かった。すでに水上や総務の社員が会場入りしている。


 「早いですね」と上条が声を掛けると、水上が少し申し訳なさそうに笑った。


 「ここまで大掛かりなことをするのは初めてなので、心配で。上条さん、本当によろしくお願いいたします」


 「任せてください」


 上条は九時ちょうどに会場内の音出しを始め、水上はZoomの接続テストに取り掛かった。


 本番は十時スタート。四十五分間で会議は終了予定だ。九時半過ぎには気の早い社員たちが席を埋め始め、九時五十分には取締役をはじめとする経営陣も全員揃っていた。


 上条はヘッドホンを装着し、各マイクの音をPFLで確認し、日野電子工業の放送設備のスイッチ類を確認する。問題なしだ。


 開始直前、水上が上条に伝えてきた。


 「プレゼン最後の一人がZoomでの参加に変更になったそうです。僕も今知りました」


 「Zoom自体は問題ないですが、その方の声を会場内や放送設備にどう乗せましょうかね……。今から大きくは変更できませんし」


 上条は冷静に会場を見回して即答した。


 「あの演台のバウンダリーマイク、スピーカーにもなってるタイプなんですよ。その音をワイヤレスマイクで拾えばいけます」


 「なるほど、わかりました。やってみましょう」


 水上も上条も落ち着いていたが、場慣れしていない清水だけは心臓がドキドキしていた。進行が心配だったのもあるが、実際はパーティションで仕切られた狭いエリアで上条と密着状態にあることが原因なのだが、そんなことは上条は知るよしもないのであった。


 会議が始まり、まずは社長の施政方針演説が始まった。演台マイクの高さは社長に合わせてあるため全く問題ない。さすが日野電気工業の社長、落ち着いた口調でありながら明瞭な声が響いた。


 その声はワイヤレスマイクを通りミキサー卓から社内放送設備に流れ、各階の会議室や工場内に設置されたスピーカーへと伝わる。また同時に、演台のバウンダリーマイクがZoom接続のPCに音声を送り出している。


 水上が心配していた「会場内を歩きながら話す」という事態もなく、スムーズにプレゼンは進んだ。ただ、時間は大幅に押してしまっている。予定終了時刻を過ぎてなお社長の話が続く。そしてこのあとは取締役たちの話へと続くのだ。上条たちに問題はないが、社員たちのスケジュールが気になった。


 ようやく取締役数名のプレゼンが終わり、最後はZoomでの発表だ。発表者の顔はZoomを通して問題なく映っているが、その音声がどこまで明瞭に伝わるか、上条はわずかに不安を覚えた。


 上条は咄嗟にメモを書き、隣にいた清水に手渡す。清水はすぐにそれを水上へ渡した。水上はメモを一瞥してすぐ理解したようで、Zoomのプレゼンター紹介を終えると演台に近づき、演台に設置されていたワイヤレスマイクをバウンダリーマイクに向けた。先ほどの水上の説明にもあった通り、このバウンダリーマイクはスピーカーにもなっていて、Zoom参加者の音声を伝えてくれるのだ。


 上条は慎重にミキサーのフェーダーを上げ、ハウリングに細心の注意を払いながら音量を調整した。その甲斐もあり、Zoom参加者の音声は会議室内はもちろん、各階会議室、工場内のスピーカーにまでしっかりと明瞭に届いた。


 会議は三十分近く延びたが、大きな問題もなく終了した。


 「いやあ、本当に助かりましたよ」


 水上が晴々とした顔で上条に微笑みかける。


 「無事に終わって何よりです。それにしても、Zoomは焦りましたね」


 「突然でしたもんね。上条さんじゃなかったら乗り切れなかったかも……次もぜひお願いします」


 「こちらこそ」


 水上は上条と握手を交わすと、ほっとしたような顔で会場全体を見渡した。


 大会議場に集まった社員たちが退場するのを待ち、上条と清水は手際よく機材の撤収を始めた。


 「清水、ケーブルは俺がやるからマイク類を頼む」


 「了解しました!」


 先日のフードフェスの際、マイクとマイクスタンドに関し、清水は全てを任せてもらえた。今回はマイクの本数は少ないとは言え、今回も全てを任されたことを清水はとても嬉しく思った。SM58Sを回収しケースにしまう。M40は全ての充電池を外し、マイク本体はケースへ、充電池は全て専用のケースに納められた。


 「手際が良くなってきたな」


 「えー、本当ですか?嬉しいです!」


 「おかげで今日は早く帰れそうだよ。あと、スタンド類も頼むな」


 「かしこまり!って……あ、あの重いやつですねー」


 「頼んだぞ!」


 清水は、上条に認めてもらえたことが何よりも嬉しく、そして自信に繋がっていくのを感じていた。


 シトロエンXmへの積み込みを終えると、椅子の積み込みをしている田渕に挨拶をする。


 「お疲れ様でした。」


 「お疲れ様でした!今回も世話をかけました。」


 「延びちゃいましたねえ」


 「それそれ。打ち合わせ、一本飛ばしちゃったよ」


 「あちゃー、大変じゃないですか」


 「吉田が代わりに行ってくれたみたいだから、ま、大丈夫かな」


 そんな会話を交わし、上条は会場を後にして倉庫に向けて車を走らせる。


 しばらく走ると清水がもじもじしながら上条に言った。


 「あの、上条さん……」


 「ん、どうした?」


 「あの………お腹空きました!」


 晴れた3月の空を見上げながら、倉庫に着く前にどこかでランチをするのも悪くないなと上条は思った。


 今日も無事に仕事を終えられたことに感謝しつつ……

実際に筆者が体験した出来事を題材にしていますが、物語に登場する企業名やイベント名は、全て架空のものです。登場人物もモデルは全て実在の人物がいますが、あくまでもフィクションとしてお読みください。


〜登場人物紹介〜


上条一郎かみじょういちろう:58歳。大学生の息子がいるが、遠方にいるため作品には滅多に登場しない。妻とは離婚していて、現在は独身。車好きで中古のCitroen Xmのブレーク(ステーションワゴン)に乗っている。小さめのイベントにはこのステーションワゴンに音響機材を積んで現場に入り、大きめのイベントの場合にはワンボックス車や2T〜4Tのアルミパネル車をレンタルしている。


清水美奈しみずみな:同じく大学の後輩。21歳。経済学部に通う大学3年生。アルバイト先の仕事で音響に携わることがあり、現場で知り合った上条が大学の先輩だと知り、押しかけアルバイトをしている。


田渕貴之たぶちたかゆき:イベント運営会社・DASエイジェンシーの代表取締役社長。56歳。主なイベントでは上条に音響を発注している。普段は厳しい眼差しながら、気心がわかるとよく笑う人情厚い人。小難しいクライアントからの仕様を切り盛りする。


吉田北斗よしだほくと:イベント運営会社・DASエイジェンシーの若手社員。30歳。入社5年目なので、ほとんどの業務をこなすことができるが、音響・映像・照明に関する知識が未だに皆無で、変な発注をしては関係業者を悩ませる。


水上:日野電気工業の技術部の社員。社内のPC関連や設備関連を取り仕切りつつ、総務部とやりとりしつつ社内会議や社内イベントをも取り仕切っている。上条とは初対面だったが割と意気投合した模様である。


〜用語解説〜


PA:Pablic Addressの略。電気的な音響拡声装置やそれに携わる人たちのの総称。


ミキサー卓:単にミキサーというと料理器具と混同されるため、ミキサー卓と呼ぶことが多い。省略してミキ卓、あるいは卓ともいう。


フェーダー:ミキサー卓で音量を調整するスライド式のコントローラー。PFL(Post Fader Level)に設定されているAUXへの送りには影響しないが、AFL(After Fader Level)に設定しているAUXの送りの場合、このフェーダーの動きが送りチャンネルのレベルに影響する。


PFL:プリ・フェーダー・レベル。ミキサーは通常、最初にプリアンプ(ゲイン)を通る。この次にフェーダーに行くのだが、このフェーダーの影響を受ける前の音をヘッドホンやモニタースピーカーで確認できる機能。反意語はAFLアフター・フェーダー・レベルである。


モニタースピーカー:ステージ上に置かれ、出演者に対して音を伝えるスピーカー。ミキサー側で設定することにより、好みのバランスで音を聞くことができる。


ハウリング:スピーカーから出た音を再びマイクが拾い、さらにアンプで増幅されるという回路が作られてしまうために発生するとても不快な音。「キーン」「ボアーン」などと言った表現となる。ハードロックでのギターのフィードバックも、基本的にはハウリングと同じ原理である。


Zoom:ウェビナーやミーティングをライブ配信したり、オンデマンド配信したりするシステム。他にはGoogle MeetやMicrosoft Teamsなどがある。その中でも最もポピュラーに使われているシステム。PCだけで使う場合は簡易だが、そこにPAが絡むと、ちょっとした知識がないと、ハウリングに悩まされることも多い。


シトロエンXm:上条の愛車。フランスのシトロエンと言うメーカーの車。20年以上前に生産を終了しており、もしもどこかが壊れても、その交換パーツを入手するのはかなり難しい。だが、乗り心地は抜群であり、上条としては機材を積んでも車高が下がらない上、優れたサスペンションで機材が傷まないと言う点でこの車を乗り続けている。本文中にもある通り、リアシートを折りたたむと、トランクルームとつながる広大な積載エリアが出現するのである。そのため、小規模PAの現場であれば、この車1台で事足りるのである。


SM58S:アメリカの音響機器メーカーShure社が製造販売する定番中の定番のマイクロホンSM58のスイッチ付きモデル。とてもバランスが取れたマイクで、とてもポピュラー。


M40:正式にはUTX-M40。日本が誇る音響機器および総合家電メーカーのSONYが製造販売するワイヤレスハンドヘルドマイクロホン。販売されるパッケージ名はUWP-D22となっているのがややこしい。価格の割には非常にクリアな音がする。

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